全国に広がっている住みます芸人の笑いあふれる地域協力活動にフィーチャーした、「47都道府県エリアプロジェクト(あなたの街に“住みます”プロジェクト)」をレポートする本連載。
今回は、鳥取県住みます芸人として活躍する「ほのまる」をクローズアップ。鳥取で収穫される大山小麦を広めるためのプロジェクトに参加し、耕作放棄地を活用した農業体験や地元の人々との交流を通じて、鳥取に笑顔を届けています。ボケ担当の岡田康秀さんに、このプロジェクトや鳥取県のブランド力向上について伺いました。
CONTENTS
鳥取県住みます芸人
ほのまる
左_向井登志彦(むかい としひこ)……ツッコミ担当。1981年9月21日生まれ。鳥取県米子市出身。特技は、平泳ぎ(元鳥取県代表国体選手)、パン作り(パン職人歴10年)、ブロッコリーの生産。
右_岡田康秀(おかだ やすひで)……ボケ担当。1986年10月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。趣味は、グランドゴルフ。特技は、ブロッコリーを16㎝に切ること。
ともにNSC東京校 14期生。芸歴15年。同期はネルソンズ など。北栄町ふるさと大使や鳥取市観光大使、過去には南部町PR大使、一日水道局長、一日警察署長などを務める。
住みます芸人歴:2012年12月~
活動拠点:鳥取県米子市
主な活動:ケーブルテレビやラジオの出演を中心に活動。
X(旧Twitter):岡田 @honomaru_okada
Facebook:向井 登志彦 (ほのまる)
【鳥取県米子市】 |
耕作放棄地を笑いで耕す。鳥取県住みます芸人「ほのまる」の挑戦
芸人としての原点と鳥取への旅立ち
「芸人1年目のときに愛知県の伊良湖岬のホテルで、住み込みの仕事をしながら、毎晩、“伊良湖よしもと弁当座”としてショーに立たせていただくという仕事をしていて、僕も相方の向井も、毎日舞台に立つのが当たり前の生活をしていました。しかし、その企画が終わり、東京に帰ってみると月に1回の舞台しか仕事がなくなり、充実感のない日々を過ごしていました。そんなときに、『47都道府県エリアプロジェクト』が始まったんですよ」と、話し始めた「ほのまる」のボケ担当の岡田さん。自分の存在意義を見失いかけていたときに、「住みます芸人」という企画が一筋の光のように思えたそうです。
「『何かか仕事が欲しい!』という思いで応募したのですが、落選してしまったんですよね……。
選ばれし47人が各地に住み、この住みます芸人の企画がスタートしたんですが、僕たちは相変わらず、月に1回の舞台しかない日々が続きました……」
それでも岡田さんは諦めずに1年後に再挑戦。そして、相方の出身地である鳥取県で新たな道を切り開くことになっていったのです。
鳥取での驚きと地元密着型活動の始まり
鳥取県での生活は、神奈川県横浜市出身の岡田さんにとって、まったく新しい経験の連続だったといいます。お笑い文化がほとんど根付いていない鳥取の地で、岡田さんが最初に手渡されたのはマイクではなく、拡声器。この仕事で、芸人としての原点を再確認し、地域に深く根付くことの大切さを感じるようになったといいます。
「鳥取に来たばかりの頃は、正直言って驚きの連続でした。お笑い文化がほとんどなくて、初めて手渡されたのが拡声器だったんですよ。普通、マイク渡すでしょ(笑)。ほかにも驚くことはたくさんあって、通勤列車の中で漫才をしたり、歩きながら漫才するみたいな……。何年かは、東京では考えられない不思議な仕事が続きました。ただ、今でもマイクが1つのことはよくあるので、マイクの受け渡しはかなりうまくなりましたけどね(笑)」
いろいろな経験を通じ、地元の人々と触れ合うことで、この土地での活動が特別なものになっていったと、岡田さんは言います。
「不思議な仕事はすっかり減ってしまったんですけど(笑)、住みます芸人の仕事は、地域に密着して活動することが多いです。だから、地域に馴染むことを大切にしています。芸人どうのこうのより、『地域にいるお兄ちゃん』のような存在になることが、実は大事だったりするんです。地域のコミュニティに入ると、その地域のディープな情報が得られたり、困っているときに助けていただけたりと、いいことだらけです。その結果、よくも悪くも芸能人ではなくなり、今では“ただの『いち住人』の芸人”として、楽しく仕事をさせていただいています。それが本当に大切なことだと感じています」
耕作放棄地とヌカカ問題への取り組み
地域に溶け込み、地域の一員として生きることを選んだ岡田さん。地域に根を張り、地元の人々と共に生きることで、お笑い芸人としての存在から、住みます芸人として、新たな意味を持つようになったといいます。
「鳥取県は日本で一番人口が少ない県なんです。その理由はいろいろあると思うのですが、その一つに仕事がないというのがあると思うんです。人口が減って高齢化が進んで、耕作放棄地がどんどん増えています。また、耕作放棄地が増えたことで、ヌカカという虫が大量発生して、問題になったりと、いいことがないです……。米子市長とお話をする機会があったときも、耕作放棄地対策の話題になりました。
僕ら『ほのまる』が、住みます芸人として、地域に貢献できること……。それは、この耕作放棄地問題に取り組むことなんじゃないか。鳥取県の未来を守るために必要なんじゃないかと感じました」
