冬の寒さと春の芽生え
温州ミカンの枝が枯れ、台木であるユズとの混合の実がなるようになった。中は酸っぱい。皮は柔らかい。さらに寒気に長くさらしておくと柔らかくなる。
コーヒーブレイク
立春は近い。でも、寒さは続く。ランニングの後、寒風を跳ね返すため、僕は朝食でしっかりカロリーを摂取する。フォークのそばにあるのはミカンの皮をハチミツと合わせて煮たもの。今日、期待を上回る味に仕上がり、朝食の1品となった。明日あたりもう1品加わる。電気カーペットで育てているブロッコリースプラウトだ。朝食で口にするマグカップの熱い珈琲、貴重な安らぎの時。この後、畑で容赦ない北風が待ち受けているからよけいだ。
今アメリカにはCoffee Badgingという言葉があるらしい。コロナ禍で一般的となった在宅勤務、それが最近オフィス勤務に戻りつつある。しかし、通勤せず家で仕事する心地よさと作業効率に慣れた会社員は、コロナ当時の勤務形態に未練を残す。そこで、自分のバッジを会社の端末にかざして出社したこととし、職場の仲間と珈琲を飲む程度の短時間をともにし、すぐ帰宅する。これがCoffee Badging。
なるほど、そのココロはよくわかる。
今こうして珈琲を飲み終わった僕はすぐ“在宅勤務”にとりかかる。かつて往復3時間を通勤電車に揺られていた。そして現在、「職場」まで徒歩3分。田舎暮らしという名の在宅勤務である。
白菜もキャベツも2月には供給量が増えると専門家は予測する。ただし高値傾向は今のまま続くらしい。
高騰する野菜と僕の畑
白菜2倍、キャベツ3倍。お好み焼き店は泣いている。そう伝える新聞の記事があった。昨夏の高温で不作だったところに1月は寒波と豪雪。なんと、大玉のキャベツは千円するらしい。僕も夏の苗作りには苦戦した。それでもって、適期より2か月遅れて苗を作りビニールハウスで育てている。氷の張る寒さとなればハウスといえども内部は冷える。日暮れ、いっせいに防寒シートや布団・毛布を掛けてやる。大いなる手間。だが、すでに書いたように、キビシイ条件になんとか立ち向かう、ちっこい夢と希望のために。その工夫と格闘が面白い、
寒風の中、梅のつぼみがふくらみを増している。去年は天候不順で不作。実のために使わなかったエネルギーを今年に回し、もしかしたら、豊作になるかな。梅の木は12本ある。劇場で幕が上がる前に甘い音楽が流れる。梅の花は春を知らせるその音楽のようで僕は好きなのだ。
田舎暮らしを短く表すとすれば……。
「工夫と苦労と多忙で時を忘れられる」そういったところか。
9時間の労働でなすべき項目が15くらい。強風の日はさらに増える。荷造り1箱の手取りは3時間を要して3000円。商品12万、自家用5万、合計17万円を月の労働270時間で割ると時給は600円ちょっとか。はたき込みでユニクロには負け。ナカムラさんの生活は土俵際で日々あえぐ“ユニ苦労”ですねえ。そう笑う人もいるかもネ。
でも不満がない。
田舎暮らしにはゼニカネで換算できない余禄が大きいのだ。世の中には風呂が好きじゃない、入るのは2日か3日に1回という人もいるらしい。僕は毎日入る。寒さが厳しい今は45度の風呂。フルパワーで働いた後,全身を覆った汚れをタワシでこすり落とし、下唇まで湯に浸る姿勢で頭にめぐらす。今日なした作業と明日の予定を。田舎暮らしの味わいはこの瞬間、45度の湯気とともにゆっくり立ち昇る。熱い風呂から上がって飲むグラス1杯のワインとパンが心地よい。深く眠れるところもいい。
強風から守るためにはビニールの裾に高く土を盛るのが一番だ。とは言え、四方の合計は30メートル。重労働である。
田舎暮らしが教えてくれた健康の秘訣
時あたかもインフルエンザが猛威とメディアが伝えている。幸い風邪ひとつ引かない。コロナにも罹らなかった。感染症への力強いワクチンとは何だろう。手前味噌で言う。たぶん無邪気、心が風景に溶け込み、日々の激しい労働がイヤでも体力を増し、免疫力が高まる、すなわち「田舎暮らし」ではあるまいかと。
健康であるとは、医療費かかからないとかのゼニカネ問題でなく、昨日と同じことが今日もできるという喜びだ。昨日と今日が変わらない……。平凡なようで大事なこと。変化のない日常に不満を漏らす人もいるが、本当は大事なこと。世にストレスの種は多い。でも、「今日は昨日の続き、明日もたぶんその続き」、時間の一体感、体と気持ちの不変感、それが抗ストレス薬の役目を果たす。おカネにチョッピリ縁遠い。
されどヘルシー。
45年、田舎で暮らした男が自信を持ってアナタに「推す」、それが田舎暮らしである。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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