YouTubeで日々の暮らしを配信している萩原尚子さん。彼女が暮らすのは急峻な登山道を30分ほど歩いてたどり着く山の上の古民家。なぜ、そんなところに家が? そして、彼女は、なぜ、そこに暮らしているのか? 台風による孤立やクマの侵入などのトラブルも前向きに解決していくおばあちゃんの山暮らしを紹介。
掲載:2024年9月号
萩原尚子(はぎわらなおこ)さん●67歳
東京都渋谷区出身、幼少時代は日野市で育つ。1992年から檜原村で生活し、2017年から現在の古民家にイヌ、ネコ、ニワトリと一緒に暮らしはじめる。移住当初はヒツジもいた。子どもは3人、孫は8人。YouTube「やまんばぁチャンネル」で、山暮らしの日々を発信中。
東京都檜原村(ひのはらむら)
東京都西部に位置し、島嶼部(とうしょぶ)を除く都内唯一の村。人口は約20 0 0人。村の大部分は秩父多摩甲斐国立公園に含まれ、村域の9割以上が森林。村を西から東に流れる南・北秋川沿いに集落が点在している。村中心部までのアクセスは、公共交通機関はJR五日市線の武蔵五日市駅からバスで約30分。車は圏央道の日の出IC、あきる野ICからそれぞれ約15㎞(約30分)。
歴史ある古民家をこのまま朽ちさせたくない
高速道路のインターチェンジから檜原村の中心部まで約30 分。さらにカーブが連続する山道を30分ほど走り、案内された場所に車を止める。そこからは登山道だ。戦後に植林されたスギの林の中を、ちょっとずつ標高を上げながら歩いていく。一歩足を踏み出すごとに腰につけたクマよけの鈴がチリン、チリンと音を立て、静かな森に響きわたる。30分ほど歩いただろうか。頭上を覆っていたスギの林がパッと開けて青い空が現れ、その先に茶色いトタン屋根がちらりと見えた。標高約800mの尾根に立つ立派な古民家だ。ここにひとりで暮らしているのが、萩原尚子さん。67歳だ。
「山のばぁちゃんだからね。やまんばぁよ」とおどける萩原さんは、日々の暮らしを「やまんばぁチャンネル」と題したYouTubeで配信している。DIYで古民家を改修し、ハーフビルドで小屋を建て、チェーンソーや斧を使って薪づくりもこなす。台風や大雪で孤立したり、クマが出現したりして、ちょっぴりピンチを迎えてもそれを明るく切り抜ける。そんな元気なおばあちゃんである。
萩原さんの家に続く山道。並走するように福祉モノレールのレールが設置されている。
尾根が村の街道だった時代に建てられた古民家。地元の人の話から築200年前後になると推察される。
土台や柱の一部に傷みはあるが、まだまだ現役。部屋はきれいに片付けられ、ゲストルームとして利用。できるところをちょっとずつ修復中。
萩原さんが初めてこの場所を訪れたのは、ボランティアで空き家調査をしていた15年ほど前だ。
「そのときはまだ住んでいる方がいたんですが、立派な古民家なので、気になっていたんですよ。それから2〜3年後に空き家になったと聞いたんです」
この古民家は築200年を超えるともいわれ、わかっているだけでも6代にわたって暮らしが営まれていたという。近くに残る墓石に描かれた家紋が「蝶紋(ちょうもん)」であることから平家と縁のある家系とも想像され、そんな背景もあって萩原さんは、この古民家に惹かれていく。
「亡くなるまでここに住んでいた地主さんのご子息から古民家を何とかしたいという相談を受けて、私にできることがあれば協力したいなと思って。とりあえずきれいに掃除して、風通しだけでもよくしておこうと、ここに通うようになったんです。しばらくして、この古民家を買ってほしいという話が出て、ちょっと悩んだんですが、桃源郷のようなこの景色と古民家をこのまま朽ちさせたくない思いがあって、心を決めました」
子育てを終え、自分らしく自由に生きる道を選択
萩原さんの山暮らしは、じつはこれが初めてではない。檜原村に来たのは30年ほど前だが、そのときも集落から車が入れない道を200mほど歩いた山の中に暮らしていた。
