幸せの要素は「地位財」と「非地位財」のふたつ
朝の光と冬仕事
光の朝は心が弾む。畑に回った朝の光を一刻も早く受けさせたいと、昨夕掛けた防寒シートを外しに行って、手の先はピリピリ痛むくらいに冷たいが、光なしの朝に比べたら、なんの、これくらい。
人参の土寄せ、ビニールハウスへのチンゲン菜の種まき、そして荷物の発送。これらを終えた午後4時、スコップを手にしてキャベツ畑に向かう。苗を植えてから1か月半。前に、北風を防ぐために高いビニールの壁を作ったとを書いたが、あの場所のキャベツである。
およそ100本。両サイドに深からず浅からず、成長促進にほどよい高さまで土を寄せてやる。西の林に太陽が隠れてから1時間。どうにか暗くなるまでにやり終えた。9月定植のキャベツは虫害でさんざんだったが、この写真のグループにはそれはない。ただし、この先の寒さが例年以上のものになるようだと結球までにはかなりの時間がかかる。
そうそう、この作業の途中、キャベツの葉にしがみつくようにしている青虫を1匹見た。もう葉っぱを食べる元気もないか、この寒さでは。バッタ、カマキリ、そして青虫。急に訪れた寒さの中でじっとしている姿に僕はいつも命の切なさを感じる。
幸せとは何かを考える
「幸福学」研究者である前野隆司さん。もとはロボット開発などのエンジニアだったというところが興味深く、面白い。その前野さんは、幸せは「地位財」と「非地位財」からなるという。地位財は他人と比較できる財のこと。具体的には金、物、そして地位。
これらによる幸せは長続きしないと言われています。一方で、非地位財とは他人との比較によらない幸せ、愛とか、やりがいとか、つながりによるもので、これは長続きすると言われます・・・。
胸を張って言えること。僕は他人と自分を比較したことがない。残念ながら金、物、地位とは無縁な半生であったが、他人を妬んだり羨ましがったりをせずにずっと生きてきた。楽しみは自分で見つける、カネは生活にギリギリ必要な額を稼ぐ、地位は・・・自分の城を建て、自分をそこの領主に登用する・・・ふふっ、ちょっと大げさな表現になってしまうが、つまるころ、それこそが田舎暮らし・・・ということなのである。
アンコの悲哀
枝豆になれなかった大豆たち
秋がない。夏からいきなり初冬の天気になった。そのひとつの証明が大豆である。僕が毎年作る品種の大豆は10月に枝豆で食べて美味しい。総量の2割くらいをその枝豆として商品にし、11月終わりから大豆とする。ところが今年は枝豆の時期がほとんどなかった。いきなり莢が茶色に変じた。
ここ数日、大豆のマメ取りに精を出している。まず枝をしごく。よく乾燥したものはこの時点で莢からマメが飛び出す。株数200。1株に5本の茎があるとして茎の総数は1000。もって、ひたすら辛抱。右手でしごき続ける。次に叩いて豆を取り出したら良品を選び出す。そして電熱のモヤシ製造機にかける。
作物と向き合う中で得る思索とユーモア
大豆仕事をしていて思い出したのは東海林さだお氏の連載『あれも食いたいこれも食いたい』。連載39回目のタイトルは「アンコの悲哀」だった。大豆は味噌になった。豆腐になった。納豆になった。枝豆になった。対して小豆はせいぜい赤飯かお粥。原型をとどめないアンコになると、もはや帰るところがない。アンコの孤独、悲哀、寂寥・・・そう書いて笑わせる。
その名の通り、大豆は大きく出て醤油になり味噌になった。しかし小豆は小さく出たばっかりにチャンスが失われた・・・百姓でありながら、大豆と小豆というふたつの漢字に特別な注意を払わなかった。しかし今、その名のごとく大きく出て大成功した大豆と、遠慮がちに小さく出て、原型とどめぬアンコになる小豆の悲しみ、それを指摘されると、大笑いするとともに、なるほどそうかと僕は納得したのであった。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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