通知表やチャイムがないのびのびとした環境で、総合学習・総合活動を中心に据えた教育を実践する伊那市立伊那小学校。クラスごとにテーマを決め、3年間学習を深めていくという個性的で自由度の高い公立学校を紹介しよう。
掲載:2023年9月号
動物のお世話で一日が始まる
7月のとある朝。太陽が昇るにつれて、この日も真夏日になる気配が感じられたが、高台にある伊那市立伊那小学校の通学路では大きなケヤキの木が強い日差しを遮り、涼しい風が校庭を吹き抜けていた。
校舎の東側にある「ともがき広場」からは、子どもたちのにぎやかな声が聞こえてくる。
「種を植えていないところから、ホウセンカが生えてきた!」
「鳥がホウセンカの実を食べて、フンを落としたのかも」
「ここ、ニンジンの種を蒔いたはずなのに、ニンジンの葉っぱっぽくないのが出てきたよ」
ヤギの餌やりと小屋掃除を終えた3年謹(きん)組の生徒たちが、菜園の苗床に覆いかぶさり発芽を確認しているところだ。
その横では、2年春組の児童たちが分担してポニーの世話の真っ最中。シャベルを手にした数人が小屋の中のフンをすくい取り、別の子が手押し車で捨ててくる。その間、ほかの子どもたちはウマのブラッシングをしたり、餌をあげたり、散歩の準備をしたり……。慣れた様子で手際よく、作業を進めていく。
「この学校では、基本的に3年間クラス替えがありません。1年と4年でクラスごとに総合学習・総合活動のテーマを決めて、3年間かけてそれを深めていきます」
そう話すのは、校長の登内淳(とのうちあつし)先生。
「ポニーは昨年、牧場からお借りして、3年間、子どもたちが大切にお世話をします。この馬房と柵も、1年生のときにこの子たちがつくったんですよ」
総合学習を発展させ教科の勉強を行う
長野県南信地域にある伊那小学校には、通知表もチャイムもない。ここは40年も前から、子どもたちの主体性を重んじる総合学習中心の教育を行ってきた公立学校だ。
この学校の特色は、「子どもは、自ら求め、自ら決め出し、自ら動き出す力を持っている存在である」という子ども観に基づいた教育方針。子どもが求めることや願いを起点に据えた学習を展開することで、子どもたちが本来持つ「生きる力」を育んでいくという姿勢だ。
「文科省の学習指導要領に沿っていますが、できるだけ総合学習や総合活動を真ん中に持ってくるようにしています。総合学習をしながら、同時に教科の勉強もできるように工夫しているのです」
例えば、シャーベットづくりをテーマにしているクラスでは、材料の水の量を計算する方法を学び、算数の計算を身につける。
総合学習はさまざまな教科の「軸」となるため、テーマを簡単に決めることはない。子どもたちと先生とでじっくり話し合ったり試したりしながら見極めていくそうだ。
「子どもにとって興味がある内容で、発展性を考えながら、どこまで学習を広げていけるのかを考えます。例えば、現在の4年のクラスでは、染め物や紙漉すきを試しはじめました。1年のクラスでは、ヒツジを飼育したいけれど、本当にみんなで飼えるのかどうかを話し合っています。テーマを決めるのに丸1年かかるクラスもあります」
総合学習を深めている過程で、子どもたちは大小さまざまな課題に突き当たる。そんなときは先生に解決方法を仰ぐのではなく、みんなで調べ、話し合い、どうすればうまくいくのかを模索する。教科書のように明確な答えが出ないこともしょっちゅうだ。そんなときには、校外の専門家にアドバイスを求めることも。
「ウズラの飼育をテーマにしているクラスがあるのですが、須坂市動物園の方に育て方を教えていただいています。コロナ禍ということもあり、これまでずっとオンラインでやり取りしていたのですが、今年は校外学習で初めて動物園を訪れ、担当者の方にお会いすることができました」
ほかにも獣医師や博物館の専門家など、自分たちでは解決が難しいときに道しるべを示してくれる校外の人は多いという。
修学旅行にも、この学校らしさが表れている。
「行き先は東京です。アスレチックづくりをテーマにしているクラスでは室内アスレチック施設へ行き、たっぷり遊んだあとに施設の方にメンテナンスや安全管理などについて特別に教えてもらいました。天文のクラスでは国立天文台を訪問したり、ダンスのクラスでは、芸能プロダクションでレッスンを受けさせてもらったりしました」
40年間受け継がれる子どもたちへの思い
