失われゆく自然の恵み
知床の異変が示唆するもの
今日は6時半で仕事を終えた。足をうんと後方に伸ばし、曲がった背骨を矯正しながら夕刊を読む。一面トップは知床半島でカラフトマスの遡上が激減という記事。かつて2000箇所あった産卵床がわずか6箇所になったという。気候温暖化、海水温の上昇が背景にあるらしい。
カラフトマスはヒグマなど野生動物の餌になるだけでなく、産卵を終えて死んだら、海で蓄えた窒素やリンなどの栄養が放出され、川やその周辺の土壌を豊かにするという。ここにも命から命へという大事な循環がある。地球温暖化はすでに世界の食料事情に影響しているが、最近の研究では人間の精神面への影響もあるらしい。
20代女性の東京集中とストレスと地方消滅
人はなぜ東京に憧れるのか? 僕は中2の夏休み、初めて東京の街を見た。従兄と僕の兄がそれぞれ東京の大学を出てサラリーマンをしていたのだ。65年前の東京は美しくなかった。高いビルも新幹線もまだなくて、東京湾も、そこに流れ込む河も汚れに汚れていた。それでも僕の心がときめいたのは事実である。その翌年、中3で中野の中学に転校、今の田舎暮らしを始めるまで40年間、東京との関りを持った。
20歳から39歳の女性人口が半減する自治体はいずれ消滅する可能性がある。全国の自治体の4割がそれに該当する・・・。
有識者会議でつくる「人口戦略会議」はそう警鐘を鳴らした。僕は驚く。20歳から24歳の人口で女性が占める割合が最も高いのは東京だという。その背景には、地方では仕事の選択肢が少ない、家事は女がやるものといった古い慣習に縛られる、それゆえ誰にも干渉されない都会を目指す、そういった事情があるらしい。
他方でちょっと辛いデータもある。国立健康研究機構の調査によると、20代女性の長期病欠発生率は同年代男性の2倍以上という。理由の多くはうつ病や適応障害。入社から年月の浅い女性が職場でのストレスに見舞われるせいであるとのことだ。
20歳前後の若い世代が東京を目指す一方で、30代、40代で東京から脱出する現実がある。5月、東京有楽町で行われた移住相談会は熱気に包まれていたという。何ゆえか・・・子育て世代には物価高騰が重荷になっているらしい。東京の新築マンションが1億何千万。これには驚かなかった。僕が驚いたのは家族向けマンションの平均家賃がなんと24万円すること。夫婦とも勤めというのは今では一般的なこと、総収入は多いだろうが、それにしても24万円はすごすぎる。ほぼ僕の月収が家賃だなんて。だからそっと言う・・・そうだ、皆さん、田舎に移住しなさい。空は青い。土地も家も広い。食べ物は自給できる。
東京から目を転じて韓国ソウル。韓国の人口は5168万人。うち51%がなんとソウル首都圏に集中する。東京および周辺3県の集中度は30%というからこれも驚きである。韓国では、ソウルの大学を出て首都圏の大企業に就職することが「成功」であり勝ち組で、地方に残れば「負け組」なのだという。
東京はすごい!! ナマの東京はもう20年も僕は見たことがなく、テレビでしか知らないが、例えば渋谷駅とその周辺の美しさ、さらに空から俯瞰するゴージャスな東京の夜景。もはや、僕が住み、働いた、かつて憧れもしたあの東京ではない。
不思議と言えば不思議。特急電車で58分という場所に暮らしていながら、たまには行ってみようかとの気持ちにならない。キライになったわけではない。文化的施設皆無のムラに暮らす僕は、東京が「中身」豊富な大都会であると素直に思う。でも心は向かない。えっ、そんな理由で? ビックリする人もいようが、例えばママと一緒に楽しそうに庭で遊ぶヒヨコたちが、留守中、ハヤブサとか野良猫とかに襲われたら可哀想だ。そんな気持ちで、近場での所用がある場合でも急いで帰宅する。遠出は論外なのだ。
「頑張らない」生き方と日々の充実
前にも書いた。週休ゼロ、365日、日没が遅い今は仕事を終えて部屋に上がるのが8時近い。やることが日々ギッシリ。とても外に出る、東京に行くなんて余裕なんぞない、ひたすら頑張る・・・頑張るなんて言うと『90年、無理をしない生き方』を著した多良美智子さんにはお叱りを受けるな。
貧乏暮らしは悪くない? 梅干しご飯からはじまる豊かな人生/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(65)【千葉県八街市】
頑張ることをせず、高い理想も持たず、できることを楽しむ。エレベーターもない築58年の古い団地で夫の死後は独り暮らし。朝はラジオ体操、昼は習い事、そして読書や針仕事・・・そんな多良さんが漏らす言葉「自分のために時間を使えること、それ自体が幸せです・・・」これだけは僕の胸の内にもある。年中無休。梅雨の今は泥水に浸かったような姿で働く。しかし1日を、1年を、すべて自分のために使えている、その幸福感はある。
梅雨明けの兆しと夏の到来
バナナ栽培に見た希望
なんとなんと、突然ですが、雨嫌いの僕に朗報。梅雨入りからわずか10日。天気予報はずらり晴れマーク。今日の気温なんと35度。このまま梅雨明けかもとの予測がある。よっしゃ夏だぜ。今日バナナたちと喜びを分け合う。
昨秋買った苗。毛布数枚を掛けたり外したりの防寒。多くの果物を手掛けて来たがバナナは初めて。バナナは木でなく多年草であることを知る。中心からネジリン棒みたいなものが伸びる。それが広がり葉となる。この繰り返し。花が咲くまで2年。花が咲いて食べられる実になるまでさらに3か月。
うーむ、この待ち時間・・・ふふっ、でも悪くないのである。朝の食卓でバナナをもぎ取る。ドリームカムトゥルーの時を僕は待つ。待つこと、それは生きる源。小さな希望のタネを常にまいておく、これが我が流儀。太陽光発電もそうだった。エネルギー自給はどこまで可能か。始めは軽い気持ち、インバーターもたった300ワット。でも小さな成功が熱を帯びた。さらなる目標アップになった。今では小なれど立派な発電所だ。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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