サザンカの花が咲く
その樹間でモズが鳴く
バサバサという羽音とともに花びらが散る
キャベツの土寄せに励む
世界はちぢこまってしまったのだろうか
果てしなく広いはずの世界が今は小さい
小さい舞台にサザンカの花、モズ
80株ほどのキャベツの列と老人がひとり
キャベツは”クキ”を長くして待っていた
忙しいんだろうけど、早く来てほしいよねえ
キャベツ同士の会話をふと耳にした老人
今朝スコップを手にして向かう気になった
草に囲まれている、根が浮き上がっている
待たせてすまなかった
老人は胸の内で詫びを入れ、スコップを打ち込む
ほどなく師走
風は冷たい、空は明るい
小さな舞台に観客はおらず
拍手もざわめきもカーテンコールもなく
モズが鳴く、サザンカの花びらが散る
心地良さげなキャベツたちのため息が聞こえる
老人が仰ぐ青い空は白い雲と手をつないでいる
CONTENTS
寒い家は住人をウツにする?
田舎の寒い家とメンタルヘルスの関係
11月も半ばを過ぎ、一気に本物の冬になってきた。今朝の最低気温は4度。ランニングで通り過ぎる畑はどこも霜で白くなっていた。そして、帰宅して、メールチェックするためパソコンをONにしたが、動きがふだんより遅い気がするのは今朝の寒さのせいであったか。
天気は一気に12月並みの寒さとなります・・・この予報を聞いたのは3日前。半日かけてやったのがこの下の写真、バナナの寒冷防備である。ここはビニールハウスになっている。昼間は南からの光を取り込み、夕刻にビニールを下ろす。
しかし最低気温が4度ではもはやビニール1枚で夜は耐えられない。あれこれブチ込んである倉庫からカーテン、毛布など20枚ほどを引っ張り出し、グルグル巻いて、ガッチリ縛り付けた。でもまだ不安。前回、夜の仕事のために安い電気毛布を買って腰に巻き付けていると書いたが、そうか、これと同じことをバナナにしてやればいいじゃないか・・・さあ、これでどうにか息絶えず春を迎えてくれたら嬉しいのだが。
へえっーと思うニュースを目にした。東北大学医学部などの研究グループは1万7000人を対象にした調査データを分析。結果、寒さ暑さを防げない住宅に暮らす人は、そうでない人と比べ、抑鬱傾向を持つ割合が1.57倍高かったのだという。これ以前、僕は、日本の住宅の9割以上はWHOが推奨する「冬の最低室温18度」を満たしていないという報告を目にしたことがある。
そんな住宅事情は、心臓病、脳卒中、呼吸器や睡眠の障害と結びつくということは知っていたけれど、今回、寒い家での生活はウツのリスクを招くとのデータ分析に僕は意外な感じを抱いたのである。
寒さの中にある楽しみと演出
これまで何度か書いたが、我が家は築43年のボロ家。地震や台風での被害をプロの手を借りず、自分でその場しのぎの修理をしてきた。屋根からは雨漏りし、四方が隙間だらけゆえ冬期の室温は5度になる。だいぶ以前は石油ストーブを使っていたのだが今は暖房は皆無。石油ストーブを使わない理由は散らかり放題の部屋ゆえ火事が心配だからだ。5度の部屋で僕は、アマゾンから3000円で買った電気毛布を腰に巻き、仕事アガリから寝るまでの3時間を過ごす・・・。
こうなれば、ウツ症状にドンピシャという我が暮しのはずであるが、気持ちが暗くなる、ウツっぽいということはない。なぜだろうか・・・。僕は人心をウキウキさせる“演出”が上手なんじゃないか。今日から明日につながる楽しみを用意するのがなかなか巧みなのじゃないか・・・。明日に希望をつなぐ材料。例えば上のバナナがそう。イチゴもそう。真冬に真っ赤なイチゴを食べるには・・・夜はホットカーペット、昼はたっぷり日光浴させる。田舎暮らしにおける野菜や果物の栽培作業すべてが今日から明日につながる小さな希望の連続だと言ってもよい。でもって、ウツになるヒマはないのである。
