掲載:2022年8月号
90年代に雑誌モデルとして一世を風靡した後、俳優に転身した村上淳さん。DJ、アパレルブランドのデザイナーと多彩な活動を展開しながら数多くの映画やドラマに出演し、どんな役でも、質の高い映画をさらに底上げするような企みのある演技が光ります。そんな村上さんの最新作は映画『島守の塔』。俳優として脚光を浴びる息子の村上虹郎さんのこと、俳優としてのこれからについて、じっくりお話を聞きました。
沖縄の人に納得していただく作品を
「ああ沖縄戦をやるんだ……と、引き締まる思いがありました」
映画『島守の塔』への出演が決まったときを、村上淳さんはそう振り返る。舞台は第二次大戦末期。戦況悪化のなか、沖縄県知事の辞令を受けた島田叡(しまだあきら)は家族の反対を押し切って就任。県民の疎開政策と食糧確保に奔走した。村上さんが演じたのは、そんな島田と共に県民疎開に尽力した沖縄県警部長の荒井退造(あらいたいぞう)。
「ご家族に会うため栃木に行ったりしましたが、演じるうえでのヒントを見つけようとしたわけではないんです。ある種の礼儀としてで、演じさせていただきます、という気持ちの延長線上にある行為でした」
俳優部はあくまで脚本に書かれたキャラクターを演じる役回り、と村上さん。「沖縄の方が観るのだ」と言い続けた五十嵐匠(いがらししょう)監督のもと、沖縄の人に納得していただく作品を、とカメラ前に立ち続けた。
「俳優のプロとして堂々と言います。荒井という役について、野球のバットでいうなら真芯の部分を正直見つけられずにいました。70年経った今では英雄ですが、ミリ単位の違和感もあって。当時の国全体のムードと同調圧力のなか、島田叡さんと荒井退造さんの行為はどこまでが過激でどこまでが正義か? そこはフラットでいたかった。戦争がよくないのは1+1=2より明らかですが、そこに生きた荒井の揺れやブレはあっていい。完成した映画を観て、改めてそう思いました」
島田は「共に死ぬ」と言い張る部下に「命(ぬち)どぅ宝、生きぬけ」と伝えて逃がす。そんな島田と共に、職務を超えて県民を守ろうとした荒井。現実の世界で信じがたい戦争が起きている今、語り継ぐべき物語なのは明らかだ。
「核となるのは、命の尊さ。それでいてこの映画には、ありとあらゆるよい顔が映っています。それは監督が、それぞれに向き合って演出されたから。だからきっと、誰もが誰かに感情移入できるはずです。よい映画です。戦争映画だからと観ていただくく方の間口を狭めたくなくて、語るにはどうしても言葉を選んでしまうのですが、観てくださいとは言い切れますね」
今は地元にず~っといます
「地方ロケに行ってもホテルからは出ません。撮影中は遊ぶという感覚が一切ないし、30歳でお酒もやめたので飲みに誘われることもないんですよ」
そんな村上さんだが、数年前までは東京と仙台を頻繁に往復する日々を過ごした。それは、手がけていたアパレルブランドの拠点を仙台に置いたため。車で移動し、夜は車中泊や工房の床にシュラフで寝た。
「仲間が仙台にいたのもありますが、事務所や工房を構える固定経費を考えたら東京に拠点を置くなんて考えられません。それで例えばTシャツなら、デザインから製版、プリントまでその場でやり、その日のうちにWebに上げてリリースできる体制を目指していました。仙台までは往復800km弱ですが、苦にならなかったです。ちょうど高速道路が土日はどこまで行っても1000円だったころで。噓みたいですよね。金曜の24時5分くらいに高速に乗り、日曜の24時前に戻ったりしてました」
その後、工房は茨城に移動。3年ほど前にはDJやアパレル業から撤退して俳優に絞った。
そうして改めて、東京育ちの村上さんにとっての田舎、故郷といえる東京を思う。
