細菌万歳
免疫と細菌に教えられること
12月29日。思い出すのはサラリーマン時代の仕事納めである。ふだんより2時間くらい早く仕事を切り上げ、デスク周りや足元の床を掃除する。間もなく少量のアルコ―ルとつまみが並べられ、経営者が1年間ご苦労様の言葉を述べる。それで家路にとなればいいのだが、月刊雑誌を担当している僕はそうもいかなかった。
仕事納めと年末の掃除・・・今はトンと縁がない。常より部屋は乱れているが、特に今は、床に電気カーペットを敷き、泥靴で運ぶ鉢植えのイチゴ26個でもって混雑している。部屋の3か所に産卵場所もある。おいでと言ったわけではないが、衣類の入った段ボール箱に卵を産むためニワトリたち10羽くらいが出入りする。ニワトリは泥足だし、ときにはウンチを落としても行く。
どうにも不衛生ではある。しかし、そう心配することはないよ、むしろいいことかも・・・そんな援軍が現れた。援軍とは、マリー・モニロ・ロバン著『細菌万歳! 細菌たちが地球を守る』という本である。
牧場の近くで生まれ育ち、日常的に家畜に触れながら生活する人は、都市で生きている人たちに比べアレルギーやアトピー、肥満といった炎症性の症状を発する率が低いという。農場のホコリには都市で見つかるホコリには見られないような多様な微生物が大量に含まれている。農場で生活する人のベッドにはそれら微生物が住み着き、それが住人の体内における微生物多様性を増やす。結果、幼少から触れることで免疫が形成されるのだという。
不衛生のようでいて強さを育む暮らし
勇気をもらったついでだ、正直に話そう。うちの庭には日暮れとともに地面を覆いつくすほどのゴキブリが現れる。日暮れとともにとは、夜行性という理由の他に、ニワトリたちが寝てしまい、ゴキたちは食われる心配がないと考えているのだと僕は思っている。それにしても、なぜこれほどまでの数がいるのか。
玄関から5メートルの距離である3方向。そこにニワトリたちが常に糞を落とす。そこに僕は出荷する際に切り落とした大根、白菜、チンゲン菜、ブロッコリーなどの葉をあえて落とす。ニワトリたちの餌であるコメぬかや台所から出た残りものをも毎日まく。すなわち、これでほとんど労せずして野菜への肥料が出来上がるわけだ。
ゴキブリはそれを狙う。ニワトリが寝た後、大軍団が登場する。当然ながら部屋の中にも無数、侵入する。僕は長年の経験で、あの素早いゴキブリを足で踏みつぶす。入れ物があって、つぶしたゴキブリをためておく。次の日、ニワトリたちに食べさせる。えっ、ゴキブリを? 驚く人もいようが、そもそもニワトリは昆虫が大好き。バッタ、カマキリ、トカゲ、ハサミムシ・・・大騒ぎして奪い合う。ゴキブリも昆虫なのだ。
ゴキブリがどれだけいようとも、僕はスプレーのようなものは使わない。前に書いた。医学雑誌の編集に関わっていたクセに医者とクスリが好きじゃない。畑に除草剤や害虫防除の農薬を使わないだけでなく、僕自身、クスリを全く飲まない、飲む必要がない・・・上に書いたように、子供の頃から汚いことが平気だったゆえ高い免疫力を得たからかもしれない。
コロナ禍以後、除菌と殺菌が過熱した。しかし、身辺を過剰に清潔にすると人体は脆弱になる。農業における畑土も同じ。多くの微生物が存在することこそが自然なのだ。僕が除草剤を使わないのはその微生物と共存する暮しを望むからだけでなく雑草たちに対し、”飛び道具”で一気にやってしまおうという態度はフェアじゃない。素手で戦うべきじゃないかとの思いもある。自分の手で抜き取る。抜き取った草の山に鶏糞やコメぬかをまく。草はゆるやかに分解して土となり、出来上がった栄養を食して微生物が増殖する。田舎暮らしとは、都会生活ではふだんあまりない足元の土の奥深くへの意識を与えてくれる。
田舎暮らしは誰をも無邪気で若くする