米子市長との対話を通じて、耕作放棄地を活用するための、あるプロジェクトに参加することを決意したという岡田さん。
「米子市長に耕作放棄地対策について聞いてみたんですが、耕作放棄地に小麦を植えて小麦畑を増やす計画があることを教えていただきました。そこで、小麦を実際に作っている『大山こむぎプロジェクト』という企業にお話しを聞きにいくことになりました。
そこでは、見事に広大な耕作放棄地を小麦畑に変え、大山小麦という地元のブランド小麦を作っていて、いろいろ驚きがありました」
大山こむぎプロジェクトとの出会いをきっかけに、農業を通じて地域再生を目指すことになった、ほのまるのふたり。
「実は、僕たちはプライベートでブロッコリーを育てている半農半芸のコンビなんです。僕たちのブロッコリー畑も耕作放棄地を畑として使えるように開墾しました。ですが、大山こむぎプロジェクトと比べると、その規模が全然違いました。なので、小麦畑を作ることに関して、イチから教えてもらって、進めているところなんです」
さらに、驚くべきことに、相方の向井さんは芸人の仕事の傍ら、パン屋も経営しているといいます。
「東京時代に相方の向井が、祖師谷のパン屋で働いていて、縁あって米子で『そしがやベーカリー』としてお店を持つことができたんです。パンの材料として小麦は必須なので、小麦畑を作ることは大賛成。僕らにとっても、またとないチャンスです。
大山小麦で作ったパンって、小麦の香りがして美味しいんですよ。地元の学校給食でも使われているぐらいです。パン以外でも、ケーキに使われていたりします。生産のやり方さえしっかり整えられれば、輸入に頼らず、全部大山小麦で作ればいいじゃんって感じるぐらいの品種ですね。輸入品が悪いわけではないんですけど、国産の安心感はありますよね。農薬とかの使用も含めて、気になる人も多いんじゃないでしょうか。味の面では海外のほうが優れている品種が多いんですが、ここ数年の品種改良で一気に素晴らしいクオリティになったんですよ。山陰地方の土壌に合うように改良されたりしているんですよ。これからも、もっとおいしく、いろんなものに使えるように品種改良して進化していくみたいです」
しかし、この取り組みには、様々なハードルがあるといいます。
「まだ僕らは、畑を作る段階まで進行していないんですが、大山こむぎプロジェクトさんに話を聞くと、『もっともっと作付け面積を増やしていきたいけど、そのためには一緒にやってくれる人が増えないといけないという課題があるんです』と話してくださいました。大山こむぎプロジェクトさんと一緒に取り組むことで、耕作放棄地の有効活用を進め、農業を通じて地域に新たな活力をもたらしたいと考えています。
まずは、僕らが参加して、近い将来、収穫してご報告できるように、いろいろ頑張っていきます!」
鳥取の豊かな自然と食文化への愛着
すっかり鳥取の自然と食文化に魅了された岡田さんは、地域の魅力を発信する役割も担うようになってきました。鳥取の美しい自然、豊かな食材、そして人々の温かさ……。これらを全国に届けるために奮闘しているといいます。
「鳥取県には、スイカ、梨、ブドウなどの果物をはじめ、僕らも栽培しているブロッコリーやラッキョウ、長芋など、本当においしいものがたくさんあります。個人的には、近所の方からいただく畑で採れた野菜は、どれも最高に美味しいです。さらに、カニの季節になると出荷できないようなカニがいただけたりと、食べることには事欠きません。そんな美味しいものばかりの鳥取県に、新たに大山小麦という人気者が加わればいいなって思っています。今は地産地消でやっていますが、いつかは全国にも羽ばたかせたいですね。
それと、何より水が美味しいんですよ。米子市の水道水は地下水を汲み上げているので、まるでミネラルウォーターのようなクオリティなんですよね。その水と大山小麦でいろいろ作ってみたいとも思っていますので、期待してください」
未来への展望と農業への思い
岡田さんが見据える未来には、鳥取県の豊かな自然が広がっています。小麦畑が広がる美しい風景が鳥取県全体に広がり、この地が小麦の産地として全国に知られることが当面の夢だそうです。
「僕たちの小麦作りが成功することで、少しでも多くの人が農業に興味を持ち、鳥取県で農業を始めてみたいと思ってくれるようになるとうれしいです。農業でしっかりと収益を上げることができることを伝えることで、移住を考える人が増えるかもしれませんし、新たに農業に挑戦する人が増えるかもしれません。最終的には米子市の耕作放棄地がすべて小麦畑になって、小麦の産地として有名になるといいなと思っています」
ほのまるの農業への挑戦は、単なる『いち芸人』の活動を超えて、地域の未来を担う大きな使命へと進化しています。この取り組みが、鳥取県の耕作放棄地を豊かな小麦畑へと変え、新たな可能性を切り開いていくことを期待せずにはいられません。
この記事の画像一覧
この記事のタグ
この記事を書いた人
田舎暮らしの本編集部
日本で唯一の田舎暮らし月刊誌『田舎暮らしの本』。新鮮な情報と長年培ったノウハウ、田舎で暮らす楽しさ、心豊かなスローライフに必要な価値あるものを厳選し、多角的にお届けしています!
Twitter:@inakagurashiweb
Instagram:@inakagurashinohon
Website:https://inakagurashiweb.com/
田舎暮らしの記事をシェアする