富山湾に面し、新鮮な海の幸と里山など自然に恵まれた人気の地、富山県氷見市は“ハンドボールの聖地”としても全国に知られています。しかし、多くの日本の地方と同様に過疎化が進んでいます。ハンドボールでも、中学・高校は強豪校を有しますが、選手は卒業後、都会に出ると戻って来ない傾向が強いです。氷見市にトップリーグのチームがなかったことがその理由です。
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“持続可能”なスポーツチームのモデルを作る
母校を日本一に!そして次の夢へ・・・
1958年の富山国体で、地元の県立氷見高校ハンドボール部が日本一に輝いたことも追い風となり、小学生から一般人までハンドボール熱が高く、2005年からは中学生世代の三大大会の一つ「春中ハンド(春の全国中学生ハンドボール選手権大会)」が開催されていることから“ハンドボールの聖地”として全国に知られるのが富山県氷見市です。
日本でも有数の「ハンドボールの町」ですが、実は2022年までトップリーグにおける男子のチームは存在しませんでした。そのなかで2022年3月に創設したのが「富山ドリームス」です。その誕生の経緯を、現在、氷見高校の校長であり、一般社団法人富山ドリームスの代表理事を務める徳前紀和さんに伺いました。
氷見市出身の徳前さんは小学生で氷見高校のハンドボールと出会い、日本一になりたいという想いでハンドボールを始めました。憧れの氷見高校でもプレーしましたが、選手としては夢に届きませんでした。そして、教師となって43歳の時に氷見高校に赴任。母校を日本一にしたいとの想いでハンドボール部を指導し、紆余曲折を経て2018年に春選抜、夏インターハイ、秋の国体と全てのタイトルを獲得する”高校三冠”を達成しました。
小学生で氷見高校の魅力に取りつかれ、選手では成し遂げられなかった日本一を指導者で達成した徳前さん
「ある意味、指導者としてはやるだけやりきったかなという思いでした。勝ったことに対して取材も受けましたが、私は過去のことより、未来をどうするかに心がすでに動いていたので、未来の話をしていました。全国トップで、世界でも活躍するこの子たちの将来はどうなるんだろうと思った時、『何が足りないの』と生徒たち自身やその周囲に聞くと、『(トップ)チームがない、(氷見市には)勤める企業がない』と言うんです。私自身はそんなことはないと・・・。人口減少が加速化して、人手不足でも地方にはお金があってアイデアもあります。人手不足で新しい事業を展開できなくても優秀な企業はたくさんあるんです。そういうことは高校生が知る由もなく、大学生も知らない。その両方をwin-winにできないかと思いついたのが、この『富山ドリームス』という発想でした」(徳前さん)
そこで手始めに、当時の全日本学生のトップ3チーム(筑波大学・日本体育大学・明治大学)を招き、それに加えて、教え子の安平光佑選手をはじめとする、3つの大学の富山県出身者で構成されたチーム「富山ドリームス」の4チームでのトーナメント「富山ハンドボーラーズDAY2019」を氷見市と高岡市で開催しました。結果、有料ながら2日間で4600人の観客を集め、「これはやれる」と確信したことで法人の立ち上げに動き出しました。
「常々思うんですけど、プロという言葉の定義が極めて曖昧。それだけで食べている人のことをプロという理解が一番多いと思うんですけど、僕のように法人を経営している立場からすると、その法人が回らないのにプロってどういうことですか?って思う。チームの運営会社が、その価値そのもので経営が成り立ち、いずれ選手に還元できてこそ、プロと考えています」(徳前さん)
そこで打ち出したのが「デュアルキャリア」でした。選手は、日中は企業で社員として働きながら、夜や週末にハンドボール選手としての練習や試合を行うというスタイルです。
入団の決め手は「デュアルキャリア」
現在、チームでキャプテンを務める青沼健太選手は千葉県出身。中学でハンドボールを始めた青沼選手は、早稲田大学でもハンドボールに打ち込み、富山ドリームス以外でもトライアウトを受け、いくつかのチームから合格をもらっていたのですが、富山ドリームスへの入団を決めました。その決め手となったのが「デュアルキャリア」でした。
ハンドボールが終わった後の自分の人生を考え「いろんな仕事を体験したい」と言う青沼選手
「実業団チームやクラブチームは経営が困難という話を何度か聞いたことがありました。かつ選手たちも、主は競技活動でなかなか地域に根付かないってところがハンドボール界の課題と僕は考えています。選手はスポーツをするだけでいいのかという疑問が間違いなくあった。そこで僕はこのチームに入ると同時に、自分がやりたい方向性と合うと感じた富山銀行にお世話になっています。まさに今所属している部署も、入行前からいきたいと思ってた部署に配属させてもらっているので、僕は1 ミリもミスマッチなくやらせてもらってます」(青沼選手)
目の肥えたファンとともに成長を実感
地域貢献が先にあった
