掲載:2023年4月号
旅好きで各地を転々としながら季節労働などを続けてきた夫妻が、定住先として選んだのは、瀬戸内海に浮かぶ松山市の離島、中島。夫婦2人で持て余さず、子どもが生まれても手狭にならない平屋に住みながら、おいしいミカンづくりのための挑戦を続けている。
運よく平屋を見つけ、縁あって就農することに
人口約2300人の中島(なかじま)は、松山市の忽那(くつな)諸島のなかでも周囲約30kmと最大の島。全域が瀬戸内海国立公園に含まれ、温暖な気候の下で多品種の柑橘が栽培されている。山根雅之(やまねまさゆき)さん(49歳)・知子(ともこ)さん(42歳)夫妻は2017年にこの島へ移住し、果樹園を立ち上げた。以前はともに長野県で山小屋管理の仕事をしていたが、知子さんからの提案で行動を起こすことに。
「過去にミカン農園のアルバイトで訪れた愛媛県の人たちの穏やかな印象が忘れられず、一緒に行こうと誘ったんです」
と、知子さん。瀬戸内海周辺に興味があった雅之さんも賛同し、離島を含めて家を探すなかで中島の賃貸物件が目にとまった。内覧に訪れて静かな島の雰囲気も気に入ったという。雅之さんはこう振り返る。
「最初に住んだのは3Kの平屋です。大きな家だと2人では持て余すと思いましたから」
その後、空き家バンクに180万円で出ていた今の平屋を見つけて購入。周囲が開けた敷地に加え、船が発着する港が徒歩圏内の立地も気に入っている。果樹園を営むことになった経緯について、雅之さんに聞いた。
「移住当時は仕事を決めておらず、まずはミカン収穫のアルバイトを紹介してもらいました。そこで働くうち、縁あって声をかけていただいた畑を手がけることになったのです」
約2反(600坪)から開始した農園は、少しずつ休耕地を借り、合計約2町半(7500坪)にまで拡大。知子さんは新規就農研修を1年間受け、雅之さんは独学で栽培ノウハウを少しずつ習得した。「百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の畑も楽しい」と、現在は約30品種の柑橘を栽培している。
「経営的にはまだまだ。休耕地を開墾したばかりの場所が多いですから。おいしい柑橘が実るよう毎年アップデート中です」
そう話す雅之さんは、かつて瀬戸内海の重要な拠点だった忽那諸島の歴史や文化も好きだと言う。果樹園の屋号「クナブラ・クダコ」は、ラテン語で「ゆりかご」を意味するクナブラと、目の前に浮かぶ忽那水軍ゆかりのクダコ島を組み合わせたもの。ゆりかごのように心地よい島時間に癒やされながら、マイペースで暮らしを営んでいく。今後は魚釣りも始め、自給自足の割合を高めていく計画だ。
山根さんに聞く!平屋の暮らしやすさ
特に平屋を意識したわけではありませんが、2人暮らしで持て余さない物件を探したら、1軒目の家も今の家も平屋になりました。実際に住んでみると平屋で充分です。隅々まで目が行き届き、掃除やメンテナンスがしやすいのが利点。年を取ったときのことを考えても階段の上り下りがなくていいかもしれません。
文・写真/笹木博幸 写真提供/松山市、山根雅之さん
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