移住を機に店舗経営に挑戦したいと考える人は多いが、実際のところ、のどかな中山間地域での運営は可能なのだろうか。飯田市の山間の集落で喫茶店とギャラリーを営む可知さん夫妻を取材すると、お金だけでは推し量れない田舎カフェの魅力が見えてきた。
掲載:2024年6月号
長野県飯田市にある「珈琲 風(ふう)」の前で可知さん夫妻。道路から1段上がったところに立つ大きな古民家を改修。喫茶店、ギャラリー、自宅スペースはすべて1階にあり、2階は博之さんが仕事場として利用している。
「珈琲 風」がある千代地区。のどかな風景と山並みが美しい飯田市の中山間地域だ。
長野県飯田市(いいだし)
長野県南部の主要都市。動植物の北限と南限が交差し、東西の文化が融合するなど多様性に富む。将来、リニア中央新幹線で首都圏とつながることから、利便性を享受しながら多彩なライフスタイルが選択できるまちとしても注目されている。東京から中央自動車道経由で約3時間15分、名古屋から東名高速自動車道、中央自動車道経由で約1時間20分。
南信の山奥で出合えた築100年超の古民家
長野県南部に位置する飯田市。南・中央アルプスに挟まれ、南北に流れる天竜川(てんりゅうがわ)が日当たりのよい谷地形を形成する、自然と景観に恵まれたまちだ。
飯田市街地から三遠南信(さんえんなんしん)自動車道経由で約30分、日本の棚田百選に選定された「よこね田んぼ」のある中山間地域、千代地区に到着した。川沿いの道から1段上がったところに立つ古民家が、可知博之(かちひろゆき)さん・香代子(かよこ)さん夫妻が営む「珈琲 風」だ。
「2015年に愛知県長久手市(ながくてし)から来たんだけど、こっちには知ってる人がいなかったから、喫茶店をやれば知り合いが増えるかなと思って始めたの」
手動のミルでコーヒー豆を挽きながら、香代子さんはそう言って笑う。
コーヒーはオリジナルブレンド1種類のみ。オーダーが入ってから豆を挽き、ペーパーでドリップする。ドリンクはほかに、紅茶や緑茶、リンゴジュースなどがある。
取材は3月末だったため、写真は緑も花も少ないが、「4月半ばになれば、このあたりのサクラがいっせいに咲いて、もう本当にきれいなの」と香代子さん。庭の山野草も、そのころから咲きはじめるそうだ。
博之さんは岐阜県中津川市(なかつがわし)、 香代子さんは愛知県豊田市(とよたし)出身。博之さんの職業は設計士で、長久手市の個人事務所で商店建築のデザインを中心に請け負ってきた。
「長久手はいいところだったけど、だんだんと緑が減ってしまって。それで、自然のなかで暮らせる家、できれば古民家を探していました。でも愛知ではなかなか見つからず、よく山の風景を見に来ていた長野の物件も見ることにしたんです」
ある日、インターネットでこの古民家を見つけ、南信州へ小旅行をするついでに内覧に立ち寄った。
「それまでいろいろな物件を見てきたけど、古民家は空き家になってから相当時間が経っていて、なかなか難しい状態のものが多かった。でもここは売りに出された直後で、まだ所有者の方の引っ越しもすんでいなかったんです。ひと目で気に入って、帰りの車内ではすでに購入を決めていました」
店舗のレイアウトは専門家である博之さんが担当。これまで見た古民家よりも状態はよかったが、それでも築100年を超えているため、修繕箇所は多かったそうだ。
「最初、地元の工務店にお願いするつもりだったのが、『古民家はフタを開けてみないとどんな状態かわからないから見積もれない』と言われちゃって。それで、知り合いの大工さんにお願いすることにしました」
改修には博之さんも参加。3間続きだった部屋をぶち抜き、床を落として土間の店舗スペースに変えた。本当は吹き抜けにしたかったそうだが、大工さんに「寒いからやめとけ」と止められて、代わりに天井を外して梁(はり)を見せることにした。
「ほかにも畳がフカフカしていたり、建具が動かなかったのを縁の下に潜って補強したり、けっこう大変でしたよ。3カ月くらいかかりました」(博之さん)
クリエイティブな博之さんと、おしゃべりが大好きな香代子さん。薪ストーブは長野県中川村(なかがわむら)の薪ストーブデザイナー・イエルカ・ワインさんが制作した「桃」。
和室3間をリノベーションして店舗スペースに。店名は、目の前の米川(よねがわ)から吹き上がる川風が心地よかったことから、「かぜ」よりやさしい響きの「ふう」とつけた。
メニューを絞り、喫茶店営業を再開
香代子さんは、27歳から子どもが生まれるまでの4年ほど、豊田市で喫茶店を営んでいた経験がある。国道沿いで、コンビニも少ない時代だったので、とてもにぎわったそうだ。
「当時はネルドリップのコーヒーとか、サンドイッチやピラフが人気のお店だったの。今は場所が全然違うから、メニューは少なめです」(香代子さん)
コーヒーは、名古屋の専門店から取り寄せるオリジナルの「風ブレンド」1種類のみ。注文が入ってから豆を挽き、美濃焼(みのやき)の作家につくってもらったカップに注ぐ。
フードはパスタやカレーなどが中心。人気の冬季限定「焼きカレー」は、カレーライスに卵とチーズをのせて、薪ストーブのオーブン室でアツアツに焼いたもの。地元のお母さんたちが、何かの集まりのときに立ち寄ってくれることもあるので、白玉ぜんざいも用意している。
風ブレンド(550円)。夏はアイスコーヒー(550円)もオーダーできる。コーヒーカップは展示会で知り合った美濃焼の若手作家に依頼してつくってもらったもの。
いちばん人気のランチメニュー「焼きカレー」。卵とチーズをのせたカレーを薪ストーブのオーブン室で焼いた一品で、ミニサラダとミニデザート付きで1400円。冬季限定。