カリキュラムの進め方が一般的な小学校とあまりに違うため、新しく赴任してきた先生は、最初は大いに戸惑うそう。
「今までの指導と違うので、1年目の先生は戸惑いますね。同僚の先生の授業を見てもらうと、子どもがすごく生き生きとしていると気づくんです。『子どもって、こんなこともできるんだ』って、子どもの力の可能性を感じるのだと思います。そのうちに『自分もこういう子どもを育てたい』と思うようになり、変わっていくんです」
例えば動物用の柵をつくるとき、一般的な学校では「釘を5本くらい使って、この板を支柱に取り付けて」と指導する。伊那小の場合、先生は何も言わずに見守る。子どもたちは、最初の板はたくさんの釘を打ってしっかり取り付けようとするが、しだいに「こんなに釘を打たなくても板はしっかり留まる」ということがわかってくる。体験を通して養われた「板を留めるのに必要な釘はこれくらい」という感覚、そして「その感覚を得るために自分の手でやってみる」という実行力は、子どもたちの人生のたくさんの場面で役に立つことだろう。
「この学校の卒業生は、中学に入って伸びることが多いようです。いわゆる詰め込み的な教育はしていませんが、この学校には、自分たちでやり方を考えたり話し合って解決することがたくさんある。その経験を通して、子どもが本来持っている『生きる力』の土台となる部分が育まれるのかもしれません」
なんでも自分でやってみるということは、当事者意識を持つということだ。登内先生は「物事を、他人事(ひとごと)ではなく自分事として捉える子どもが多いですね」と話す。
「動物の飼育でも、餌やりや子ヤギの世話などに人気が集中しそうなものですが、みんな自主的に小屋の掃除やフンの運び出しなどを行います。雨の日でも朝早く登校し、動きやすいようにカッパを着て一生懸命掃除をしている。大人の私でも、見ていて感心します」
そういえば、朝の馬房掃除のときに「掃除当番は決まっているの?」と聞いたところ、「決まってないよ、やりたい人がやるの」と、子どもたち。見ていると、餌やりなどを終えた子どもたちが次々と馬房に集まり、最後にはクラスのほぼ全員で掃除を行っていた。
「自分たちで解決を目指すと、当然失敗することも多いです。けれど、失敗からしか学べないこともたくさんあるんですよね」
と、登内先生。
「私たちは『途中を大切にする』とよく言います。疑問から解決に至る間に通る『過程』に重きを置いているのです。小学校のときのこの経験が、困難に当たってもくじけずに、自分らしさを忘れずに生きる力になるのだと思っています」
信州・伊那谷の恵まれた自然環境のなか、体験的な活動を通して自主性や仲間を尊重する心を育む伊那小学校。のびのびとした教育環境を求める家族連れ移住希望者の見学も増加しており、今後もさらに注目を集めそうだ。
伊那小のここがスゴイ!
●通知表がない
学期の終わりに保護者と個別懇談会を開き、子どものいいところを具体的に伝える。
●チャイムがない
子どもの求めることや願いによる学習活動を妨げないために、チャイムは鳴らさない。
●学級でテーマを決める
子どもたちの興味のあることを起点に、クラスごとに総合学習のテーマを決める。
●自分たちでまず考える
疑問が湧いたら、まず自分たちで考える。難しいことは専門家に教えてもらうこともある。
伊那市の子育て支援
- 出産祝金
- 満18歳まで医療費無料
- ウッドスタート事業(生後6~7カ月児に、地元の木工職人がつくった木のおもちゃを1つプレゼント)
- ブックスタート事業(生後6~7カ月児に、図書館司書オススメの絵本を1冊プレゼント)
- 子育て住まいる(特定地域にある市営住宅の入居要件を緩和し、家賃を2割軽減)
伊那市の移住支援情報
空き家バンク物件も豊富まずは短期の移住体験を
移住者の受け入れに積極的な伊那市。木の香りに包まれながら最長3泊4日の移住体験ができる「田舎暮らしモデルハウス」が人気(光熱費込み1泊4000円)。ほかにも29泊30日利用可能な「移住体験住宅」もある。移住相談やイベント、空き家バンクなどについては移住定住応援サイト「伊那に住む」をチェック。オンラインでも相談可能。
問い合わせ/伊那市地域創造課 ☎0265-78-4111
https://www.inacity.jp/iju
文・写真/はっさく堂 写真提供/伊那市、市立伊那小学校
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