欧米とアジアに単身赴任し、60代で飯田市の実家に戻ってきた熊谷正行さん。これまで修学旅行生の受け入れに協力してきたが、2023年、民泊をオープン。外資系民泊サイト経由で世界中の旅人を受け入れている。
掲載:2024年8月号
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ずっと海外に単身赴任していた熊谷正行さんが、帰国後に妻の三千代さんとともに始めた民泊。立派な日本家屋と枯山水の日本庭園、長年かけて集めた海外の調度品はもちろん、夫妻のホスピタリティでも人気を集めている宿だ。
熊谷正行(くまがいまさゆき)さん、三千代(みちよ)さん
正行さんは飯田市出身で趣味は植栽とその管理、三千代さんは茨城県東海村出身で趣味は生け花や御詠歌。長い海外経験で外国人の考え方を理解している正行さんと、飯田市で修学旅行生の受け入れをしていた三千代さんで、世界中からのゲストをおもてなししようと民泊を始めた。
長野県飯田市(いいだし)
長野県南部に位置する飯田市。東山道、三州街道、遠州街道などの陸運や天竜川の水運に恵まれ、交通の要衝として繁栄。「信州の小京都」とも呼ばれている。天龍峡、元善光寺、しらびそ高原など観光名所も多い。東京から中央自動車道経由で約3時間15分、名古屋から中央自動車道経由で約1時間40分。
欧米やアジアで働き、見聞を広めて帰国
長野県の最南端、県の南の玄関口にあたる南信州は、南アルプスと天竜川に抱かれた自然豊かな地域だ。南信州の中心都市である飯田市の山間の住宅街に、2023年5月、日本家屋を利用した民泊がオープンした。ゲストが体調、時間、嗜好などに合わせて自由に飲食を楽しめるよう、自炊形式の民泊としている。
屋号は「萬龍(ばんりゅう)」。「『大勢の人びとに幸運を呼び込む』という意味です」と、ホストである熊谷正行さんが教えてくれた。
訪れた人がみんな幸せになって笑顔で帰ってくれるようにとの思いから、この名前を付けた。
玄関を開けると現れる、吹き抜けの空間。ケヤキの柱と上がり框(かまち)、木曽のカエデを使った衝立が日本家屋の魅力を際立たせる。1階は一部を除きゲストが利用できる空間だ。
「萬龍」は飯田市の山間の集落に立つ。周辺には日本の棚田百選選定の「よこね田んぼ」や天龍峡温泉など里山の魅力あふれるスポットが点在。
正行さんは20代で茨城県東海村の原子力科学研究所に就職し、そこで三千代さんと結婚。30歳を前に、母親と同居するために家族で飯田市に戻り、大手電機企業のエンジニアとなった。
「30代半ばで突然、『やりたかったことをこの人生でかなえよう!』と思い、単身アメリカに渡ったんです。最初は日本企業の現地法人に就職し、数年後に米国企業に転職。その企業が日本に支店を立ち上げる際は東京で働きました」
支店が軌道に乗ったところで退職し、今度は渡欧。オーストリアの半導体製造企業に就職した。その会社の横浜支店の立ち上げにかかわったあと、60歳で退職、帰国した。
「そのころから、日本の労働人口減少の問題が取り沙汰されていました。海外で働いて実感したのは、これからは日本でも外国人の力が必要になってくるということ。そこで日本語教師の免許を取得してベトナムに渡り、現地の人材派遣会社で日本語教育に携わりました」
帰国してからは外国人労働者を日本企業に紹介する会社を立ち上げ、現在も運営している。
日本庭園に面した客間。玄関の衝立と対になる、木曽のカエデの座卓が置かれている。宿泊は9人まで対応可能。
客間の広縁からは日本庭園が一望できる。晴れた日はもちろん、雨の日も情緒が感じられる。
京都で見た庭にインスピレーションを得てデザインした庭。もともとのなだらかな地形を利用して、枯山水を表現。亀に見立てた石も置かれている。
交流を求める旅行者が民泊を選ぶ
飯田市の家では、15年ほど前から修学旅行生の宿泊の受け入れをしていて、三千代さんは生徒との交流を楽しんでいた。
「主人も私も、人との交流が大好きなんです。それで主人がベトナムから帰国したのを機に、この家を活用して本格的に民泊をしてみようかということになりました」(三千代さん)
ゲストは1日1組のみ。手入が行き届いた枯山水の日本庭園を眺められる客間など、1階の3間とリビング、リモートワーク部屋の計5部屋を民泊施設として貸し出すことにした。山林と畑があるので、季節によって野菜や原木シイタケ、山菜などの収穫体験もできる。材料を持参して、庭のバーベキュー炉で楽しむ人も多い。
熊谷さん夫妻で管理している、ゲストのための家庭菜園。グリーンシーズンにはここで野菜を収穫し、食材に利用することができる。
敷地内にはバーベキュー施設もある。家庭菜園で収穫した野菜のほか、毎週日曜に近所で開催される朝市で野菜を買って調理するのもオススメだ。
間伐したクヌギの丸太を使ってシイタケを栽培。シイタケがどのようにできるのか知らない人も多く、喜ばれるそう。
集客は、外資系予約サイトのAirbnbとブッキング・ドットコムが中心だ。日本語で必要事項を入力すれば、英語をはじめとした外国語に訳してくれる。
「サイトを利用する利点は2つ。集客活動をしなくていいことと、オンラインで決済してくれるため、現地で集金をしなくていいことです。私たちは、ここでゲストをおもてなしすることだけに集中できるんです」
正行さんは、民泊を選ぶ旅行客は、ホテルとは違う体験を求めているのではと推測する。