「生まれは東京の渋谷なんですが、幼少時代は日野で育ちました。それから西へ、西へと流れてきて、結婚してからは日の出町に住んで、それから檜原ですね。檜原の最初の家も標高が660mある山の上でね。大工さんに協力してもらいながら自分たちで家を建てて、畑で野菜を育てたり、薪づくりをしたりというような暮らしをしていました。そこで3人の子どもを育て、いろいろなことが落ち着いたら、なんか誰にも気兼ねなく、好きなことをして自由に生きたいという思いが湧いてきちゃったんですよね。それで夫に相談して〝放牧〞してもらったんです(笑)。それが17年くらい前かな」と、これまでの暮らしを振り返る萩原さん。
その数年後にこの古民家と出合う。購入の話が出た当初は、予算的なこともあり、萩原さん自身で入手するつもりはなく、誰か住む人がいないか探したというが、山の中のポツンと一軒家に暮らしたいという人はなかなか見つからない。とはいえ、誰も住まなくなれば、自然に飲み込まれてしまうまでにそれほど時間はかからない。そうなってほしくはなかった。萩原さんはこの古民家にほれてしまったのだ。それまでの山暮らしで得た知識と技を改めて実践してみたいという気持ちもあった。懸念していた費用は「無理のない金額でいいよ」と地主さんも好意的に相談に乗ってくれた。このとき萩原さんは60歳。新たな山暮らしが始まったのである。
最近は足腰が弱くなってきて薪割り機に頼ることもあるが、斧を使っての薪割りも手慣れたもの。その様子は「やまんばぁチャンネル」で視聴できる。
最近のお気に入りアイテムは、電動の手押し車(一輪車)。重い荷物を楽に運べるし、坂道もぐいぐい進む。
庭木を切ったり、丸太を玉切りしたりするためのチェーンソーは山暮らしの必需品。もちろんメンテナンスも自分でやる。
道路から離れた山の上に家がある理由とは
檜原村には、萩原さんが暮らす古民家以外にも、車が通れる道路から離れた山の上に古い家が点在している。ほとんどは空き家だが、人が住んでいる家もある。なぜ、不便な山の上に家があるのか? その理由は、檜原村では道路が整備される以前、徒歩が主な交通手段だったころは、山の稜線(りょうせん、尾根)が村のメインストリートだったからだ。そのため、尾根沿いやそこから延びる谷筋に集落がつくられたのである。その後、南・北の秋川沿いに道路が整備されると山に住んでいた人の多くは道路沿いに移転した。
現在も尾根沿いの家に住んでいる人は、萩原さんと同じように山道を歩いて生活している。大半は昔からそこに住んでいる人たちで、それが当たり前のこととはいえ、年を重ねると楽ではない。重い荷物があればなお大変だ。そこで、村では尾根沿いに住む人の生活利便性を改善する目的で、村内に5路線の福祉モノレールを設置。萩原さんもこのモノレールを利用して山道を行き来している。
「通いで管理していたころは、まだ50代で体力もあったので山道を歩いていたんですが、年を重ねると足腰が弱ってきてちょっとキツイんですよ。モノレールがないと、ここでの暮らしは難しかったかもしれませんね」
しかし、そのモノレールが使えなくなったことがある。
「昨年5月の台風による豪雨で、山の木が倒れてレールが寸断しちゃったんです。歩いて山を下りることはできたけど、股関節を痛めていたこともあって、下りたら最後、登ってくることができなくなる。それでモノレールが直るまで山での孤立生活を選びました。ところがなかなか直らなくて、2週間ほど山でがんばったんですが、通院もあったし、備蓄しておいた食料も少なくなってきたので、その後は、モノレールが直るまで20日ほど山を下りて街で暮らしました。まぁ、こういうトラブルはある程度想定しているので、そのときどきをどうやって乗り切るかはそれなりに考えています」
その言葉には、これまで山暮らしをしてきた経験から裏付けられる自信が感じられる。
昔の街道である浅間尾根から望む萩原さんの古民家。かつての人たちは、この山の中で自給自足に近い暮らしをしていた。
麓と萩原さんの家をつなぐ福祉モノレール。3人が乗れる乗用台車と荷物台車の編成で動力はガソリンエンジン。原則、対象住民以外は利用できない。
生活の場はハーフビルドしたタイニーハウス。現在も足場が組まれており、日々工事中。しばしば友人たちも手伝いに来てくれる。
バンドを組んで音楽活動も。ギターは10代のころからたしなんでおり、歌声も素敵。
青森県の蛯名(えびな)鉄工によるハンドメイドのオーブン付き薪ストーブ。
山暮らし最大のピンチ! 古民家にクマ侵入!
