9月も10日が過ぎて蒸し暑さは続く。今年の畑は苦戦続き。1か月以上高温が続き、雨を恋しがっていたら3回連続、強烈に降った。最初の田舎暮らしから45年。初めて体験する栽培の苦労である。「都会生活とは沸き上がること、浮上すること。対して田舎暮らしとは沈み込むこと。」この新しいシリーズのスタートにおいて我が意識をこのように定義しておく。ただし、いま栽培に苦労しているから気持ちが沈み込むわけではない。かつ、沈み込む=ネガティブな意味でもない。東京と28年関わり百姓となって35年。僕は日々「沈み込む」ことの心地よさと共に生活している。都会か田舎か。当人の能力と性格による。僕は都会で生きる能力が足りなかった。田舎で生きる能力は一方で高く、沈み込みながらも燃え上がる、そんな僕に田舎暮らしはピッタリだった。
このシリーズでは作って生きる具体的エピソードを綴る。本文は総論的なこととし、栽培の具体的な場面は掲げた写真のキャプションで読者に伝わるようにしたい。僕は何を作っているか。年間100種の野菜、30種の果物、60羽のニワトリが産む卵。それに電気である。太陽光発電がフル稼働した8月東京電力に支払ったのは649円。電気鍋で煮物もやれたゆえガスも3400円ですんだ。毎日風呂に入る。3400円は風呂代なのである。
ニッセイ基礎研究所の天野馨南子さんは多くの自治体で人口問題の専門家として助言する役割を担っている。天野さんは言う。
今の若い人たちは地元を悪く言わない。生まれ育った地域が好きで、大事に育ててくれた親やおじいちゃん・おばあちゃんのことを尊敬している。古里を愛していると笑顔で話しながら、それでも学校を卒業すると東京へ出ていく。どうしてだと思いますか? それが自分の幸せになるから。故郷という「船」は今の若い子が目指す理想には向かっていない。だから地元を出て行くんです。
アナタは素敵、好きヨ。でも結婚して生涯を共にという相手じゃないわ・・・ドラマの台詞にするとこんな感じだろうか。ここ20年で電車に乗ったのは10回ほど。新宿駅、渋谷駅で今の僕は途方に暮れるだろう。東京は素晴らしい街だった。そこを逃げ出し別な人生に出会った。沸き上がるのじゃなく沈み込むのが心地よい・・・そんな性格のアナタに向かって月に2回書く。
太陽光発電を始めて7年になる。数々の失敗を重ねながら今ではセミプロの腕前だ。この写真は古いタイプ、鉛バッテリーで30キロと重い。それを2個並列で12ボルトとし、2個プラス2個を直列につないで24ボルトのシステムを作っている。それにつないであるインバーターは4000ワットで、電子レンジ、湯沸かし器、冷蔵庫などを動かすことが出来る。ソーラーパネルを含めた設備の総費用は20万円くらい。
沸き上がる雲。鋭い光。気温34度。畑でスコップ仕事をするとどうなるか。呼吸は乱れず、心拍数も上がらない。ひたすら汗だけが流れる。
鋭い光を背中にタップリ受けながらコボウを掘る。長さ60センチ。我が頭から肩口までがスッポリ穴に埋まる。まさしく田舎暮らしとは「沈み込む」生活だ。沈み込みながら気分は浮揚する。不思議である。
「バルコニーから気候変動と闘うドイツ人たち」。こう題されたニューヨーク・タイムズからの翻訳が朝日新聞に掲載されていた。この記事の論旨はドリルもハンマーも必要ない、軽量のパネルをアパートのバルコニーや庭のフェンスに取りつけるだけ。すでにドイツ全土で50万台以上が設置され、ロシアの天然ガス依存からの脱却に貢献しているという。前掲のバッテリーは鉛で重いが、こちらはリチウムイオンで12キロと軽い。
一番好きな果物は柿である。その柿が今年はひどい。テレビで柿専門農家の嘆きを見た。熱い光を浴び続けると赤くなって落果する。うちでも10本ある柿の木が壊滅状態。深く悲しんでいる。柿の他にも梅、プラム、ポポーが不作。暖冬で開花が早く、授粉を果たすミツバチの活動が間に合わなかった。梅の不作を僕はそう理解していたが、原因は他にもある。開花が早すぎ、めしべが無い。不完全花が増えたためだという。
連日の鋭い光と高温に苦しむのは定植して日の浅い野菜たちである。何でもいい、そこらにあるものをかぶせてやる。
それでどうにかキャベツと白菜は命を保つ。今年秋から冬には、いやおそらく来年も野菜高値のニュースがテレビで伝えられるであろう。百姓にとって状況は厳しいが、人間も野菜もいかにして生き残るか。ギリギリの戦いはそれなりに面白いものである。
午後6時。腹筋をすませ夕刊を読む。一面の週間天気に目をやる。明日は上が35度、下が27度。すごいねえ。しかし我が暮らしは変わらずだ。扇風機で熱帯夜をやり過ごす。「免疫」という雑誌の編集で学んだこと。人体には外部の敵と闘う高度なシステムがある。ただし、ほったらかしにしておくと免疫力は低下する。加齢でも低下する。沈み込みつつ燃え上がる・・・それが免疫力向上につながると信じるゆえである。
この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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