5月28日。「井戸は最強」。
昨夜は大いなる覚悟をしてからベッドに入り、灯りを消した。窓の向こうでは風の音が聞こえ、トタン板か何かがこすれ合う音もしていた。一昨日からずっと、テレビは線状降水帯と警報級の大雨という言葉を繰り返していた。それでもって僕は2日がかりで瓦屋根の補修をした。はるか昔の台風でガタガタになった屋根瓦。それを大きな厚手のシートで被うこと、これまでに20年かそれ以上。シートは安物ではない。しかし光を受けて確実に劣化する。劣化すると強風のたびに少しずつ破れてくる。半月ほど前、ずっと雨漏りしなかったのに夜半からの強雨を受けて部屋の床が濡れていた。こりゃほっとけない。一昨日から続く天気予報のアラートを受け、屋根に登ることにしたのである。使うシートは7×8メートル。それを広げ、土嚢を乗せ、ロープで固定する。かなり危険を伴う作業である。古い友人の女性が、まだまだ体が動きますね、立派です・・・そうほめてくれたが、さすがこの年齢。15年、20年前に比べたらカラダのキレは落ちた。それでも、万一、滑落したら死ぬかもしれないというこの作業に少しも尻込みせずに取り掛かれる。自分でもそれは立派だと思う。
危険を厭わずやろうとするのはカネとの関りでもある。この傷みに傷んだ屋根を業者に頼むと百万単位のカネを要する。そんなカネは僕にはないし、ローン支払いが出来るとしても、屋根ごときで暮らしを長く束縛されたくない。見てくれを気にせず、雨漏りさえしなければいいのだ。厚手の特大シートは2万円くらいする。しかし、最短でも3年、うまくすれば5年もつ。安いものだ。我が労力はタダだから、百万単位の屋根業者の値段に比べたらタダ同然だ。そういえば、「折々のことば」にこんなのがあった。僕の性分は、ギリギリ限界まで何事も自分でやってみる、安易に他人にパスしたくはない・・・そんなものらしい。
お金を払うというのは、自分で解決できない問題を他人にパスしてるだけなんや。 田内学
東海から関東に雨と強風をもたらした今回の天気。いつも僕は、何で千葉だけ天気が悪いんだよ、そうひがむのだが、珍しく今回は千葉だけが免れたようである。朝食をすませ、畑を一巡し、ビニールハウスの点検をする。ほぼ無傷であった。風速30メートルを想定し、昨日はほぼ1日、ハウスの補強作業に費やした。備えあれば愁いなしという言葉がある。事前にしっかり対策を講じておけば大きな災厄を免れる、被害は軽くすむ・・・本来はそういう意味であろうが、僕はちょっと別な解釈をする。手間と労力を出し惜しみせず、トコトン事前の対策に奔走する。さあ、来るなら来いよ、そう、空をあおいで呟いて、胸を張る。そんな人間を高い空から見た「災厄」の神は、ああ、あそこはやめとこう、あの男の所に行っても無駄足になる・・・そう思って行先を変更する、つまりこっちには来ない・・・。いささか非科学的だが、この思考法は案外と田舎暮らしには大事である。
午前中は曇天だったが、昼過ぎから強い光が差してきた。いいぞ、いいぞ、もっと照れ。急ぎ寝具を干し、ハウスのナスとトウモロコシに水やりし、土寄せしてやる。トウモロコシは今年は大きく栽培法を変えた。以前はなかったことなのに、ここ3年、ハクビシンか何かに食い尽くされる。側面にネットを張っても去年は駄目だった。そこでビニールハウスでの栽培とした。左右はネットにして風を通してあるが、それでも気温が30度くらいになるとたちまちに土が乾く。よって40メートルのホースを伸ばし大量の潅水をする。トウモロコシのハウスは3つ。合計で200本ほど。1本150円で売るとして3万円。ポットへの種まき、ハウスへの定植、肥料投与、土寄せ、数回の水やり、収穫、さらに収穫後の残渣の片付け・・・我が労働はトータル50時間ほどになるか。単純計算して時給は600円である。でも、思い通りの収穫が得られたら嬉しい。少しは自分の口にも入るし、出来損ないを投げてやるとニワトリたちも大喜びする。人生、必ずしもゼニカネだけではないのである。
トウモロコシへの水やりは長時間だ。水道ポンプがうなりを上げ続ける。ポンプを動かす電気。快晴ゆえに太陽光での発電には心配がない。ただ、ナスに始まり3つのハウスのトウモロコシまで通しで1時間半、ひたすら稼働してくれる井戸ポンプ。それがいつ息切れするか、オーバーヒートするか、それだけをちょっとばかり懸念する。井戸といえば・・・『田舎暮らしの本』7月号に僕は書いた。もしアナタが、移住地の場所として選んだ、その物件が公営の上下水道でなく井戸だったとしても、落胆せず、むしろ幸運だと思うべし・・・と。そのココロは、なんとも古臭い香りを放つ井戸なのだが、最後に地力を発揮、人の暮らしの強い力になるのだ。
今日の朝日新聞の夕刊。「60年代 水道計画にあらがった村」「地震で水道管破損 断水からの復旧遅れる珠洲」という見出しの付いた大きな記事がある。僕が意外なこととして注目したのは、1960年代、せっかくの公営上水道の計画に反対した地域があったということだ。その地域では、川の水を水田への農業用水として使っていた。そこを公営水道の取水地とした場合、コメ作りに必要な水が足りなくなる、それが計画反対の理由であったらしい。しかし、このことが、偶然にも、今回の能登半島地震で力を発揮することになる。多くの地域では地下に埋め込んだ排水管が破損し、生活の維持が困難だったのに、井戸のある家庭はそうではなかった。自宅と工場が全壊。長引く断水で井戸のある家に水をもらいに通ったという男性は「井戸、最強」と言った、そう朝日の記事にはある。じつは、この男性宅にも井戸はあった。しかし停電のため、汲み上げポンプのモーターが動かなかった。そして再び男性はこう言うのだ。「手押しポンプじゃないとダメです。昔ながらの水源の大切さを痛感しました・・・」。
僕は太陽光発電で電気を得る。その電気で井戸ポンプを稼働させる。将来、社会がどれだけ不安定要素をはらんでいようとも、基本的な食料、それにこの電気と水があればなんとか生き延びられる。珠洲市における水と電気の明暗が僕にはとてもよく理解できるのだ。最後に、珠洲市の現状を視察した神戸大学名誉教授・室﨑益輝氏の言葉を引かせていただく。
高度成長期の象徴ともいえる集約的な都市インフラを導入したことが災害時の弱点になってしまった。これは珠洲だけの問題ではない。大都市のタワーマンションの住民などは、水道が止まれば地方より過酷な目に遭う可能性だってある・・・。
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