明けない夜はなく、止まない風はない・・・そう言うけれど
南風が襲ったビニールハウスの危機
さて、それまでの冷え込みから一転、南風が吹いたのは10日だった。野菜も人間もホッとする突然の小さな春の到来。だが・・・喜びはいっときのことであった。うちは三方が林に囲まれている。低いものでも20メートル、高い木は30メートルに達する。その林が左右にしなり、ゴーゴーと不穏な音を立てて揺れ始めたのは午前10時頃だった。出荷の野菜を取りに行き、大根や白菜を抱いて立ち上がる僕を突風が襲う。軽量級の男とはいえよろけるほどのすさまじさだった。、
やがて次々とビニールハウスのビニールがめくれ、パイプ支柱が傾くのが目に入った。しかし今は荷造りを仕上げるべき。応急処置をしたところで、この風では無駄骨になるだろう。
三日間続いた暴風と修復作業の現実
午後4時、荷造りを終えて暗くなるまでやれるだけのことをやった。明日は風も止むだろうからじっくりやろう・・・ところがである。翌11日、畑の見回りに行くと、応急処置をした部分のみならず、その惨状は昨日をはるかに上回っていた。寝てる間にも風は吹き続けたのだな。
さらに12日にも。止まない風はない・・・だからあれはウソである。前日を上回る強風が襲ってきた。風はビニールハウスのパイプを引っこ抜く。風にあおられ地面を回転するビニールが白菜、タマネギ、キャベツをこすり回す。こりゃ今日の荷造りはキャンセルだ。風との戦いに邁進だ。

吹きちぎれたビニールトンネル3本を修復するのに5時間を要した。しかしこれは序の口。本番はこれからだ。この下の写真の上の部分にほぼ全壊したビニールハウスが3つ小さく見える。そこにあるのはエンドウ、ブロッコリー、チンゲン菜。今日はニワトリたちも吹き飛ぶほどの強風ゆえ遠出せずキウイの下にかたまっているが、明日もし風が止んだらブロッコリーとチンゲン菜は食い荒らされること間違いなしだ。

もうひとつのハウスにはエンドウの花がいっぱい咲いている。早い収穫を狙ってここまで最大限のケアをし、花を咲かせるところまで来たのだ。それが、いきなり壁も天井もない野ざらしになって、明日もきっと氷が張る寒さという今夜そのままにしておけば花はみんな凍死するだろう。
暗闇の中で守ったエンドウの花
午後5時。ずっと同じ場所にいるから僕の目はなんとか慣れているが、それでも足が躓く、何かにぶつかる。すでにビニールの修復だけでもかなりのエネルギーを消耗したが、疲労は極限だ。周囲の暗さもあって、まるで、コーナーに追い詰められ、何発ものパンチを浴びた敗戦ボクサーみたい・・・この夜の僕はそんなヨタヨタだった。それでも高さ2メートル、長さ8メートルのビニールハウスを元の姿に戻した。よかったなあ、エンドウたち・・・今夜は寒い思いをせずにすむぞ。
防寒シート30枚とヒヨコの世話に追われる日常
人生は退屈なものではない・・・タネをまき、移植し、土を寄せる日々。さらに、何度も書いたように、総数30枚くらいになる防寒シートを朝夕、外したり掛けたりする。部屋の電気カーペットに並べてあるイチゴの鉢植え30鉢と、同じく鉢植えのレモン8鉢を朝になったら外に出して光を当て、夕刻には取り込む。もちろん、1箱3時間かかる荷造りも休まず。
10日ごとに孵化しているるヒヨコも面倒見てやらねばならない。母鳥にも気性の激しいのと、おっとり型という違いがある。さらには、万全に育児する一方にダメなママ鳥もいる。その子には日に何度もケアしてやる必要があるのだ。とてもとても、人生が退屈だなんて、首を縦に振るのは我が暮しでは無理な話なのだ。
さあ、やっと嵐は過ぎたな。ホッとした気分でランニングに向かったのは13日の朝。ところがである。またしても強風が吹き荒れてきたのである。農家生活42年。自然には何かと痛い思いをさせられてきたが、3日も続けて吹き荒れる風は経験したことがない。屋根の雨漏り防止シートがはがれた。太陽光パネル3枚が転倒した。修復したビニールハウスも再び無残な姿になった。さすがの僕も少しばかり消沈する。だが嘆いていてもしょうがない。やるのだ。


八街の土埃 ヤチボコりと自然の猛威
突然の嵐。畑の土は舞い上がり、空を暗くする。八街の土埃、略してヤチボコりは有名で、今回もテレビのニュースに流れたという。さてさて自然のパワーの前では人間は微力である。我が暮しの足元はひっちゃかめっちゃかだ。でも愚痴はこぼすまい。舌打ちしたりもしない。人生相談に悩みを訴えるなんてことも、もちろんしない。自然に苦しめられることはあるけれど、そこから得られるもののほうが多いのだから。壊れたものを少しずつ少しずつ修復していく。時間がかかる。ゆえに退屈するヒマがない、田舎暮らしとはそういうものだ。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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