「ホテルでは、チェックインを済ませたら、あとはスマホで周辺の観光スポットや飲食店を検索して行動する人が多いと思います。だけど民泊を選ぶ人は、地元の人と一緒にお茶を飲んだり、穴場を教えてもらったりと、交流を楽しみに来てくれるんじゃないかな」(正行さん)
「今はスマホの音声翻訳アプリがあるでしょう。だから外国語ができなくても大丈夫ですよ。話が弾んで、気がついたら何時間も経っていたこともあるんです」(三千代さん)
LDKのリビング部分。窓も大きく、のんびりくつろぐことができる。周辺の観光パンフレットなども置いてある。薪ストーブがあり冬も暖かい。
インバウンドのゲストへのプチギフト。飯田市の伝統工芸・水引の鶴や「ご縁」のある5円玉のストーリーを説明すると、とても喜んでくれるという。
オープンして1年。萬龍は、国内外からたくさんのゲストを受け入れてきた。最初は「こんな田舎になにしに来るのだろう?」と不思議に思っていた熊谷さん夫妻だが、彼らの目的はすぐにわかった。「日本一の星空」を謳うほど空気が澄んでいる隣の阿智村(あちむら)の「天空の楽園ナイトツアー」に参加しようと訪れる人が多いのだ。
少し困っているのは直前のキャンセルだ。サイトに掲載するキャンセルポリシー(無料でキャンセルできる期間など)は宿のほうで決めることができるが、オープンしたばかりでまだ知名度が高くない宿の場合、「前日までキャンセル無料」にすると閲覧率が高くなるなどのメリットがある。
「それでも、何週間も前から連泊で押さえられていた予約が前日にキャンセルされると、やっぱり痛いですね。だけど1年目はゲストに興味を持ってもらう“種蒔き”の時期だと思っているので、おいおい変更しようと思っています」
ゲストハウス運営で大切なことは、「いかにウエルカムか、ゲストにわかってもらうこと」と正行さんは話す。「ここに泊まってハッピーな気持ちで出発してほしい。それが伝わっているからか、みんな最後にハグして笑顔で帰っていきます」。
人生経験が豊富なシニア世代には、幅広い話題に対応できるという利点もあると熊谷さん。
「ゲストと話が合いやすいので楽しんでもらえるのはもちろん、私たちにとっても、いろんなバックグラウンドを持つ人たちと話すのは脳にいいみたいです。世界各国からやってくるゲストから刺激を受けて、毎日がとても楽しいです」
今後はゲストハウス運営の経験を積んで、飯田市街地の空き家を利用した2軒目のオープンも視野に入れているそうだ。
民泊「萬龍(ばんりゅう)」
住所:長野県飯田市龍江8582-1
☎090-6316-3283
基本料金:2人2万1505円+部屋清掃料3795円、3人目以降1人1万120円追加
アクセス:JR天竜峡駅から車で約15分
民泊「萬龍」の開業費用と売り上げ
【開業にかかった費用(概算)】
設備投資 170万円(エアコン、冷蔵庫、洗濯機など)
【売り上げ(概算)】
売り上げ 275万円(2023年5月~2024年8月の 1年4カ月分、修学旅行生を含む)
開業にあたり改修などは行っていません。日本の骨董品や海外の調度品が好きでずっと集めていたので、そういった家にあるものを活用しました。プライベートスペースは1階の一部と2階、それと敷地内にある別棟に冷蔵庫などの生活用品を置いて、居間兼キッチンとして使っています。
熊谷さん夫妻流 民泊を成功させるメソッド
- ゲストと話しながら「ここでどんな体験を期待するか」を聞き出し、食べ物やスポット、景色など、ゲストが求めている情報を提供
- 清潔さは最重要事項
- ゲストに喜ばれるプチギフトを用意する
- 収穫体験をしてもらえるように、小さな家庭菜園をつくる
熊谷さん夫妻からアドバイス
民泊について
民泊を選ぶ人は、現地の人と話すのが好きな人が多いと思います。だからこそ私たちホストは、民泊でしかできないことを常に考えることが大事。最初の受け付けでハウスルールなどを説明した際に、パンフレットに載っていない穴場や食べ物、珍しい体験ができる場所、飯田の水引など、地元のストーリーのあるお土産について情報を提供すれば、喜んでもらえます。また、こちらの人間性が伝わり安心してもらえるというメリットも。最近はスマホの翻訳アプリがあるので、語学ができなくても大丈夫です。
シニアでの開業について
お客さまは、世界中の国々からやってくる、幅広い年代の人びとです。そんな人とのつながりを楽しむようにすれば、この仕事は何歳になってもやりがいが感じられると思います。また、テレビで海外のニュースを見てゲストを思い出すなど、世界が身近に感じられ、日々の生活にもハリが出てきます。私たちの宿の場合ですが、体力的にはそれほど大変ではなく、掃除や布団干しができれば大丈夫だと思います。
飯田市移住支援情報
ワンストップで移住相談ができる
本誌「住みたい田舎ベストランキング」で毎年上位に入る人気の移住地である飯田市。農作業を手伝い合う「結(ゆ)いの田」が語源の、助け合い精神が根付いたまちだ。移住相談窓口では、空き家の紹介、就職や起業、就農、暮らしなど、あらゆる相談に対応。職業体験などに対する支援制度も充実している。毎月開催している移住者交流会は移住前の人でも参加できる。
問い合わせ:飯田市結いターン移住定住推進課 ☎0265-22-4511(内線5444)
https://www.city.iida.lg.jp/site/yuiturn/
移住者交流会は起業相談や異業種交流の場にもなっている。開催日など詳細は問い合わせを。
文/はっさく堂 写真/村松弘敏
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