北海道の東エリア、弟子屈町は屈斜路湖(くっしゃろこ)や摩周湖(ましゅうこ)の美しい景色に恵まれたまち。ここで牧之瀬牧場を経営する夫妻は今、移住して10年目の夏を迎えている。夢見た暮らしを手に入れた経緯と牧場経営について伺った。
掲載:2025年9月号
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北海道弟子屈町(てしかがちょう)
道東のほぼ中央部、火山がつくり上げた山並みと湖の景観が美しいまち。人口約6400人。釧路(くしろ)空港、女満別(めまんべつ)空港、根室中標津(ねむろなかしべつ)空港の3つの空港へ車で1時間前後で行けるほか、JR釧網本線の摩周駅や川湯温泉駅なども利用できる。屈斜路湖や摩周湖、川湯温泉、硫黄山など魅力的なスポットが多く、釧路湿原や知床半島と併せて観光に訪れる人も多い。写真は摩周湖。
心に残るカナダの風景と家族への想いが原動力に
牧之瀬佳貴(まきのせよしたか)さん(39歳)、智子(ともこ)さん(37歳)
9歳、7歳、5歳、2歳の子どもたちと暮らす6人家族。2016年に千葉県から弟子屈町に移住し、2018年から牧場を経営。約150haの土地で100〜110頭の牛(ホルスタイン種、ジャージー種、ブラウンスイス種)を飼育する。夏場は昼夜問わず放牧する酪農スタイルで質の高い生乳を生産している。
牧之瀬牧場 https://makinosefarm.base.shop/
町域の約半分が阿寒摩周国立公園に指定された弟子屈町は、道東を代表する湖の景観が美しく、豊かな森林を擁する大自然のただなかにある。その心地よさから個人や企業の別荘も多く、北海道民も各地から観光に訪れるエリアだ。
このまちで牧之瀬牧場を経営する牧之瀬佳貴さん・智子さん夫妻は、2016年に千葉県から家族で移住し、すでにあった牧場を継承した。移住前は千葉県の自宅から都内の歯科医療機器メーカーに通勤していたという佳貴さん。
「毎日、片道約1時間の電車通勤をするなかで、この暮らしを何十年も続けた先にどんな未来があるのだろうかという想いはありました。海外を含めた出張も多く、なかなか家にいられない。そんなとき、子どもを授かったんです。できるだけ家族との時間を持てる仕事はないかという気持ちが強くなりました」
人生の転機を感じていた佳貴さんは、勤務先の近くで行われた北海道物産展にたまたま立ち寄る。そこで見つけたのが「担い手育成センター」のブースだ。
「なんだろう?という軽い気持ちで立ち寄りました。話を聞いてみると、第三者継承というかたちをとって就農する道があることを知りました。それで興味を持ち、東京ビッグサイトで行われた移住フェアのイベントなどにも足を運んで、酪農の仕事と出合ったんです」
心に浮かんだのは、カナダに留学していたときに目にした牧歌的風景だった。広大な牧場に立つ一軒家で家族とともに過ごしながら牛を飼う、その人生のあり方は今の自分が求めているものだと感じた。妻の智子さんもカナダには一緒に留学していたため、佳貴さんの抱いたイメージに共感してくれたという。
酪農を主幹産業とするまちが多く存在する北海道のなかで、牧之瀬さん夫妻が弟子屈町を選んだ理由は、酪農だけではない魅力的な環境にあった。
「仕事を引退したあともこっちに来てよかったなと感じられる場所で暮らしたいと思いました。弟子屈町は景色が美しく、川湯温泉などの温泉地もあり、観光業にも力を入れています。新規就農の支援制度だけを見ればもっと充実したまちもありましたが、遠い将来まで見据えたときの満足度を考えて、弟子屈町に決めました」
現地の下見を経て、移住後に必要となる大型特殊免許や牽引免許を事前に取得。子どもが生まれ半年ほど経って少し落ち着いた16年、佳貴さんが29 歳のとき、ついに家族で弟子屈町への移住を果たした。
移住者だからこその危機感で新しい事業にも挑戦
牧之瀬さん夫妻が利用した第三者継承という就農方法は、すでにある農家の土地や建物、設備などを購入し、技術やノウハウを引き継ぐプログラムだ。牧場で研修している間も夫婦2人分の研修手当が出たため、生活に困ることはなかったという。
「大学なら学費を払って学ぶところを、学びながら家族で暮らせるくらいのお金がもらえるという安心感はありました」
引き継ぐ予定になったのは当時69歳の酪農家の牧場だ。国の就農準備資金・経営開始資金(当時は青年就農給付金)や農協の支援制度を利用しつつ、親方と見習いの関係のように教えてもらいながら研修期間を過ごした。晴れて経営者となったのは18年。現在、約20haの牧草地に牛を放牧し、冬場の餌となる牧草を育てる草地も約80haを所有している。継承は最初からすでに稼働している農場をそのまま継げるのが利点だが、自分の描くイメージに近づけるにはやはり時間が必要だ。
