生まれ育った佐渡島へUターンした古玉かりほさん。解体寸前だった築112年の洋館を破格の安さで譲り受けたものの、想定される修繕費は約5000万円! 手持ちの資金ゼロ、建築知識ゼロ、地域での人脈ゼロ。古玉さんが語るオールゼロからの改修劇とは?
掲載:2025年8月号
古玉かりほ●生まれも育ちも佐渡島。東京の大学を出て編集者、美術館の学芸員を経て、2018年にUターン。旧若林邸に出合い、一般社団法人佐渡古文化保存協会を設立。人口減少により維持が困難な神社仏閣の活性化のため、2024年から宿坊運営も開始。
新潟県佐渡市(さどし)
「解体するなら私にください」が洋館再生の始まり
たくさんの皆さまの寄付や支援金のほか、佐渡で起業すると応募できる「佐渡市雇用機会拡充事業補助金」に採択され、大きな工事を実施。来年
はホテルとして開業する予定です。(古玉さん 以下省略)
遡ること7年前、Uターンしたばかりのころは、仕事もない、お金もない、家もない、両親はいるけど友人知人もいない状態でした。とりあえず実家に身を寄せて、時間だけはあったので前から好きだった蔵巡りをしようと、まちあるきを企画したのがピンクの洋館(通称:旧若林邸)との出合いです。大きな味噌蔵を見学させてもらったときに、そこのご主人が旧若林邸を所有しており、重荷だから解体したいという話を聞きました。
邸を見せてもらうと、どうやら一級品の様子。文化財クラスの建物が解体されるのは、佐渡の宝物を失うに等しいと考えました。逡巡した結果「解体するなら私にください」と言って、10万円で譲り受けました。
ここからが怒濤の日々の始まりです。建物を改修するためには、お金が必要。お金がないなら仕事をつくろうと、そうして立ち上げたのが一般社団法人「佐渡古文化保存協会」です。
法人を設立して真っ先に実行したことは仲間集め。各種SNSのアカウントをつくり、情報発信に力を入れました。すると、この洋館が元は町医者の建物だったこと、戦時中の学童疎開先だった話、和太鼓集団「鼓童(こどう)」の前身となる鬼太鼓座が拠点にしていたことなど、昔のエピソードを聞かせてくれる人が現れて、徐々に建物の歴史がわかってきました。
その後、サポーター制度を導入し、現在では北海道から九州まで約100名が登録、この古い洋館を支えてくださっています。ゼロから始まり、苦難の連続だった旧若林邸の改修ですが、来年にはホテルとして開業予定です。
旧若林邸で一番貴重な部屋、西洋館の2階。
ゴミ屋敷の状態だった内部は、内装工事をせず掃除だけできれいに!
サポーター「障子紙張替え隊」の皆さん。とても心強い味方です。
保存活動を行う際の4 カ条
「保存活動だけでなく、移住した際には地域の人と仲よくすること。①挨拶、②お互いさまおかげさまの精神(頂き物をしたらお返しを忘れずに)、③拠点を構えたら区長に挨拶し区費を支払う、④集落行事や祭りへの積極的な参加。これらを忘れずに!」(古玉さん)
文・写真/古玉かりほ
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