富山ドリームスの選手は、仕事とハンドボールだけでなく、地域から要請があれば何でも応えるというスタンスを取っています。地元で行われた夏の祇園祭では選手が太鼓台を引いて町を練り歩きました。そこにも若い人の減少という地域の切実な現状がありますが、徳前さんはそこで学びがあったそうです。
「うちのガラスが割れたとき、つけてくれた職人さんが僕の名刺を見て、『富山ドリームスにほんと感謝しているんです』と言うんです。『どういうことですか?』って聞いたら、お祭りで手伝ってもらったと話をされました。多分そういった話が僕らの知らないところでたくさんあるんだろうなって・・・。地域貢献の形は、ハンドボールで地域を盛り上げることだと思っているんですけど。それより先に、認知していただくための地域貢献が先にあったんだな、と学ばせてもらった感じです。ちなみに現在、富山銀行さんでは『富山ドリームス応援定期積金』をやっています。口座を作ると選手がサインをする。いろんなところでそういうことが起きています」(徳前さん)

青沼選手は、氷見市ならではの驚きも感じたそうです。ハンドボール熱がある町だけにファンの観戦も独特だとか。
「仕事を始めて、結構勉強しないといけない立場です。ある日ファミレスで勉強していたら、後ろの席で全然知らない人がドリームスの未来を語っていました。『もっとこうした方がいい』とか、『あいつらもっとこうできたらいいのにね』、『今はこんな感じでいいよね』とか。はたまた厳しい意見で『こんなんじゃダメだ』みたいな。賛否両論はもちろんどんなことでもあるんですけど、最初は怖い町だと思いました(笑)。会社の方も観戦に来てくれるんですけど、『ここをこうやって狙えばもっと良くなるのに』とか。具体的な指示が飛んでくるんです。試合終わりに『なんであそこ狙わんがけ』とか言われて。そういった目の肥えたファンにも応えないといけない」(青沼選手)
社会やハンドボール界に疑問を持ってほしい
理想の仲間と将来
最後にお二人に、どのような選手が富山ドリームスに合うのか。そして、将来の目標を伺いました。
「一言で言うのはなかなか難しいですけど、常に疑問を抱いている人。会社って本当にこのまま進んでいいのか?の連続じゃないですか。判断の連続、選択の連続。そういうのを今まで続けてきた人だったり、これから自分はもっとこうなっていくべきだと思ってるような人。信念とか疑問符を持っている人がドリームスにはすごく合ってると思います。
僕は就活の時から言い続けてたのは、僕が今まで得た知見や考えを後世に、次世代に残していく。そのための仕組み作りとか、伝える力、聞く力を身につけたい。スクール事業も始まり、ドリームスの選手としてやってますが、ハンドボールをする、しないに関係なく子どもたちにも『生きていく上で幸せのつかみ方ってこうだよ』みたいな、定義付けられるものだとは思わないんですけど、こういう考え方できるよねって。違う景色を見せてあげる。違う考え方を納得させてあげられるような人間になりたい」(青沼選手)
「まさにその通り。社会そのものに対しても、どうあるべきかという考えを持った選手に来てほしい。最初にお話ししたように、ハンドボール界にとっても、社会にとっても、経済社会にとっても、そして地元にとっても、それはwin-winを作り出すわけです。
目標はもちろん日本で一番強いチームになること。うちのチームの仕組みを参考にしたり、さらに発展させてもらうことによって、ハンドボールそのものが発展するはずです」(徳前さん)
現在のメンバー21人中、地元出身者は3人だが、今後は氷見を巣立った選手が帰ってくる場所にしたい
マッチング事業や高校の全国募集
富山ドリームスが氷見市や富山県内で選手と企業をマッチングした事例をきっかけに、ハンドボールだけでなくスポーツ界全体、さらに国内各地方の課題を解決する事業も始めています。
「私は公務員なので、コミットはしない形で出資だけしているんですけど、2024年から『ドリームキャリア富山』という事業も始められ、マッチングは相当数の実績を上げています。初めてのことで生活力などについて不安もありますが、4月から富山ドリームスとして初めて県外からの高校生を選手として採用します。支援していただくことに理解いただいている企業さんに雇っていただきます。地元企業にしたら高校生がほしいという部分もあります。相互のニーズに応えつつ、相互のwin-winを生み出せたらと考えています」(徳前さん)
実業団チームの休部が続くなか、プロチームの在り方に一石を投じる富山ドリームス。徳前さんはデュアルキャリアの経験を活かし、学生アスリートを対象にしたキャリアセミナーに登壇するなど、活動の場を広げています。持続可能なプロスポーツチームのモデルとして、トップリーグで3シーズン目を迎えた富山ドリームスは堅実に、そして一歩一歩確実に成長を続けていま移住
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マイヒーロー
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