完璧をめざす、強くありたいと思う
渋柿と暮らしの手仕事が教えること
ここ数日、渋柿を収穫し、焼酎をふりかけて渋抜きする作業に精を出している。総数300ほど。40個ほどを詰めた袋が7つか8つになった。僕は柿が好物。毎日3つ4つは食べる。その柿、食べ過ぎは体によくありませんと、管理栄養士が書いているので少しドキッとしながら読んでみた。
柿は糖質が多い。柿1個はおにぎり1個分の糖質量と同じ。よって食べ過ぎると太る。柿は食物繊維が豊富で、水溶性と不水溶性の両方が含まれている。それゆえに食べ過ぎると下痢や便秘を引き起こす・・・ああ、それなら大丈夫だ。僕は太りたくとも太れない。下痢も便秘もしない。柿が赤くなると医者が青くなる・・・やっぱり柿は優れものなのだ。読み終わって、心配せずこれからも食べようと思った。
精神科医の言葉に感じた意外な気づき
昨日、寒さとウツの関係について書いた。そしたら偶然、今日の新聞広告で”本当は大丈夫じゃないあなたへ”とのリードが付いた『半うつ』という、医師の書いた本を見た。著者である精神科医が教える、心をうまく休ませるコツは以下のようなものだという。
強くあろうとするのをやめる
完璧であろうとするのをやる
私のせいじゃないとつぶやいてみる
休日を充実させようとしない
スマホから1時間だけ離れてみる
眠れないなら本を読むと決めておく
気を紛らわせず思いっきり落ち込む
寝る前によかったことを思い出す
起きた瞬間不安でも良しとする
理想と現実の間で生きる柔らかさ
僕は強くあろう、完璧であろうと常に考えながら暮している。僕が言う「強く」は、休みなく畑仕事をするための骨や筋肉の強さだ。でもってランニングと腹筋は欠かさない。完璧は、どうにもならずあきらめることもあるけれど、意識としては常に完璧を目指す。完璧を目指すからこそ80点か90点が取れるのであり、初めから完璧を捨てると点数はガクンと低くなるだろう。迷わず完璧を目指すべきだ。と同時に、完璧といかず90点、80点、場合によっては60点で終わったとしても落ち込んだりしない、ガッカリせず、よし、次こそは・・・気持ちを入れ替えチャレンジするのである。
スマホは持っていない。パソコンで作業していて、スマホは当然持っているだろうとの前提で携帯番号を要求されることがしばしばあり、ちょっと腹立たしくもあるが、さりとて持とうという気にはならない。次に、寝る前によかったことを思い出す・・・ウン、これはやっている。今日1日なした作業を振り返り、明日の予定を布団の中で考える。さらに起きた瞬間の不安・・・これにはトンと縁がない。少し体が重いという朝はもちろんある。しかし、今日を昨日と同じにする、というのが我が人生の大原則。ゆえに、いつもと変わらずランニングに向かい、熱い珈琲に幸福を感じる。それで、よっしゃ、働こうという明るい意欲が生じる。
総じて言うなら、ウツ、半ウツとは、暮しの中でかかる比重がほとんど精神へで、肉体への比重が抜け落ちているせいではあるまいか・・・。我が日常生活の80%が肉体にかかる比重、残りの20%は目の前にいる鳥、虫、頭上の空などに向ける意識。そこにはウツなるものは存在しない。矛盾するかもしれないが、僕は毎日、完璧を目指して暮らすと同時に、人生、なるようにしかならないという、ちょっといい加減な気持ちもある。田舎暮らし47年、暗い気持ちになったことがないから、この一見矛盾の生き方はまんざら間違いではなかったような気がする。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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