年越しも普段のまま生きること
2025年がもうじき終わる。百姓になって40年。僕には大晦日も元日もなく、お節料理にも縁がない。ふだん通りにランニングし、ふだん通りに畑に出て働き、ふだん通りに畑から収穫したものを食べて元旦の光を浴びる。
味気ないヤツだと思われるだろうが、初詣はしたことがなく、当然ながらおみくじというものも引いたことがない。へそ曲がりなんだろうか・・・いや、もしかしたら予定調和的な幸福風景が肌に合わない、あるいは、にぎやかな場所が単に苦手な性分かも。
こんな風変わりな男の体に一貫して流れ続けたのが土に接して生きる、田舎暮らしへの願望だった。前にも書いたように、虫、鳥、魚、泥遊びが好きな子供だった。僕が生まれた家は商店をやっていた。廃業後、使われなくなった菓子や飴玉の入った大きなガラス瓶がいっぱいあり、ショーケースもあった。そこでメジロ、デンデンムシ、ドジョウ、アリ、時には海でつかまえたタツノオトシゴなんかを飼った。世間と距離を置き、ひとりコツコツという精神はその頃からずっと続いている。
動物も植物も暮らしの仲間になる
大晦日の今日も、ヒヨコたちへの朝食を持ってバナナハウスに入る。大きい茶色がママで、その子、8羽のヒヨコはなんと全員メスである。生後すぐからボディータッチし、話しかけてもきたから僕がおはようと言って手を差し出すとつんつんとクチバシでつつく。
ヒヨコに朝食を与えてからバナナを観察する。毛布を2枚巻き、電気毛布を巻き、その上から厚手のカーテンが縛ってある。高さ2メートル。ちょっと葉はくたびれてきたが、ちゃんと生きている。無防備ならとっくに枯れているだろう。
このハウスから外に出せる日まであと100日くらいか。長丁場である。しかし、いつか自前のバナナを朝の食卓に並べるぜ。辛抱強くその時を待つぜ・・・落ち着きがない、せっかち、担任の先生からの言葉に母は泣かされたはずだが、今の僕はじつに辛抱強く、長い時を楽しみながらじっくり待てる。
注文品の発送作業は29日で終了した。少しホッとする。同時に嬉しい。休めるからというわけじゃない。いつも日中の数時間を要する荷造りがないとすると、ふだん気になっていながらやれずにいた作業に徹底できるからだ。発送作業を再開する前日1月3日までの5日間、存分に仕事ができる。それで心がはずむのだ。
若さは暦ではなく感性に宿る
元旦。いつものようにランニングする。いつものように、珈琲、パン、野菜、チーズ、卵の朝食をとる。そして、荷造りがないゆえにゆるやかな気持ちで畑に向かう。たぶん、これが皆さんの目に触れる頃、僕は79歳の誕生日である。えっ、79歳? そんなジイサンの書いてるものなんかい、これは・・・20代、30代、いや40代だって逃げ腰になるかもしれない。たしかに、その年齢は僕の孫くらいだものね。
しかしである。たしかに暦年齢ではジイサンだが、アナタが思うよりずっと若い。ランニング、腹筋を日々欠かさず、40キロの荷物を抱えて畑の坂を登れる。畑仕事は365日休みなし。いや、体の若さよりも、僕は気持ちが若いことを若い人たちに強調したい。ひょっこり遭遇したウシガエルやカマキリと遊ぶ。真冬のイチゴ作りに胸ときめかせる。いつか自家製のバナナを朝食に添えるぞ、そんな夢をも抱く。
寒気の中で梅の蕾がふくらむ・・・あと40日するとこの上の写真みたいな風景が訪れる。花と鳥と虫を友とし、青い空に白い雲が浮かぶ風景を喜ぶ。心の若さ、というよりその無邪気さは、もちろん田舎暮らしという人生の選択が授けてくれたものである。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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