前例がないところからの再出発を決意
茨城県神栖市出身で、大学時代は東洋大学のアメリカンフットボール部のキャプテンを務めていたという経歴の山中さん。まずはじめに、住みます芸人の道に進んだいきさつを伺いました。
「もともとお笑いが好きで、この世界に飛び込みました。NSC東京校に入学してから、東京で約6年間活動していたんです。でも、東京での仕事があまり増えず、悩んでいた時期がありまして……。
そんなタイミングで、『住みます芸人プロジェクト』が始まると聞いて、思い切って立候補しました。前例がまったくないところから再出発してみたくなったんですよね。当初は『島流し』や『都落ち』という言われ方もしましたが、自分たち次第でいろいろ挑戦できるならやってみようと思いました。
それで、2011年5月から初代茨城県住みます芸人として活動しています。
あと、アメフト部の経験は、芸人としてではなく、総合格闘技のデビューにすごく役立ったと思います(笑)」
総合格闘技という言葉が、かなり気になります。
「住みます芸人になってから、水戸市にある総合格闘技ジム『R-BLOOD』に通っていたんですよね。元ヤンキーとかでもない山中としては、何の恨みもない初対面の人と殴り合うことを受け入れるのが難しかったのですが、学生時代から思っている『試合で勝ちたい』という気持ちがあったから、なんとかデビュー戦に臨むことができました。
そういうこともあり、今では、格闘技以外に、茨城で開催される100㎞マラソンをはじめ、さまざまなイベントに挑戦しているんです」
「2016年に、ひたちなか市で開かれた総合格闘技の大会で、格闘家としてのデビューをさせていただきました」
「茨城の野菜や肉や魚を食べて強くなりました! パンツスポンサーになってくれた『蕎麦居酒屋 十座』さん、『安重水産』さん、『マルトウ青果』さん、『飯島畜産』さん、『すぎやま工房』さん。本当にいろいろな形でお世話になったので、良い報告ができるたことが、とてもうれしかったです」
■デビュー戦の映像はコチラ!
早速、住みます芸人として、地域と密着している?驚きのエピソードを聞くことができました。そのほかにもどんな経験があったのでしょうか。
「住みます芸人になった当初は、知人に借りた家賃0円の米蔵に住んでいたんです。もちろん、エアコンもなく、虫や小動物とともに過ごすという過酷な環境下での生活でした(笑)。でも、少しずつ仕事を増やし、1年半後には水戸市のアパートに引っ越すことができました」。サラッとトンデモエピソードを語る山中さん。
「10年ぐらい前はこの米蔵で2人で一年半住んでいたんですよね。中はこんな感じでした。シャワールームもあったんですよ!」
それからは順調に芸人としての活動が広がり、2022年には茨城県で出会った女性と結婚されたそう。
「茨城県に移住してから、仕事先で出会った女性と結婚することができました。我々がやっているYou Tubeチャンネルにもたまに出演してくれています(笑)」
「仕事で、ひたちなか市で行われた自転車イベントに参加したときの様子です。実は、妻の自転車(ピンク色)をこっそり借りて参加しました(笑)」
「移住したての頃と比べると、茨城での仕事がかなり増えましたね。今では、県内のテレビ・ラジオのレギュラー番組も多数あり、イベント出演も多く、芸人を始めた当初のイメージ通りとは、いかないものの、順調な住みます芸人ライフを送っています。NHK水戸に出演したときは、両親がとても喜んでくれました(笑)。
お笑い芸人としての収入が増えたことがなによりです」と、ぶっちゃけた話をしてくれました。とはいえ、自分たちでスケジュールなどの管理をしており、苦労している部分もあるのだそうです。
「地方ローカルですが冠番組も持っているんですよ! 『押忍!! オスペンギン』(ケーブルテレビJWAY)の収録現場です」
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