ご近所さんに人気の温かい白玉ぜんざい(単品550円、コーヒーとセット900円)。ほかに、チョコレートケーキやアイスクリームなどの甘味もある。
店内には絵画や切り絵、年代物の調度品や食器が和洋折衷に並べられ、まるで異国のアンティークショップのよう。喫茶店スペースの隣には、和室2室を使った博之さんのギャラリー「あとりえ-K」もあり、こちらにもさまざまな芸術品が展示されている。
「絵は作家さんの作品のほか、息子が趣味で描いたもの、私がつくった切り絵なんかもあります。骨董品は、もともと古いものが好きで集めていたものを、終活のつもりで売ったりしてるんですよ」(博之さん)
国内外を問わずいろいろな土地から集められたものが集積しているのに、まるで物語のように統一された世界観がある。そう話すと、「古民家は、洋でも和でもエスニックでもすべて吸収して、それぞれを引き立たせるのかも」と博之さん。
玄関の引き戸を開けると現れる、和と洋がモザイクのように入り交じる空間。右の扉を開けると喫茶店、左に進むと博之さんのギャラリー「あとりえ−K」となる。
「石や端材を見ていると『これでクジラをつくろう』とか思いつくんです。木目を空に見立てたりね」と博之さん。「設計も、CADより手描きが好きです。手で引く線のほうが、膨らみをもたせられる気がするから」。
この小さなスケッチブックは、博之さんのイラスト入りメニュー。いろいろな店で食べ歩きをしたときのイラスト日記も読むことができ、見ているだけで楽しい!
「この家を建てた人は趣味人だったようで、特に庭園はこのあたりでいちばんらしいです」と博之さん。剪定など、庭木の手入れも自分で行う。
集客については、どのような工夫をしているのだろうか?
「ホームページをつくって発信してはいるのですが、更新するのを忘れちゃうんです(笑)。でも、最近はSNSで店を紹介するのが好きな人が来てくれたり、その記事を見て、遠くからわざわざ来てくれる人もいますよ」(香代子さん)
冬はお客さんが減るので、冬季休業を考えたこともあったそうだが「自宅兼店舗で、家にいるんだから来た人をおもてなししたい」と、通年営業を続けている。
「なんでここでお店を?ってよく聞かれるけど、私たちの場合は『誰かと話したかったから』。薪とか草取りとかやることはたくさんあって、いつも忙しくしているけれど、お客さまとおしゃべりしたり、散歩中に近所の人と話したり、店番しながら本を読んだり、そんな毎日が楽しいの」(香代子さん)
アンティークやアートに囲まれた、可知さん夫妻の日常。喫茶店を開くことで、人びとが立ち寄り、その世界観に触れることができるようになる。田舎で喫茶店を開くということは、その土地に、誰かにとって大切な居場所をつくることなのかもしれない。
毎日1時間の散歩が日課という香代子さん。「もう本当に“ 歩き魔” で、いろんなところに行って、誰かと会ったらおしゃべりするの」。4月から5月にかけてが、歩いていていちばん気持ちのよい季節とのことだ。
「喫茶 風」の改修費と売り上げ
「知り合いの大工さんにお願いし、自分でもDIYをしたので、改修費は相場より安いです。お客さんの数は、季節や天候によって変動します」(博之さん)
可知さん夫妻からアドバイス
喫茶店開業について
喫茶店でしっかり利益を上げたいのなら、田舎でも比較的人が多い地域や、お客さんになりそうな人がいるエリアなど、営業する場所を選んだほうがいいかも。あと、喫茶店をやりたい人なら、コーヒーやケーキ、パンなど、なにか得意なメニューがあるとよいと思います。何度も試作しブラッシュアップして、「うちはこれがオススメ」と言える看板メニューをつくってみては。
シニアでの開業について
私たちの場合ですが、「儲けよう」というよりも、とにかく楽しもうと思っています。そのためには、家賃が発生しないように自宅兼店舗で営業するのがオススメです。また、ロスを出さないようなメニュー構成にすることも大事。店の改装も、すべてプロにお願いすると高くなるので、できそうなところは自分でDIYしても。最後に、喫茶店は意外と体力を使います。冬は休んで体力を温存するなど、ムリをしないことを前提で!
「珈琲 風(ふう)」データ
住所:長野県飯田市千代1128-1
☎080-3063-0850
営業時間:10:00~16:00
定休日:火・水曜(ほか臨時休業あり、事前に確認を)
https://ko-hi-fuu.jimdofree.com
※データや掲載内容は、記事作成時点のものです。
飯田市移住支援情報
人とつながる「結(ゆ)い」のまち
農作業を手伝い合うことを意味する「結いの田」が語源の飯田市。ワンストップの移住相談窓口を設置し、住まい、就職や起業、就農、趣味や暮らしなど、移住に関するあらゆる相談に対応。移住前からの関係性づくりに力を入れていて、職業体験や地域を知るための暮らし体験に対する支援制度も充実。移住前から参加できる移住者交流会も定期的に開催。
問い合わせ:飯田市結いターン移住定住推進課 ☎0265-22-4511(内線5444)
https://www.city.iida.lg.jp/site/yuiturn/
毎月開催される移住者交流会。移住前から参加できるので、まちの様子を知ったり、関係性を構築したりできる。次回開催日など詳細については問い合わせを。
文/はっさく堂 写真/村松弘敏 写真提供/長野県飯田市
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