定年後の暮らしと健康への気づき
退職後の父の生活
定年後、自宅で動かない父
今月初めの激しい雨で雨漏りした寝室。応急処置として張ったビニールの一部が風でプカプカしている。土嚢を増やさないといけないな。土嚢7つを持って屋根に登った。今年は幸い、まだ台風が来ない。今日も日中は32度に及んだが、風雨より猛暑の方が僕はいい。そう思うわけは雨漏りする家に住んでいるせいでもあろうか。
30代女性が60代半ばの父を案ずる人生相談を目にした。昨年定年退職した父はずっと自宅の定位置から動かない。
テレビを見て、スマートフォンをいじり、時々はパソコンを開く。母が作った食事を口にし、食べ終わったらまた定位置に戻る。私は父の健康が気になるためラジオ体操を一緒にしたり、日々の歩数を計測してもらったり、いろいろ働きかけましたが長続きしません。さすがに嫌気がさしてきました・・・。
回答者の大学教授は「お父様は退職したばかり。働きづめの生活から解放されて、だらだらできる日を味わっている。しばらくは優しく見守ってあげてはいかがでしょうか・・・」と理解を示す。僕もなるほど、そうかも知れないと思う。たぶん十分なお金もあって新たな仕事を探す必要なんてない方なのだろう。
ただし、ずっと今のままではきっと支障が生じる。四六時中、家にいてテレビ、スマホでは、いつか、どこかで体調が崩れるのではないかと思う。でも、そう言いながら、僕はこの男性が羨ましくもある。自分は休みなしという人生を送って来たからだ。
会社を辞めて、百姓になって。手にした退職金500万円が消えてしまう前に畑仕事を軌道に乗せねばならぬ。折しも二人の子はそれぞれ高校大学と進む時期。僕は百姓として食える日まで、昼間は仕出し弁当屋の配達をやり、夜は英語塾をやった。だから、定年退職後、カネの心配する必要なく、ずっと自宅の定位置に座り、妻が作った食事を食べていればよいというこの男性には、すごいなあ、いいなあ、感動さえするのである。
自給生活と比較する日常
今日はレタスの種をポットまきした。すでに1回、畑にまいたのだが、直後に降った強い雨のせいか、土質が合わなかったか、発芽はほぼ皆無だった。それにしても今年は蚊の数がすごい。日中でもヤブに入るとすごいのだが、それを上回る数が日暮れ近くなると僕の腕を襲う。腰を落としポットに土を詰めている僕の体は小さな動きしかしない。それをいいことに・・・。
この下の写真には3匹しか写っていないが、同時に10匹ということもある。いちいち追い払っていたらタネまきの効率が悪くなるのでほったらかしする。自宅の定位置から動かないという人生相談のあの男性は、きっと蚊に刺されるなんてことはないんだろうなあ・・・極小のレタスのタネをポットに慎重に落としていきながら、僕はそんなことを考えたりもした。
僕は3Kを5Kと訂正したい・・・いや欲張って6Kだ
9月も残り4日となった。20度台でおさまっていた気温が30度に復活。湿度も高い。ここ3日、休ませてやれた扇風機に今夜は再登場を願うことになるかな。この高温と蒸し暑さは葉菜類には芳しくないが、喜ぶものもある。ピーマン、ナス、ゴーヤ。その健康寿命が延びる。
大きなバケツを持って栗拾いに向かう。ああ、そういえば「秋を感じる」食材は何ですかというアンケート調査の結果を新聞が伝えていたな。梨、サンマ、柿、マツタケをおさえて1位は栗だった。先週だったか、栗の専門農家をテレビが取材していた。今年の高温は品質と収量に影響を与えているらしい。この下の写真は色づいた柿。うちの柿もやはり高温、雨なしが響いて実は小ぶりだ。
ランチをすませてから苗もののケアをやる。この下の写真は先週まいたとんがり帽子型のキャベツだ。土を足してやり、水やりをする。ワンポット3つ発芽しているものはいずれ別なポットに分割する。畑に定植可能なサイズになるのは10月中旬。3日がかりで草を払って整地した場所に植えてやる。収穫はたぶん1月からだ。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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