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ボケても大丈夫!誰も一人ぼっちにしない。熱意から生まれた「認知症×お笑い」の発想。さらに町唯一のパン屋さんをオープン!日用品も一緒にお届け!?|鹿児島県住みます芸人「(仮)たろう」
執筆者:田舎暮らしの本編集部
全国に広がっている住みます芸人の笑いあふれる地域協力活動にフィーチャーした、「47都道府県エリアプロジェクト(あなたの街に“住みます”プロジェクト)」をレポートする本連載。
今回は、鹿児島県住みます芸人として活動する(仮)たろう(仮屋竹洋)さんをクローズアップ。認知症への理解を深める講演会の実施や、高齢者向けの様々な取り組み、配達するパン屋さんの開業など、幅広く活動する仮屋さんに話を伺いました。
鹿児島県住みます芸人
(仮)たろう
仮屋竹洋(かりやたけひろ)……1987年3月7日生まれ。鹿児島県肝付町出身。お笑いコンビ「キカンタレ」で活動後、ピン芸人に。NSC東京校16期生。芸歴13年。同期は、ダンビラムーチョ、ゆにばーす、しゅんしゅんクリニックP、バビロンなど。趣味は、歴史探訪、スポーツ観戦、高齢者との文通。特技は、日本史、サッカー。
2011年に後輩とお笑いコンビ「キカンタレ」を結成してデビューし、翌年には吉本新喜劇東京班に入門。2018年7月から地元である鹿児島県で住みます芸人としての活動を開始。2019年に認知症キャラバン・メイトを取得、高齢者向けの漫談講演会「明るく向き合う認知症講演会」を開催。2021年介護レクリエーション2級取得。2023年10月に日用品も配達するパン屋さん「ばあちゃんち」をオープン。2024年1月に肝付町観光親善大使に就任するなど、鹿児島県を中心に幅広く活動する。
住みます芸人歴:2018年4月~
活動拠点:鹿児島県
主な活動:鹿児島を拠点としたテレビやラジオなどのメディア出演。地域のイベントやお笑いライブへの出演。肝付町観光親善大使。鹿児島県を中心高齢者向けの講演会を実施。月額制の日用品も配達するパン屋「ばあちゃんち」を営む。
レギュラー:よしもと芸人パイナップルつばさと(仮)たろうの「霧島、ラジオやるってよ」(FMきりしま)
X(旧Twitter):@tkchan0307
Instagram:@Karichan0307
YouTube:オアスタジオ
【鹿児島県肝付町】 鹿児島県肝付町は、県の東南部、大隅半島の南東部に位置する町です。900年の歴史を持つ「流鏑馬(やぶさめ)」が有名で、毎年会場には多くの観客が集まります。また、あの小惑星探査機「はやぶさ」が打ち上げられたJAXA内之浦宇宙空間観測所があることでも知られています。町の中央部には900m級の山々が連なる国見山系《国見・甫与志(ほよし)・黒尊(くろそん)の三山》があり、たくさんの登山客が訪れます。 「僕のパン屋さんがある大隅半島は、高齢化率が50%を超える町もあり、日本の典型的な田舎そのものです。しかしその分自然豊かで、新鮮でおいしい食材や素敵な風景を楽しめる観光地があるのは大きな魅力です」(仮屋竹洋さん。以下、省略) |
誰も一人ぼっちにしない、地域のおじいちゃんおばあちゃんを安心させるために
鹿児島県で「住みます芸人」として活動する、(仮)太郎こと、仮屋竹洋さんは、地元である鹿児島県肝付町を中心に高齢者に向けた様々な取り組みを行っています。その背後には、芸人としての活動を超えた、深い人間愛と地域への貢献の姿勢があります。人々に笑顔を届けるための幅広い活動は、単に地域を盛り上げるだけでなく、なくてはならない存在として生活に根差しています。
芸人としての場数を踏むため、地元・鹿児島に戻って活動
2011年に4期下の後輩とお笑いコンビ「キカンタレ」を結成した仮屋さんは、デビュー翌年に吉本新喜劇東京班に入門し、間寛平、辻本茂雄、木村祐一、石田靖座長の公演に出演していました。しかし、東京ではなかなか成果が出せず、2人はお互いの地元である鹿児島県に戻ってコンビとしての場数を踏もうと決意します。
「実力を上げるため、修行として鹿児島で頑張り、また東京に戻ってこようと考えていました。2018年に鹿児島県の住みます芸人に就任してからは、様々なイベントやテレビにも呼ばれるようになり、東京に比べて確実に仕事も増え、色々な経験ができました」