引き継ぎ当初は40数頭(うち搾乳できる牛が27頭)の牛からスタートし、現在はジャージー種やブラウンスイス種を含め100〜110頭ほどにまで増やした。経営を始めて1年半ほど経ったころ、牧場の中に現在の家を建築。理想にはまだ遠いというが、北米の農場で見かけるような広い玄関ポーチや薪ストーブがある素敵な自宅だ。
「家族で一緒に過ごす時間を多くとれるようになって、朝食も夕食も家族みんなで食べられる。朝5時ごろから働きますが、夜は22時くらいには寝られる。そういう生活の満足感は大きいと思います」
牧之瀬牧場では、東京ドーム約5個分にも及ぶ広大な放牧地で牛を放牧している。自然と近い環境でのびのびと育つことが、牛の健康維持にもつながっている。
玄関ポーチや白い窓枠が海外の家を思わせる素敵な自宅。同じイメージを共有する二人だから実現した北海道暮らしの形だ。
4人の子どもたちと一緒に過ごせるのが何よりの喜び。夫婦で同じ仕事に取り組み、その傍らに子どもたちがいる暮らしは、都会での通勤生活では手に入れられなかったもの。
一方で、収入の増減の激しさには毎年悩まされているそう。特に近年は輸入飼料や重機、燃料などすべての経費が跳ね上がり、計画通りにいかないことも多々ある。
そこで今後、期待したいのが、3年ほど前から始めた六次産業化の取り組みだ。最初に札幌の加工業者と取り組んだソーセージや生ハム、ベーコンなどの加工肉、昨年始めたアイスクリーム製造のほか、牛肉がたっぷり入った放牧牛スープカレーの販売も手がけている。近くの道の駅「摩周温泉」では飲みきりサイズの牛乳も販売。放牧を中心とした飼育でのびのびと育った牛たちが出す生乳からつくった牛乳は、さわやかな草の香りと自然な甘みがそのまま生きている。
「僕らは、酪農家の経営がよかった時期に蓄えをつくれたわけではないので、常に危機感を持って経営をしています。生乳だけを売る怖さのようなものは就農当初からありました。22年に製品化を始めて、自社工場を持つようになったのが昨年の5月。やってよかったのかどうかは5年後くらいにわかると思いますが、牧場全体の売り上げを底支えする事業に成長してくれればいいなと願っています」
牧場の入り口や商品に使われている牧之瀬牧場のロゴマークもデザイン性が高く、やはりどこか海外の農場のゆったりとした雰囲気を感じさせる。移住者だからこそ抱く危機感が推進力やアイデアを生み、新しい挑戦へと突き動かしているのかもしれない。家族で過ごす温かい時間を多く持つことを実現させた牧之瀬牧場の今後に、これからも注目していきたい。
通常は豚肉でつくることが多いソーセージや生ハムを、牛肉で加工。ストレスのない環境で放牧されて育った牛のうま味が凝縮されている。
牧之瀬牧場の搾りたての生乳を使用したアイスクリーム。濃厚ながら後味がスッキリとしていて、季節によって風味が異なる。
雪に覆われる冬の間に備え、広大な草地で牧草を育てている。短い夏の間、育った牧草を刈り取ってロール状に巻く作業はとても重要だ。草がしっかりと乾くよう天候を見極めて刈り取り、雨に当たらないうちに牧草ロールにしてラッピング。その状態で発酵させることで長期保存できるようになる。
牧之瀬さんからのアドバイス
自分に合う環境か移住前に下見を重ねる
「人によっては不便にも思える小さなまちの暮らしやすさを楽しめるかどうかは重要。スーパーで必ず知り合いに会ったりするアットホームな雰囲気です。冬は-20℃以下になったり雪が積もったりしますので、そのまちが合うかどうか、季節を変えて下見をするのも大事だと思います」
弟子屈町移住支援情報
面積の65%以上が阿寒摩周国立公園! ダイナミックな自然に恵まれたまち
ひがし北海道の中心地に位置する弟子屈町は、車で1時間前後圏内に3つの空港がある、空のアクセスに恵まれた環境。面積の65%以上が阿寒摩周国立公園を占めている大自然のまちで、日本最大のカルデラ湖「屈斜路湖」や世界有数の透明度を誇る「摩周湖」など、美しくダイナミックな自然を身近で楽しむことが可能。無料かつオーダーメイドの移住体験プログラム、UIJターン支援補助金、ふるさとワーキングホリデー、保育料・給食費無料などの移住・子育て支援が充実している。
お問い合わせ:弟子屈町まちづくり政策課 ☎015-482 - 2913
北海道弟子屈町 移住・定住ポータルサイト|行きたいまちへ、生きたいまちへ。
屈斜路湖に飛来する白鳥。四季によってさまざまな景色が楽しめる。
オーダーメイドの「移住体験プログラム」は、希望に合わせた内容でさまざまな体験ができる。
LINEのチャット機能でも気軽に移住相談可能 ⇒ https://line.me/R/ti/p/@825nzqeb
文/春日明子 写真提供/牧之瀬牧場、弟子屈町
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