愛おしい日常
春を待つジャガイモとの格闘
梅は咲いたが、春はまだ遠い。相も変わらず僕は、野菜の防寒シートを掛けたり外したりの日々を淡々と送っている。この下の写真、前に書いた。出荷のために袋から出した春のジャガイモ。それが感激するほどの芽を出していて、よっしゃと、マルチを張り、トンネルを掛けたのが11月。年明けまでは順調だった。しかしマイナス気温の連続で、せっかくの葉がかなり枯れた。
さあどうする。見捨てるものか。トコトンやるのだ。倉庫からあれやこれやを引っ張り出し、すでに掛けている3枚のビニールの上に広げる。そりゃもう大変だし、人によってはたかだか何十個かのジャガイモにそんなあと笑うかもしれない。でも、このキビシイ気候とのガチンコ対決が面白い。写真のやり方を開始して5日。朝、カバーを外しに行って緑の葉の元気な姿が見える、すこぶる嬉しいのである。
仕事アガリは5時半。それから、どれほど疲れていても腹筋は欠かさず、腹筋台から起き上がる瞬間、さあ心地よい風呂だぜ、ワインが待ってるぜ・・・そう胸の内でつぶやく。田舎暮らしとは、農家生活とは、同じ作業を飽きもせず繰り返す、トコトン平凡な時の流れの中にある。
日常は強い。愛おしくて美しい。こんなつまらない平々凡々な毎日。もううんざりだなどと言うこともあるし非日常を求め冒険に憧れることもあるが、結局のところ最も大切なのはやっぱり日々の生活、日常である、と、多分みんな思っている。私もそうだ。出張に行ったときなど、知らない街を歩くのは楽しいなとかご飯を作らなくていいのは楽だなとかホテルのシーツはパリッとしているなとか思うけれど、帰宅して冷蔵庫を確認し買い物は明日でいいかなどと考えいつもの布団に入るとづく自分が自分に戻ったような気持ちになる・・・。
これは作家・小山田浩子さんの『愛おしい日常』の冒頭部分だ。全文の論旨はかなりひねりのきいたもので、僕が引用するこの冒頭部分が最後まで貫かれるものではないのだが、それでも、この「日常」という言葉が描き出す暮しは我が胸の内にあるものとピタリ重なる。
田舎暮らしとは日常そのものである。「非日常」という場面が幸か不幸か、まるでない。旅行せず、外食せず、人間との交流もない。小山田浩子さんが言う「愛おしくて美しい」かどうかはさて置いて、日常だらけの田舎暮らしが人の心をフラットにする、健康をキープしてくれる、それだけは確かである。
番長との対峙が生んだ強い身体
これも前に書いたことだが、現在の我がパワーと健康を生み出したのも偶然のひとつであったろうか。高校時代、肩で風切る番長がいた。ある日、クラスでいちばん小柄で気の弱い生徒をねちねちとイジメていた。僕は見かねて口出しした。もういい加減にやめろよ・・・たちまちにして無人の教室に引きずり込まれ、頭をガンガン黒板に打ち付けられた。
体は大きい。喧嘩なれしている。とてもかなう相手じゃない。しかし、いつかリベンジしてやる。大した腕ではないが、僕はその後ボクシングと空手をやった。マラソンにも熱中した。そして知った。人間の体は強い負荷に耐えるもの、負荷を素直に受け入れ発達するもの・・・リベンジの場面が訪れることはなかったけれど、予期せぬ収穫があった。風邪ひとつ引かず365日変わらず畑仕事ができるのは、ヤツにいつかリベンジをと願ってやったハードな負荷が作り上げた骨や筋肉のおかげだったのだ。
偶然というファクターは我らの人生に限りなく散りばめられている。そのひとつ、田舎暮らしという「偶然」に出会えるかどうか・・・それは、アナタがどこまでそれを熱く願い続けるかという「必然」によって決まる。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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