ときには海外での仕事の依頼もあるほど充実した日々を送っていた仮屋さんたちに、地元・肝付町の観光親善大使任命の話が上がります。
「観光親善大使の見習いに任命されてから、改めて地元である肝付町について考えてみました。しかし、そんな中で次第にひとつの疑問を抱くようになったのです」
本当に自分がやるべきこととは何か? 地元の現状と課題を痛感
仮屋さんが生まれ育った町・鹿児島県肝付町は大隅半島の南東部に位置します。実は大隅半島は台風や大雨が多く、その度に停電になってしまうといいます。また、肝属川が氾濫すると、畑や道路が浸水し、交通手段が遮断されてしまいます。「陸の孤島」と呼ばれるだけあって、大雨被害を受けると、本当の意味で孤立してしまうのです。
「肝付町では、2人に1人が高齢者と言われています。実際、周囲を見てもおじいちゃんおばあちゃんばっかり。また空き家も多く、町がガランとしていて、住民たちはみな、町の過疎化と高齢化に不安を抱えているようでした。僕らがいくらイベントで漫才をして盛り上げても、その町自体はすごく寂しく、それより先に解決しなければいけない課題がいっぱいあることが分かりました。このとき僕は初めてこの町が抱える“本当の問題”に直面したんです」
鹿児島県では、左側にある薩摩半島に人口が集中し、町が活性化しています。一方で肝付町のある大隅半島は閑散としていて、過疎化が急速に進む地域。少子高齢化、増える空き家、閑散とする町…様々な課題を抱える肝付町の現状に気付いた仮屋さんは、自分がやるべきこと、自分にしかできないこと、地域に本当に必要とされていることを、真剣に考え始めます。
「せっかく地元の観光親善大使に任命されたのに、僕らが一番にやることは本当に漫才でいいのか……? そんな葛藤に駆られる日々を過ごしました。地域にいるのはほとんどが高齢者。であれば、何をすれば地域貢献、地域活性化になるのかといえば、おじいちゃんおばあちゃんの役に立つことなのではないかと思いました」
祖母の認知症をきっかけに、認知症についての勉強を始める
「自分のやるべきことに悩んでいたタイミングで、僕のおばあちゃんが認知症になりました」
昔からおばあちゃんっ子だった仮屋さんは、祖母が認知症になったことで、初めてこの病気に直面します。それまで話すことが好きだった祖母と会話ができなくなってしまい、次第に仮屋さんの心には「おばあちゃんを楽しませたい」という強い思いが芽生えてきました。
「おばあちゃんの認知症をきっかけに、もしかしたら他の高齢者の方々も『楽しまされたい、楽しみたい』と思っているのではないかと考えるようになりました。それなら、そんな人々を楽しませられるのは僕だけだ! その一心で認知症についての勉強を始めたんです」
その結果、仮屋さんは肝付町の推薦を受けて、認知症キャラバンメイトの資格を取得します。認知症キャラバンメイトとは、認知症サポーター養成講座を企画・開催し、講師を務めるというもの。講演の開催をきっかけに、住民から相談を受けたり、関係機関との連携を図ったりすることを通して、地域のリーダー役となる役割が期待されます。
また、同時に自治体が主催する福祉活動に参加したり、地域の人々と積極的に交流したりして、町の課題や要望など高齢者のリアルな声を取り入れていきました。
ボケてもいい! その代わり誰も一人ぼっちにしない。
「最初は祖母の認知症をきっかけに興味を持ち、勉強を始めただけであり、こんな素人の僕が認知症という重いテーマを扱っていいものなのかという不安がありました。そんなときにマネージャーから『ボケ防止にボケよう(仮)』という講演の企画を提案されたんです」
そのマネージャーの言葉に、仮屋さんは、芸人として笑いをテーマに認知症への理解を深める活動こそが、自分にしかできないことなのではないかとピンときたといいます。
講演を通して地元の高齢者との交流をする中で、認知症に対する意識を変える重要な転機を迎えます。
「地域のおじいちゃんおばあちゃんに実際に話を聞いてみると、みんな認知症に対して大きな不安を抱えていることが分かりました。ある方から言われた『認知症になることは悪いことなんですか?』という言葉に僕はハッとしました。確かに、僕らは認知症を恐れるあまりに、『防止』や『予防』などの言葉を使って、認知症を否定するような見方をしていたかもしれない、と気付かされたんです」
