年齢を重ねたからこその説得力ある演技と、年齢を超えたただならぬ色気。映画にドラマに、出演作の途切れることがない俳優・映画監督の奥田瑛二さん。最新作である映画『かくしごと』では、認知症を発症した元教師を演じています。緻密な役づくりのこと、俳優としていま思うこと、終の棲家について聞きました。
掲載:2024年7月号
おくだ・えいじ●1950年生まれ、愛知県出身。1979年『もっとしなやかに もっとしたたかに』で初主演。熊井啓監督の『海と毒薬』で毎日映画コンクール男優主演賞、『千利休 本覺坊遺文』で日本アカデミー賞優秀主演男優賞、『棒の哀しみ』でキネマ旬報ベストテン主演男優賞ほかをそれぞれ受賞。2001年には『少女~an adolescent』で映画監督に挑戦。長編監督3作目の『長い散歩』ではモントリオール世界映画祭グランプリを受賞。
映画『かくしごと』は一見〝ど真ん中ストライク〞
「俳優っていろいろな役をいただきます。刑事部長や会社のCEO、年齢を重ねると『(貫禄ある声色で)××君、そうじゃないよ』とか言って(笑)。そうした役ばかりを演じていると、俺は誰なんだ? そんな気持ちになってしまう。それでも果敢にチャレンジするけど、どこか人間味のある、人間のにおいがする役に立ち戻りたくなります。家庭での出来事や、人と人とのかかわりにある日常的な会話に喜びや哀しみが転がっている。そんな作品で、自分というものをもっと出せる役に。『かくしごと』はまさにそんな作品でした」
奥田瑛二さんに最新作『かくしごと』への出演の決め手を尋ねると、とても饒舌に語り始めた。杏さん演じる絵本作家の千紗子(ちさこ)は絶縁状態だった父、孝蔵(こうぞう)の世話をするために実家へ戻る。ある日、事故で記憶を失った少年を助け、自分が母親だと噓をつき、〝拓未〞(たくみ)と呼んで共に暮らし始める。少年のからだには虐待の痕があった――。
「親子の話、ある社会状況のなかにある少年の思い。ピッチャーに例えれば一見〝ど真ん中ストライク〞のようだけど、ちょっと変化していてサスペンスの要素がある。それですぐに、やります!と」
奥田さん演じる孝蔵は元教師。山奥に一人で暮らすも、認知症を発症する。
「演じるといっても、しょせん別人にはなれません。偉人のような役柄なら〝近寄る〞という感覚ですが、孝蔵さんは自分の中に引っ張り込まないとできない。どう取り込むかは役によって異なり、その作業がいちばん大変です。自信を持って演じられるよう、七転八倒しなきゃいけない」
認知症でない俳優が認知症を演じる、それは「でたらめに難しい」と奥田さん。観る人が感情移入できなかったら映画は台無しで、共演者にも影響が及ぶだろう。
「役柄と自分自身と、一足す一は二ではなく無限大である。そんな想念を持ちながら役と向き合うと、孝蔵さんと僕が同化する。それで初めて、奥田瑛二の肉体が使えるわけです。そのためにどうするか? 準備に準備です。料理人の役なら、匠と呼ばれる人に教えてもらう。キャベツの千切りを何十個もやり、魚を何十匹とさばいて。自分を追い込んで初めて〝一足す一は二ではない〞というのが見えてくる。すると生まれてくる質問も、ワンランクもツーランクも上のものになります。それらを咀嚼し、包丁さばきから鍋の扱い、すべてにおいて自分なりの料理人が出来上がったら、あとはそれが自然に見えればいい」
今回の孝蔵さんは木彫りや陶芸を楽しむ人。千紗子と拓未と3人で、粘土と絵の具を使って夢中で遊ぶシーンもある。全部がアドリブのようなこうしたシーンで、役のカタチだけつくったのでは対応できそうもない。
「でも僕はもともとアーティストなので(笑)。壁に絵を描いたり粘土で遊ぶのなんてお手のもの。ああいうシーンは2〜3日続いても楽しい、心配しないで孝蔵さんになれます。でも彫刻はこれまでやってこなかったので、今回木彫りを習いに行きました。2度目から〝my ノミ〞を買わせてもらって。家で練習してね」
カタチだけで充分といえないのは、認知症の老人でも同じ。
「でも日本舞踊でいう型のようなものはなく、問題は心のカタチ。そこで認知症の方と何十人もお会いしました。介護士や医師とどんなふうに話すか? こんにちは、とどんな顔で言うか? ビスケットを食べるとき、テレビを観るときは? しつこいくらいにじっと観察すると、それぞれ答えが出ます。それをかき集めて立体化し、パクッと食べて」
思わず「食べるのですか?」と聞くと、「食う。食わないと、身にならない」と即答する。「全部、イメージですよ。でもそういうことを強いられる役柄だったな、これは」と奥田さんは続ける。
劇中、孝蔵としての奥田さんはちょっと衝撃的でさえある。背中は丸く、下腹は哀しく突き出ている。目の前で颯爽とスーツを着こなす本人とはまさに別人。しかも映画の後半、孝蔵さんの瞳はガラスのように透明に澄む。まさに認知症の人のそれで、とてもつくりものとは思えない。そのままを伝えると、「へへへへ」とうれしそうに照れたように笑う。
「観察し、どうしたらそうできるか試行錯誤して。クランクインからクランクアップまで、目の前の現象によって〝普通に〞演じていく。認知症の人でも子どもと粘土で遊ぶときと、財布がない!と探し回るときと、優しさや怒りで目の力は変わります。さっきの言葉はうれしいけれど、〝透明な目〞というのは自分ではわからないんです。今『そういう芝居をしろ』と言われてもできない。誰も知らないところで七転八倒し、月日をかけて獲得し、撮影に挑みました」
監督やプロデューサーに「どんな準備をすればいいですか?」「どういう芝居をすれば?」と確認することはない。
「それが死ぬほど嫌いで」と奥田さんは笑う。
「よい俳優なんて自分で言うつもりはないけど……(笑)。そう呼ばれる俳優で誰かの言うことを聞く人なんていないんじゃないかな。言われるようなことは全部を承知し、その向こうを目指しているのだからね」
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