優しい笑顔の底抜けにいい人、善良そうなたたずまいに黒い悪意をにじませた男、キャラの立った変人だけど切れ者と、どんなに振り幅の広い役柄も血肉の通った人間として息づかせる俳優の甲本雅裕さん。映画やTVドラマを熱心に見る人でなくても、「ああこの顔!」といくつかの印象的な役柄が思い浮かびます。島根県石見(いわみ)地方を舞台にした初主演映画『高津川』(2月11日全国公開)について、甲本さんに聞きました。なお本作品は、コロナ禍で全国公開が約2年延期されていました。
台本を読み終えて主役であることに気づく
「本当に素晴らしい場所でした。僕は山陽の岡山出身で山陰は近い、でも案外行ったことがなくて。最初に仕事で訪れ、なんで俺知らなかった!?と衝撃を受けました。なんど訪れてもいい。行ってみるといいところって、たくさんあるんですよね」
映画『高津川』のロケ地である島根県、高津川流域の風景を思い出すように、甲本雅裕さんは目線を少し遠くにやった。
「撮影であちこち行くと、いつも横に川が流れています。朝移動中の車の中で話していても、あ〜疲れたね!と夜宿に帰っても、近くに川がある。それだけで気分が全然違います」
周囲の緑がそのまま溶け込んだような深い緑の、でも信じられないほどの透明度を誇る高津川。映画はその流域で暮らす人びとの営みを描く。
「〝斉藤学という役です〞とだけ聞いて台本を読みました。一級河川でありながらダムがない、そういう川があることすら知らなくて。川だけをとってみても興味深いと思って読み進めると、とてつもないロマンスや派手なアクションがあるわけでなく、悪い人も出てこない。ドッキリさせる仕掛けもなくて、こんな映画を最近見た記憶がないなと、まずはそのことにひかれました。ここに登場人物として立てるのは貴重だなと。それで読み終えて初めて、これ俺、主役じゃねえ!?と気づいて(笑)」
人生初主演、そんな気負いなしに読めたからこそ、物語の訴える思いがシンプルに伝わり、これはやりたい!と心が決まる。
稽古前のおしゃべりを見ることが、役づくりに
錦織良成監督の映画に出演するのはこれが7本目。甲本さんを想定して書かれた主人公を演じるにあたり、「どれだけ主役に見えないか」を意識した。例えば石見神楽のシーン。島根県西部、石見地方に伝わる、日本神話などを題材にした伝統芸能。学は息子の竜也と取り組んでいる。
「登場する踊り手は全員本物。そうした方と画面に映り、隔たりが見えたら映画にとって大打撃です。だから自分がどれだけ前に出ないかがカギだなと。そこでまず見学に行くと、稽古が始まるまでが長くて! 集まってみんなでおしゃべりするんです。そこに2時間ほどずっといると、重鎮や若者がどんな関係性か?どう継承しようとしているか?が見えてきた。それがいちばんの役づくりになりました」
市役所職員、Iターンの若い移住者、中学生と、メンバーの〝本職〞はさまざまだった。
「神事だから継承していかなくてはいけないなどと、僕自身はどこか構えていました。でもそうではなかった。彼らにとって神楽は日常とごく自然につながり、必ずなくてはならないものでした。それでいて〝守らなきゃいけないと思ったことはない〞と言うんです。〝好きでやってるんですよ!〞って。それを聞いて、自分が役者をやるのもそうだなと。なにかのためでなく、好きだからやる。当たり前のことなのに、自分でも驚くくらい感動したんです」
牧場主さんの服を衣装として着用
劇中の甲本さんは生まれてからずっとそこに暮らす、地元の人にしか見えない。力みゼロ。農協でもらった?と思うようなえんじ色の野球帽にベージュのポロシャツにチノパン、それで白の軽トラに乗る姿は、牧場で働く地元の人そのもの!