「10代でスケボーを始めたときは原宿にスケボー屋さんがあり、DJを始めたころは渋谷にレコード屋さんがいっぱい。おしゃれといえば渋谷か原宿でした。それで今は地元にず〜っといます、アイラブ地元です(笑)」
アパレルに携わったときは自宅にディスプレイを3つ置いて作業したが、今はそれを置いたテーブルもどけてシンプルな空間に。もともとテレビはなくスマートフォンがあるくらい。
「おウチ時間がなんの苦にもならなくて。家では、ぼーっとしてます。でもそれって大事で。好きなお香を焚いたりアロマでもいい。休むとか寝るとかぼーっと過ごすってこんなに重要かと。この1年で思い知りました」
コロナ禍、多くの人がそう思い至りましたよね? と言葉を継ぐも、村上さんの場合はコロナ禍とは無関係だったらしい。
「仕事って限りなく対人関係ですが、対人関係による喜びや幸せってすぐにひっくり返る。そうですよね? でも花鳥風月という言葉がありますが、満月を見て〝キレイだな〞と感じるのは対人関係がもたらす喜びとは違います。それで、明日も頑張ろう!と思えるのも。だから地方に行き、川の流れの音を美しいと思う、そんな幸せがもっと増えたら……と考えたりします。それで釣りをしたり散歩をしたりするのもいいなと」
その決断には、あふれる情報への身構えがキーになるという。
「情報って知って満足するのでなく、マネタイズ(収益化)するためのもの。僕はそこが未熟で。でも田舎暮らしをしていても、最先端の情報は得られるからというのも嫌だな……って。人としてスマートフォンを捨てられる段階に行けたら、僕の田舎暮らしは現実味を帯びるかも」
最近始めたジム通いのときはスマホを家に置き、帰宅するまでの3時間ほどは情報から離れる。ラクだな、と思うそう。
「でも田舎暮らしが実現しても、地方都市から始めるとか段階を踏むでしょうね。そんないきなり、『レヴェナント:蘇えりし者』みたいなことになっても! クマとかイノシシとか怖いしね」
レオナルド・ディカプリオがクマに襲われるあの映画!? 獣の毛皮をまとう猟師姿の村上さんを想像する。そんな極端な!
「地方都市に暮らしておいしい食べ物を探したり、そこでよい意味での人間関係がまた生まれたりするのかも。ずっとおウチにいてほぼ対人関係がないので、今はべつに人間関係にまったく疲れてないですけどね(笑)」
プロフェッショナルのその先を目指す
息子の村上虹郎(にじろう)さん(25歳)も、父親と同じ俳優の道を歩む。朝ドラ『カムカムエヴリバディ』も話題を呼んだ彼の、現実とは思えない澄んだ瞳。あれは父親譲りだったのだなと思う。
「虹郎との距離感って、いちばんしっくりくるのが同じ事務所の先輩後輩かも。連絡をとることは多いですよ。今朝も〝ある仕事がアップした〞〝お疲れ様〞って。〝こんな映画を観たよ〞なんてやりとりもします」
親の目にはフワフワ生きているように見えた息子に、役者の道をすすめたのは村上さんだった。
「演じることは誰かになりきる行為です。そのとき、今の自分がどう見えているか? 自分がどう在るか? 少しはわかるんじゃないかと。それが俳優という職業でもあるので」
そう語る村上さんは俳優としての今後をどう見据えるのか。
「ここ数年は〝マスに落ちる〞という目標を掲げています。多くの人に伝えられる役者でありたいんです。この作品もそうですがコアを目指すのでなく、入り口も出口も広くとっておきたい。それでプロフェッショナルの先を行かなきゃなって。それには心技体、精神も技術も肉体も鍛え上げる必要がある。それを目指し過ぎると、自分という魂の入れ物とはズレが生じるだろうけど、ビジョンを持つのはタダですから。それなら志も夢も、高いほうがいいですよね」
文/浅見祥子 写真/鈴木千佳 ヘアメイク/高草木 剛(Vanites)
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