こういう環境だから野生動物も現れる。やっかいなのはサル。家の周りには40頭ほどの群れが暮らしており、油断すると電柵で囲んだ畑にも侵入しようとするし、カキやクワ、ユズが実る季節は争奪戦だ。サルに先手を取られると1日でカキがなくなることも。
クマに遭遇したこともある。
「イヌの散歩をしていたときに山道で遭ったんです。親離れをしたばかりの若いクマだったんですが、20㍍くらい離れた斜面の上からウォ〜、ウォ〜と2回吠えられました。気を悪くしないように『すみませ〜ん』と謝ってゆっくりあとずさりしながら距離をとっていくと、クマのほうも『ごめん、ごめん』という感じで申し訳なさそうに山の上に去ってくれたので、それ以上は何もなかったんですけどね。クマにしても人間には会いたくないんでしょうね。お互い〝来ないでね〞っていう気持ちで、棲み分けできていたんですよ。ええ、それまではね」
ところが昨年秋、事件が発生した。古民家にクマが侵入したのである。
「普段、私が暮らしているのは、古民家の隣に建てた小屋なんですけど、その日の夜は、外でガタゴト、ガタゴト大きな音がしていたんですよ。これはクマだなと思ってね。翌朝外に出てみると古民家の雨戸が開けられて、中に入られていたうえに漬けておいた梅酒の瓶がからっぽになっていたの。ふたを開けられてすっかり飲まれていた。薬草を浸けたチンキも飲んじゃって、消毒用のアルコールまで。よっぽどお酒が好きなクマだったんでしょうね。次の日は、二日酔いだったんじゃないかしら」
事件後はすぐに役場に相談し、地元の猟友会に周辺を見回りしてもらったり、爆竹やロケット花火を鳴らしたりという対策をとっていたが、その後も庭のカキを食べにきていた様子がある。そこで、樹齢100年を超えるカキの木を伐り、家の周りの藪を刈ってクマとの距離をとることに。幸いにもそれからは近くにクマの気配はない。
家の裏の畑では、季節ごとにさまざまな野菜を栽培。周囲に網を張り、電柵を回してサルなどの侵入を防いでいる。
初夏の畑にはエンドウ、ソラマメ、ニンニク、ジャガイモ、イチゴなどが育っていた。
山暮らしの相棒リュウちゃん。野生動物の気配を感じると真っ先に教えてくれる用心棒でもある。
ネコのブチコちゃんはこの山に来る前からの10年以上の付き合い。
草花を植えたり、枝でアーチをつくったりして、ガーデニングも楽しんでいる。山暮らしはやることがいっぱい。
「こんなことがあると『山を下りたほうがいいよ』と心配してくれる人もいるんですけど、動物たちがいるのは当たり前だし、山を下りることでかえってここがエサ場になっちゃうのも困る。周りの人に心配はかけたくないけれど、何とかうまくやっていきたいと思っています」
人里離れた山の上のポツンと一軒家。その暮らしは不便で、大変なことも多いように思えるが、萩原さんは「土や水や草木などの自然が身近にあることがむしろ安心できる」という。動物たちがそうであるように、この環境で生きるための知識と経験と実力があれば、これほど自由に暮らせる場所はない。体力的な限界はいつか訪れる。そのときが来たら無理をするつもりはない。いつ山を下りてもいい。
でも、今はそのときではない。まだまだやりたいことがある。
「私は、ここが大好き!」
心からそう言える素敵な日々がここにある。
茅葺き屋根をトタンで覆った入母屋(いりもや)造りの立派な古民家。こんな山の中でも電気は来ていて、光通信も整備されている。ガスはプロパン、水は沢水だ。
愛犬リュウちゃんとの散歩には、クマよけの鈴が必須。自然いっぱいの環境はイヌにとっても気持ちよさそう。
文・写真/和田義弥
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