「帽子もシャツも、ロケ先の牧場主さんのものをお借りしました。だから牧場のスタッフさんはみんな、後ろから見て僕とは思わず、社長!って(笑)。劇中のあの衣装はいま、牧場主さんが着ています」
そしたらいまごろその牧場主さんは「甲本さんっ」と呼ばれているかもしれませんね?と言うと、「そうそう!」と目を細めて笑う。人に壁を感じさせないこの気さくさで、ロケ先でも地元の人びとにスッとなじんだことだろう。
「街を歩くと『甲本さん、どこ行くん?』と声をかけられるんです。『これナイショね、パチンコ』『あそこは出んよ〜』『出んと言われてもワシ、車がないけん。歩いて行けるのはあそこしかないから』『車、貸そうか?』とか(笑)」
撮影中の約1カ月は地元の人のように生活した。「力みゼロ」はそうした積み重ねがあったからこそ。ときには移住者と出会うこともありそうだ。
「移住者です!と言ってくれる人はわかるけど……。〝あの服装や化粧の感じ、絶対に都会から来た人だ〞と思って尋ねると、根っからの地元の人でした(笑)」
見てくださった人のなかで初めて完成する映画
学の息子の竜也は最近、神楽の稽古をさぼりがち。高校卒業を前に、なにかと迷いがあるよう。父と息子の不器用な関係も、多くの人にとって身に覚えがあるものに思える。
「本当は稽古に行ってほしいし、自分と同じように神楽を誇りに思ってほしい。でも押さえ付けて無理やりそう仕向けても、逆効果になる可能性もありますよね。だから学は言葉にしなかったのかなと。でも……言えないんですよね。僕にも娘がいますが、肝心なことが言えない(笑)。今日は言うぞ!と思うも本題を避け、わきからわきから攻めて……」
照れたように困ったように、甲本さんは笑っている。
この映画には伝統文化の継承や父と息子の関係だけでなく、都会への若者の流出、高齢化、介護問題とたくさんのテーマが描かれる。妻を亡くし、人を雇って牧場を営む学は、ゆっくり家族と食卓を囲む時間もないほど忙しい。Iターンの若い女の子も働いていたりするが、後継者問題とも無縁ではないだろう。
日本のどこにでもありそうな、地方の小さな村での一日。そして突如持ち上がるリゾート開発計画。学は同級生らと集まり、今後なにをすべきか話し合う。
「さまざまな問題が描かれますが、監督は個々の問題にテーマ性を持たせようとしたのではないととらえました。人間の日常に当たり前にあることを描いたらこうなった、だから映画のなかに答えは一切ないのかなと。それでこうした日常を異なる角度から見つめると、人びとの一日にはこんなにもいろいろな問題や刺激が転がっている。そう思ったら、ずっと先のことを考えて戸惑う自分はなんだろう?と。映画に出てくるテーマでなくていい。自身の生活のなかにほんの少しの気づきがあれば、これをつくった意味がある。『高津川』という映画は、見てくださった人のなかで初めて完成するんじゃないかと思っているんです」
豊かさとは? それを探す道中にあるもの
夕日に染まった高津川の赤い流れ、霧に白く煙る山々。劇中には、ありふれているのかもしれないけれど、うっとりするほど美しい風景がたびたび映し出される。学は東京で弁護士になった同級生・誠の父親で、一人暮らしのおっちゃんのことをいつでも気遣うし、すし屋を継いだこれも同級生の健一は、アユが釣れた!とお裾分けをくれる。人と人とのつながりが生きている。
そこに暮らす人が胸を張って、「これが誇り」と言える神楽もある。一見なにもない小さな村だが、そこには都会に暮らす多くの人がほしくても手にできないものがなんでもあるように思える。豊かさって? いま多くの人が模索し、答えの出ない問いが改めて浮かぶ。
「自然が、環境が、なんて言いながらなんですけど、豊かさってそういうものじゃない気がするんですよ。たとえると……集中しなきゃ!と思うと集中なんてできないですよね。そうとは気づかないときに集中している。豊かさもそういうものかなと。豊かさって?と考えているときは、決して豊かじゃない気がします。例えばお休みにキャンプへ行ってぼーっとして。ぼーっとしてた!と気づいたとき、その時間が豊かだったのかなと。幸せもそう。想像したなかに幸せは訪れない気がします。こんなのがあったんだ!というサプライズですよね。目指して目指してたどり着いた場所に幸せが待つんじゃなく、幸せはまだか?と探している道中にあると」
甲本さん自身はいま、どんな〝道中〞にいるのだろう? これほどに幅広い役柄を次々と、どの役も独特の感性すべてを研ぎ澄まして繊細につくり上げる。演じることが好きでたまらないのが、演技を見ても話を聞いていても伝わる。けれどその先、いつかは田舎に移り住んで……などと考えたりするのだろうか。
「もちろん地元に戻るつもりですよ、岡山に。若いころは極端な話、田舎が嫌で。絶対に都会がいい。帰れる時間があっても、帰るかよ!というくらいの時期もありました。でも年を重ね、たまに田舎に帰ると、やっぱり最後はここで暮らすよなと。僕のなかではいま、それが当たり前になっている感じです」
けれど例えば「畑がやりたい」とか、理想の暮らしを夢に描いているわけではないらしい。
「地元は岡山でいえば街に近いですが、ちょっと行けばかなりの田舎です。そこに戻ったとして、〝ここバスで行かなきゃいけないの!?〞〝〇×ないの?〞〝地下を通って行けない!?〞と、子どものころの感覚に戻ってみたい。生活のなかで、もういっぺんリアルに感じたいんですよね」
『高津川』
(配給:Giggly Box)
●原作・脚本・監督:錦織良成 ●出演:甲本雅裕、戸田菜穂、大野いと、田口浩正、高橋長英、奈良岡朋子 ほか ●新宿バルト9ほかで2月11日より全国公開
高津川流域に暮らし、牧場を経営する斉藤学(甲本雅裕)。亡き妻に代わり家を切り盛りする母(奈良岡朋子)、大阪から戻って就職した娘の七海(大野いと)、卒業を控えた高校生の竜也(石川雷蔵)との4人暮らし。学は竜也と「石見神楽」に取り組むも、稽古をさぼりがちな竜也が気がかりだった。ある日、高津川上流にリゾート開発の話が持ち上がる。学は和菓子屋を継いだ陽子(戸田菜穂)、すし屋の健一(岡田浩暉)、東京で弁護士をする誠(田口浩正)ら同級生と集まって相談するが……。
ⓒ2019映画『高津川』製作委員会
文/浅見祥子 写真/鈴木千佳 ヘアメイク/酒井啓介
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