里山の春を待つ、そして生きる
朝食は至福のひととき
↑ 朝食の楽しみ、それから得るカロリー。これが我が百姓暮らしでの半分ほどの支えとなっている。
あと1週間、2月も半ばになると桜の咲く頃の陽気になります、気象予報士がそう言っている。その言葉を信じて今日も低温と瞬間風速20mの強風に立ち向かう。ビニールトンネル5本の中にはチンゲンサイ、カブ、人参、ホウレンソウ、春菊がある。ハウス6つにはキャベツ、レタス、ジャガイモ、イチゴ、ソラマメがある。夕刻に被せた防寒シートを朝日に当てるため外しに行く。僕の1日はそこから始まる。
その仕事とランニングを済ませたら朝食。
今朝は目玉焼きにブロッコリースプラウトを添えた。電熱器から取り出しざっと水洗い。わしづかみにし、薄皮が残っている根をうまく避けるようにしてかぶりつく。ブロッコリースプラウトには強い香りのクセがある。それがなかなかいい。
落ち込んだときには、いっそ徹底して一人になるというほうがいいみたい。
詩人・工藤直子さんの言葉である。詩人には辛い時にするおまじないがいくつかあるらしい。「十年後、十年後」と視点を未来にずらす。あるいは大きな木の下に立つ・・・。
孤独という言葉にはとかくマイナスのイメージが伴う。ゆえに孤独を嫌う、恐れる人は少なくない。気持ちは分かる。でも孤独でないと見えないもの、味わえないものはある。生来の性格の違いにもよるだろうが、誰にも会わず、誰とも言葉を交わさず、通りすがりに短くつぶやき合うのはニワトリ、面と向かい合うのは野菜だけ、そんな暮らしの平穏が45年の田舎暮らしで僕の体に染みついた。
自然を友として、土に根ざして生きる
↑ 1年という時間単位を桜ほど意識させるものはない。360日が地味、5日間だけ派手。そのせいだろうか。
満開の桜まで50日。まだしばらく寒気と北風の日々はあるだろう。しかし、詩人・工藤直子さんの言葉を借りれば、「50日後、50日後」そう胸の内でつぶやきながら僕は仕事に励む。桜の開花というゴール。それまでにはフキノトウとタケノコが顔を出し、ビニールハウスでイチゴが赤く色づく、ソラマメが小さな実を着ける、可愛いヒヨコが生まれる・・・さまざまなイベントがある。
本当は孤独かも。しかし「孤独」という言葉の負の側面は頭をよぎらない。誤解をおそれず言うならば、そもそも田舎暮らしとは『森の生活』のヘンリー・ソローがそうであったように、独りを楽しむ、自分の力で生きる、自然を友とする、雑踏の中では見えなかったものをじっと見る、そういうことではないのかな・・・僕の考えである。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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