生活が苦しい、そう言う人が多いという
コメ5キロ4200円は高すぎる
だから、ごはんはやめてパンにする
そんな人もいるという
目を転じて株高
最高値を更新したとテレビが伝える
野菜のカブならわかるけど
あっちの株のことはトンとわからない
物価高で生活が苦しい
そう言う人が多い一方での株高
何が良いのか、何が悪いのか
この国は豊かになっているのか貧しいのか
ニッポンという国の姿がよくわからない
そうつぶやきながら百姓は普段通りに働く
日の暮れが早くなった
真夏は午後7時20分まで作業ができた
それが記憶細胞に刻まれている
暗くなったからとて5時アガリは早すぎるぜ
記憶細胞がそう言う、だから照明を灯して働く
好きなのだな、トコトン働くことが
株のことはわからない、大根・カブならわかる
CONTENTS
※今回は、10月末に執筆したものを公開しております。
せっかくの手料理が家族に不評という父の悲しみ
田舎暮らしの「ごはん・暮らし・労働」
どうにも困ったものである。11月までまだ10日もあるというのに日中の最高が14度、朝の最低は12度。早すぎるじゃないの、この寒さ。まさか、あの8月の猛暑と、足して2で割ればそこそこの数字になるでしょ・・・そう天気の神様がおっしゃっているわけでもあるまい。
気温は低くとも晴れているのならば白菜、大根、キャベツ、ニンジンは喜ぶ。しかしなんとも日照時間が短い。一方で、雨多く、気温低しとなると、収穫延長を目論み、あれこれ防寒に手を尽くしたピーマン、ナス、キュウリには芳しくない。
読売新聞の人生相談で面白い悩みを目にした。相談者は10代の女子大学生。「私は父のことが好きではありません。原因は父の手料理のまずさです・・・」。母親が料理不得手ゆえ、料理が趣味という父親が作るらしい。メニューは決まって魚と野菜。肉はない。そして薄味。彼女は「まずい」と言いたいが、父は怒るだろうから、不機嫌な顔で食べたり、ため息をついたりしながら食べている・・・。
料理が趣味。薄味。魚と野菜が主体。この男性はもしかしたら立派。家族の健康を常に考えながら台所に立っているのではないか。だから僕の気持ちは父親支持に傾く。
僕は料理が趣味でもなく上手でもない。ただ、健康と肉体労働のためのスタミナ維持だけを意識しながら毎日作る。この下の写真、材料は赤ピーマン、カボチャ、ゴーヤ、シイタケ、ナス、間引いた大根の葉。それを豚肉とともにじっくり煮込む。この煮込みに、日替わりで、サケ、サバ、ブリ、キンメダイなどの魚が1皿と枝豆。それで毎日晩酌する。あの父親の料理は娘だけでなく家族全員に不評なんだそうだ。自分から台所に立つ男はまだ少ない。ゆえに可哀そうだなという気もする。
貧しくなったと感じますか
本当に貧しいとは何か。田舎暮らしで見えた価値観
Windows10のサポートが終了するというので新しいパソコンを買った。新しいといっても、じつは中古で5万2000円。20万円近くもする新品なんて買えない。僕はパソコンにからっきし弱い、無知。用語の意味がほとんどわからない。でもって、古いパソコンから新しい方に目下、データ移行をやっているのだが、日々、難儀しつつ少しずつ作業を進めている。
「貧しくなったと感じますかという」というアケート調査をしたのは朝日新聞土曜版。国連の「貧困撲滅のための国際デー」にちなんだものだそうだ。回答者2399人。貧しくなったと答えた人61%、いいえと答えた人39%。貧しくなったと答えた人で圧倒的に多いのが「食費が増えた」、これに「年金がさほど増えない」、「医療費が増えた」が続く。
僕の総収入は年金と労働の合わせて月額26万円。たしかに物価はどれも上がってはいるが。さして貧しくなったとは感じない。前にも書いたが家賃がいらない、水道光熱費は一般家庭のたぶん4分の1。今は旅行せず外食せず、幸い無病で医療費もゼロだ。ただしそれによるツケはある。家はボロボロ、着るものもボロ。家のボロは常に自力で補修せねばならず、着るもののボロは他人の目を気にせぬ度胸(あるいは鈍感?)で切り抜けている。
この背景には、田舎暮らしという生活様式が基本的に奏功している。食べ物の半分が自給できること。電車に乗って外に出かける必要がないゆえ、家のボロ、着るもののボロは、中村さんはああいう人なんだからと、近所の人からいったん承認してもらいさえすればすんでしまう。一般の人にはかなりハードであろう日々の労働も、いったん基礎体力が仕上がるとキツくはなくて、逆にさらなる体力増強につながる。医療費ゼロはその結果。田舎暮らしを本気でやれば「生活が苦しくなったと感じますか」の返答は僕に限らずみんなNOなのである。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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