掲載:2022年2月号
57歳のときに映画『たそがれ清兵衛』で俳優としての活動を始めるずっと前から、ダンサーとして世界を舞台に踊ってきた田中泯さん。そのあまりに独自な踊りを記録したドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』が公開されます。作品としての定型を持たず、ジャンル分け不可能。その場を感じて動き、観る人の心を揺さぶり、その間に生まれるなにものかを凝視する――。ライブでしか体験できないはずの泯さんの踊りをいかに記録したのでしょう? 泯さんの考える踊りとは? 山里での暮らしも含め、じっくりお話を聞きました。
記録できない踊りをドキュメンタリー映画に
田中泯さんの踊りを初めてライブで観たときは衝撃だった。流行りの振り付けを競ったり、芸術的に物語を表現する踊りとは異質。動いて……ないかも!? みたいなゆっくりした動きやささっとした足さばき。ふと流れる音楽に乗ったり乗らなかったりするさまに心をつかまれ、観るこちらの細胞まで覚醒するよう。これは何!?と驚いた。
「踊りはあくまでライブなもの、観客と共有されるその時間と空間は絶対に戻ってきません。踊りの映像をそのまま再生しても空っぽだとしょっちゅう感じてきました。皮膚と皮膚の間にあるもの、『空気』で伝えるものが、少なくとも僕の踊りにはあると思ってます。それはきっと人間が古代からず〜っと持ち続けてきたものであり、人間の能力のかなり大事な部分なんじゃないかな。ジェスチャーではなく、間違いなく言葉を超えていて、あるいは言葉以前のものと、あえて言いたいです。そういう踊りをそのまま映像で記録したんでは、どうにも伝わりません」
そんな泯さんの踊りをドキュメンタリー映画に。この無謀な試みに挑んだのは映画『メゾン・ド・ヒミコ』で泯さんを俳優として起用した犬童一心(いぬどういっしん)監督だった。「踊りは所有できない」と考える泯さんは、踊りを全部つくり替えて構いません!と託す。そして映画の冒頭、「始まりの踊り」。ポルトガル、サンタクルスの石畳にうずくまる泯さんの横顔。その無音の数秒で、ライブでの衝撃が蘇る。踊りが、確かに映っている。
そこからは一気に映画を観る感覚が吹き飛び、泯さんの踊りの世界へのめり込むことになる。
動きだけでは踊りはまだ半分
泯さんはあるときから自身の踊りを〝場踊り〞と名付けた。池袋の劇場前の広場、広島の能舞台と、いまいるその場と踊る。無表情にスマホを向ける若い男、レジ袋を持ったおばちゃん。居合わせた人の鑑賞態度はさまざまだが泯さんは意に介さず踊り、一瞬で場の空気を変える。
「いろいろな見方があって当たり前で、もちろんドキドキしますよ。あれはどういう人だろう? 何があった?と。室内で踊っていても席を立つ人がいると、どきーんどきーんとして。トイレだろ? お願いだから戻ってきて!とか(笑)」
踊っているとき、泯さんの思考は猛烈な速度で動いている。
「からだが動くのに必要な思考、頭脳で感じる空間性、聴こえることや見えるもの。みんな違うレベルで、同時にず〜っとからだの中で進行している。そこから1つのラインを抽出し、すごい勢いで飛び乗りつつ移動してるんでしょうね。調子がいいとより多くのものをキャッチし、受け止めながらそこで生きることができる。それがもう……ドキドキするくらい好きです」
泯さんの言葉はズバッと率直で感覚的。ダンサーだからなのか、肉体の感じ取ったものが直接言葉になって飛び出すよう。ときに詩句のようにも響くが、泯さんにとっての事実を言い切っている迫力がある。でも踊りについてこうして文字で書いても、すぐに実感として理解するのは難しい。そこをこの映画では、『頭山 Mt. HEAD』で米国アカデミー賞にノミネートされた山村浩二のアニメーションで見せる。泯さんが「私のこども」と呼ぶ幼少期の記憶、私淑していた故・土方巽(ひじかたたつみ)から受けた踊りを考える方法「頭上の森林」。ああ泯さんはこんなことを感じて育ち、こんな思考であの踊りに至ったのか。
「何もかもが動いている森の中、雲の速さ、光と影の移動、小川がサーーッと流れていくさま。それで自分の中にも、どうしてこんなに違う?と考える速度があったりする。最近よく〝多様性〞というけど、僕らは抱え切れないほどの多様性の中で息をしているんです。昔から世界は多様なんですよ」
そうして全身がイメージに満ち満ち、密度の高いからだが現出する。だから泯さんの踊りからは目が離せないのだ。では観る側が覚醒した!とまで思う理由は何か。
「日本語では〝心がおどる〞とか、おどるという言葉をいろんな現象に使います。例えば親しい人が遠くから来たら、手を上げる
