自給自足を夢見て脱サラ農家40年 第70回
どこにも行かず、外食せず
今日も「ここ」にいる
昨日と今日はどこかが違う
フェイジョアの花が咲く、プラムが色づく
小さな変化が絶え間なく
飽きることなく
今日も向かう
田舎暮らしという職場
野球と自然から得た教訓
智将から学ぶ人生哲学
93歳まで錆びない生き方・・・
今回は野球の話から。元ジャイアンツの名ショート、広岡達朗氏。野菜を新聞で包んでいて、その著書の大きな広告に出会った。若い人には馴染みがあるまい。華麗な守備だったが、本塁打や打率では長嶋、王に及ばない。野球選手を二分、天賦の才か、頭脳かとするなら広岡氏は後者ということになろう。
僕は野球少年だった。学校の昼休み新聞配達をした。昨日のナイターの結果が知りたい。お客さんに届ける新聞をそっとめくった。なのに中学の野球部には入らなかった。理由はいろいろあるが、野球部を率いる番長格の影響も大きかった。
→ 仕事の合間のおやつ。イチゴもクワも終わった。今はラズベリーの季節である。硬くプチプチとしたものが歯に当たる。それが難点という人もいようが、僕は気にしない。熟したものはさっと茎から離れる、そのまま口に放り込む。収穫期は1か月と短い。
60何年も前のパリーグは西鉄ライオンズの全盛時代。番長格はその大ファン。陣取り、馬飛び、遊びのグループ分けをライオンズのファンかそうではないかで決めていた。野球部はそれでダメ。柔道部というガラでもない。結局僕は帰宅部。放課後は野山をほっつき虫や鳥を追いかけていた。
広岡達郎氏の著書。ズラッと並ぶ見出しで心にピタッと重なったのは・・・
病院を頼り過ぎない。自然治癒力をもっと信じて。
本気でやると不運も幸運に転じてくる。
苦しい欲望と楽しい欲望。どうせなら楽しい欲望を持って生きる。
逃げ道をつくらない。自然は弱気な人をもっと弱くする。
前回書いた「なんとかなるさの我が精神」。これだけだとお気楽生活、チャランポランのように聞こえるだろうが、上の言葉通り、僕の田舎暮らしは、楽しい欲望を、本気でやって、逃げ道をつくらないが原則。広岡氏は自著を次のように総括する。
せっかくこの世に生まれたのだから、愚痴や文句で人生を濁さず、氣を出して、前向きに、積極的に生きたらいいのです。積極的に生きていると、たいていの禍は避けていきます・・・。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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