認知症はいくら予防・防止しても誰しもがなる可能性のある、予測できない病気です。仮屋さんはある方の一言で、認知症になることは全く悪いことではなく、決して負け組なんかではない、と大切なことに気付いたといいます。だったら、認知症を予防することよりも、認知症になってもそれを受け入れられる地域や環境があることを伝え、不安を拭ってあげた方がいいのではないかと考えるようになりました。
「いまだ完全な予防法や原因が解明されていない認知症に対して、少しでも不安を解消するために、僕は『ボケてもいいじゃん!その代わり、誰も一人ぼっちにしない』という方向に舵を切り直し、改めて動き出しました」
「認知症」×「お笑い」の融合。大盛況の講演会
仮屋さんは、芸人として「認知症」と「お笑い」を融合させた講演会を企てます。
東京時代、ルミネtheよしもとで開催される吉本新喜劇東京班の座員だった仮屋さん。新喜劇ではお決まりの「邪魔すんで」「邪魔するんやったら帰って」「はいよ~」というギャグが、実は複雑で難しく、テンポや身振りなどを意識して頭を使いながら楽しく実践できるのではないかと思い付いたといいます。そこでこのギャグを、認知症の講演会で高齢者の方々に実演してもらおうと考えます。
「これがまあ大盛り上がりだったんです。みんな体を大きく揺らしてグラングラン笑ってくれて。観ている側のおじいちゃんおばあちゃんも、失敗したら『ここはこうだよ!』とサポートしたりしていて、それを見たときに認知症とお笑いには意外な共通点があるんじゃないかと気が付きました」
お笑いでは、「ボケる人」がいて、「ツッコむ人」がいます。認知症にも、ボケる人に対して、サポートする人がいる。講演会を通して、こうしたお笑いの構造を認知症にも当てはめることで、本人だけでなく周囲の人も笑顔になることができるのではないかと考えます。
「これがまさに、僕らが目指していた『ボケても大丈夫! 誰も一人ぼっちにしない』というテーマを、体現できたような感覚でした」
さらにこの講演会は、高齢者の方々だけでなく、介護施設や福祉施設で働く人にも大きな影響を与えました。業界で深刻な人手不足が囁かれる今、現場で働く人々の負担は大きくなっています。しかし仮屋さんの講演を聞いて勇気を貰い、仕事を続ける決心をする介護職員がいたのです。
「高齢者の方だけでなく、現場で働く方からの言葉は、勇気と自信に繋がりました。講演会を始めた当初は自分たちが地域の人を支えようと思っていたのに、いつの間にか僕たちが勇気を貰う側になっていたんです。皆さんの言葉が、僕の心の支えになっていました」
遠方にいるおじいちゃんおばあちゃんと「文通」で交流
講演会を行っても、時間や距離の都合で関われる人は限られてきます。そこで、もっと地域のおじいちゃんおばあちゃんとの交流を深めたいと考えた仮屋さんは、文通を始めました。
「おじいちゃんおばあちゃんって、手紙の最初に必ず心配だったり気遣いの言葉を書いてくれるんです。『最近暑いですが体は大丈夫ですか?』とか、『無理しないでくださいね』とか。自分の話よりも、まず僕を気遣ってくれる言葉が嬉しくて、自分が手紙を送るときも同じようにしています」
文通を始めた当時はコロナ禍の真っ只中。接触の心配がない文通は活発になっていき、輪を広げていきます。最初は地元・肝付町のおじいちゃんおばあちゃんから始まり、今では県内に広く文通友達がいるといいます。
「手紙には僕が仕事で行った色々な場所の綺麗な景色や珍しいものの写真を同封するようにしています。高齢者の方々はなかなか遠くに行けないから、写真を見て実際に行った気分になってくれればいいなと思っています」
さらに、仮屋さんは文通だけでなく、ZOOMを使って交流の場を設けます。
「対面で話すことができない、話相手が欲しい、若い人みたいにオンラインでコミュニケーションを取りたい……コロナ禍では、そんな不安や寂しさを抱えているおじいちゃんおばあちゃんが多くいました。そこで開催したのが『ZOOMお茶会』です」
この「ZOOMお茶会」もとにかく大盛り上がり。リモートに慣れない様をみんなで笑ったり、貴重な過去の体験談を教えてもらったりと、参加者全員で楽しみました。
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