畑とエネルギー、地方が背負うリスク
猛暑と虫害で試される白菜の命
9月も第2週に入った。そして天気はなお猛暑。焼け付く、のしかかる、熱波が包み込む・・・どう表現すべきか頭も混乱するほどのすさまじさである。午前の仕事を終えてランチタイムで部屋に戻る。作業着を脱いでパンツ1枚になり、扇風機を回す。だが送られてくる風は温風である。
人間も辛いが、野菜はもっと辛い。この下の写真は定植半月の白菜。猛暑に痛めつけられ、数日前の強雨に叩かれ、いま再び猛暑にさらされている。さらに不運だったのは虫害。青虫や毛虫には熱中症というのはないらしく、むしろ、低温気味の天候よりも活動が活発になる。この白菜は激しい雨と高温でダメージを受け、さらに青虫に食われてのトリプルパンチなのである。どうやら生長点がダメになったみたいだから外葉は伸びても巻くことはあるまい。ニワトリの餌にするしかない。
由利本荘市・風力発電撤退の衝撃と地域の現実
先週の台風は強い雨だけでなく風もかなりだった。それでソーラーパネルが傾いた。固定しなおすとともに、ちょうど良い機会、周辺の草も取ってやることにした。この作業をしながら思い出すのは、秋田県由利本荘市の洋上風力発電のこと。
かなり大きなニュースになった。事業を行う予定だった三菱商事が撤退を決めた。資材高騰や円安による建設コストのふくらみが理由であるらしい。地元民は街の活性化を期待し、風力発電の経済効果を期待してコンビニまで出来たのに、計画中止が大きな落胆を招いているという。
朝日新聞の連載『現場へ!』はこうした状況をふまえた「再エネと地域共生 行方は」というシリーズを始めた。風力発電には思わぬリスクがある。羽が折れて落下する。飛んだ羽が当たって高齢男性が死亡という事故もあった。風速40メートルクラスになるとソーラーパネルも転倒するが、人間にぶつかるということはない。由利本荘市には建設反対のグループがある。そのリーダーは言う。
夕日の美しい海が風車で埋め尽くされる。想像できない。そんなに必要なら、東京につくればいいじゃないか・・・。
東京につくればいいじゃないかという言葉は以前にもあった。原発である。地方で作られた電気が送られる先は東京。地方はリスクを背負い、東京は恩恵だけ受ける・・・不平等じゃないかというわけだ。たしかにそれには一理ある。
先に書いた抑鬱症状を減らす伝統的な日本食。しかしそれにも弱点があるという。精製された白米には食物繊維やミネラルが少ない。漬物や干物には塩分が多く、日本食では乳製品や生野菜、果物などが不足しがちになる。
僕は乳製品が好き。チーズやヨーグルトを好んで食べる。この上の写真は今日の朝食。右に見えるのはモロヘイヤとシーチキンを合わせて茹でて、生クリームを掛け、塩コショーを少し振ったものだ。果物も、早春のイチゴに始まり、ラズベリー、クワ、ブルーベリー、プラム、マクワウリ、ポポー(この下の写真)、イチジク、柿、ミカン、フェイジョア、キウイ・・・途切れることなく食べる。
ポポー
これ、まさに田舎暮らしならではの役得ということであろうか。海もなし山もなし。日々、平凡な風景ではあるが、季節ごとに、浮かぶ雲、鳴く鳥、吹く風は変化する。情熱を傾けた野菜たちもアクシデントを乗り越えて成長する。この風景に交わる人の暮らしには「重い心」の生じようがない。野菜を食べる、果物を食べる。田舎暮らしとは心身にすこぶるヘルシーなのである。
さて、野菜にとって辛い天気は依然として続く。発芽から日の浅いものにとって、焼け付くほどの光がどれほどキツイものか、想像に余りある。それでも年間のスケジュールに従い種まきはやっておかねばならない。今日は普通の大根と聖護院大根をまいた。相変わらず猛暑何するものぞと、何もかもを覆い尽くすほどのカナムグラ、それを撤去しながらの畑作りである。
何者にもなれぬまま終わるのか
この記事のタグ
この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
田舎暮らしの記事をシェアする