灼熱の夏と日焼けと農作業
真夏の畑仕事に効く日焼け止めと疲労軽減
「紫外線は『肌の敵』浸透」・・・新聞にそんな大きな記事があった。化粧品大手「コーセー」の研究では、屋外での運動時に日焼け止めを使用することで疲労感が軽減される可能性があるらしい。日焼けという言葉が一般に浸透するようになったのは明治時代末、日焼け止めが発売されたのは大正時代。ただし日焼けは健康に悪いという認識は1990年代までは高くなかったという。そして今、男も日焼け止めを塗る、日焼け止めを使う男は20代、30代が中心らしい。
この上の写真は我が腕。腕の下に見えるのは足。仕事ではケガ防止のため夏でも厚手の長ズボンをはく。ゆえに足は日焼けせず白いのだ。日焼け止めクリームを愛用する20代30代の男たち・・・あなたたちの肌は僕の足くらい白いのかな。
畑の記録と収穫の喜び
さて、ここで本年上半期の成績をまとめておく。平年、最も遅い梅雨明けは7月20日頃だ。しかし今年は6月以降まとまった雨が降ったのは10日足らずだった。雨なし高温の天気を喜んだのはまずトマトで大豊作。ジャガイモもよく出来た。ブルーベリーは糖度が高く、ナス、ピーマンも上出来だった。ポポー、柿、栗も順調に育っている。
ただしナス、ピーマンは何十メートルものホースを引っ張りまわしての水やり苦労のおかげだ。ほったらかしだと日焼けで傷み、落果する。さらにピーマンには隠れた敵がいる。カメムシ。茎の液を吸い取り、そっくり株を枯れさせるのだ。
プラムも途中まで大豊作を期待させていたが、野鳥の被害が増え、本当は完熟まで木につけておきたいが不本意ながらもぎ取った。他に温州ミカン、夏ミカン、デコポンは現在のところ順調な生育。
あっ、そうそう、高温を喜んだのはバナナもだ。5月までは丈60センチ。それが10日に1枚の割で葉を増やし、ついに僕の身長を抜いた。30度の気温はまだ50日くらい続く。朝食に自家製バナナを食べる・・・我がドリームカムトゥルーの時はそう遠くないかも。
ただし、いかにして冬を越させるか、今から思案している。2×1×1メートルの木枠を作る。底面に太陽光発電につないだ電気マットを敷き、ビニールで覆う。夜は布団を掛ける。これでマイナス5度になんとか耐えられないか・・・。ついでに書くと、バナナは親株の足元に子株がどんどん出て来る。これを別な鉢に植えてやるといくらでも増やせるということを僕は知った。しかし問題はやはり越冬なのだ。年によってはマイナス7度まで冷え込む当地ではそれが問題なのだ。
高温に耐えられなかった苦い結末
一方、悪い方。7月収穫を予定したエダマメはほぼ全滅。マクワウリも高温に耐えられず傷んだ。6月に植えたネギは高温で地際からポッキリ折れてしまうものが多かった。気温の影響ではないが、トウモロコシはアライグマに食われた。ああ、それと、晩秋から初冬にかけて収穫する予定のピーマン、現在30センチくらいの大きさ。さっき書いたようにそれにカメムシがいっぱい取りついている。茎をゆすって落とし、地面を這いまわるのを足で踏みつぶす。それが最初のやり方だったが、まてよ、これは二重の手間だ。それより・・・茎ごと握ってつぶせば早い。しかし不思議。2日もするとまた登場する。困ったやつらだ。そんなこんなで上半期の我が畑の採点はおよそ70点くらいかと思う。
僕は料理は下手だが、栄養学的な意識は高く、肉、魚、野菜、果物、乳製品・・・日々、まんべんなく食べる。クスリは全くのまず、健康サプリメントのようなものとも無縁だ。すべて健康は食べ物からという意識がある。目下の猛暑、それを乗り切るには目いっぱい体を動かすこと、栄養バランスを心がけた食事をすること、そして、昼間の労働の疲労をバネに、よく眠ることと考える。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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