前に、お〜!という感覚がからだの中に生まれますよね。動きになる前から、すでに私たちは踊っているわけです。動きだけでは踊りはまだ半分。観る人に、踊りという物質のような何かが届く。観る人との間に生まれるもの、それを踊りと呼ぶこともできるんじゃないですかね」
土は多様な自然そのもの
写真撮影中に「天気がいいですね」と声をかけると、「最近は午後3時を過ぎるともう暗くなってくる」と泯さんが山里での暮らしに触れる。「そしたら畑仕事も急いでやらないと」と言うと「そうなんだよ。だから朝起きる時間がだんだん早くなる。5時半に目覚ましをかけてるけど、鳴る直前に目が覚める。まだ真っ暗だよ」と続ける。
泯さんは40歳のとき、「ダンサーはダンスを目的にからだをつくってしまう。それは違う気がして」と、山梨の山里へ移住。敬愛する詩人、吉田一穂(よしだいっすい)の詩から「桃花村」と名付け、野良仕事でからだをつくり、そのからだで踊ると決めた。それは、芸術になる前の踊りを探すためでもあった。
「畑は自然のまま、自然のちょっと手前くらいの危ない境界線で(笑)。でもスポンジのような土にいろんな肥料を投げ込んで野菜をつくるような、工業化していく畑と違って、だから面白いんだと思いますよ。土そのものがものすごい多様な、自然そのものですから」
でも映画に出てくる泯さんの畑は、心を尽くして手を入れているのが伝わる美しさ。種蒔きした土をならす手つきにも愛情を感じる。
「石はしょっちゅうバケツに拾ってますもん。それで愛情……みたいなもの、慈しんでいるんでしょう。DNAでいえば野菜のほうが僕らより歴史が長いわけですから。手でしっかり握ってから種を蒔くと発芽の仕方が違う。人間の発する何かをキャッチする能力があるんですよ。生花もそう。昔、ニューヨークにいたとき、寺山修司さんが日本で亡くなって、その日に深い関係のあった劇場のオーナーに急遽寺山の追悼会をやるので『Min踊ってくれ』と言われて、胸に白いマーガレットの束をバサッと抱えて踊ったんです。最後にそれを客にばんばん投げつけた。持ち帰った人からあとで『Minが投げた花は枯れないぞ』と言われた。念じたというか、想いがこもっていたって僕は思ってますよ」
例えば薪割り。『たそがれ清兵衛』で刀をばすっと打ち下ろす、その練習には薪割りがいいだろうと撮影までの2カ月間、毎日練習した。薪割りは、薪の底まで振り下ろすという意識があると、決定的に何かが違ってくる。そんなふうに山里での暮らしが、踊りや演技にそのまま活きる。
「なんでリンゴは木から下に落ちた? そうしたことはほとんど見過ごして生きています。でもちょっと待てよ?と思って見ると物の理というのか、物の理屈を知るんでしょう。自然との関係で、そういうことは山ほどあると思う」
いま村に1つだけの山上の泉から、水を引き直そうと計画中。
「水の音がしないのは、大事なものがなくなってしまったようでど〜しても嫌なんです。それで池をつくって水草を生やし、湿地帯のようにしたら昆虫でも鳥でも遊びに来られるぞと。そうした自然の風景を残したいんですよね」
村の長老が亡くなり、水田が姿を消したのも気がかり。
「水田は無理でも麦なら、とモチ麦をつくっています。それで玄米と同じように玄麦で食べ始めたら、野性的な味でおいしいんです。炭酸水で炊くのですが、胃腸の調子がめちゃくちゃいい。なんか、俺元気だな!って(笑)」
そうして泯さんはこれからも踊り続ける。哲学者ロジェ・カイヨワの言う『名付けようのない踊り』を。
「映画を観て、これは僕のある時期ではあるんだけれども、いま考える踊りというものを少しはわかってもらえるかもしれないなって。踊りってこんなに間口が広い。もし大勢の人が観てくれたら、きっと僕はもっとすごいダンサーになれる。もっと踊りを追究し続け、もっと踊りのことをわかるようになる、と思ったんですよね」
『名付けようのない踊り』
(配給:ハピネットファントム・スタジオ)
●監督・脚本:犬童一心 ●出演:田中泯、石原淋、中村達也、大友良英、ライコー・フェリックス、松岡正剛
●1月28日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9、Bunkamuraル・シネマほか全国公開予定
2017年8月から2019年11月まで、ポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛で田中泯が踊る姿を記録。1978年にパリ秋芸術祭で海外デビュー後、さまざまなアーティストとコラボした足跡を振り返り、彼が追究する踊りに迫る。
ⓒ2021「名付けようのない踊り」製作委員会
文/浅見祥子 写真/鈴木千佳
ヘアメイク/横山雷志郎(Yolken) スタイリスト/九(Yolken)
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