この1年間、森に行ったことがない人は47.4%
森を開き畑を広げる春の作業
何日ぶりだろう、霜は降りたが氷は張らず、朝から光が注ぐのは。これだけで我が心ははしゃぐ。先に書いた日本海側と太平洋側の日照格差。寒いのが苦手というわけではないが、太陽が大好きの僕にとって、日本海側での暮らしはたぶん無理であろう。
春と呼ぶにはまだ早いが、それでも、20本ある梅の木は続々と花を咲かせ、フキノトウも顔を出す。我が気分は春の先取りである。ここ1週間でジャガイモは予定の面積の半分を植え終わった。そして今日はカボチャの種まき。ビニールハウスの中に帽子型のプラスチックカバーを設置。その中に種を落とす。さらにこの上にビニールトンネルを仕立てて気温を確保する。
そして「森」に向かう。これから4月にかけて植えるもの。ショウガ、枝豆、キャベツ、ブロッコリー、ピーナツ、サツマイモ。現状ではそれらのための場所が足りない。もって、拡張作業に励む。ここは森のそばゆえ土質は良い。しかし、例えば大木にツルを絡ませ15メートルの高さまで伸びて豪華に花を咲かせるフジはスコップを何発撃ち込んでも切れない根っ子、そいつを長々と伸ばしている。
田舎暮らしとは負荷を楽しむ生き方
森といえば、もと林野庁の森林官で森林絵師である平田美佐子さんという方があるデータを紹介している。日本は国土の7割が森林。だが、内閣府の森林と生活に関する世論調査では「この1年間に森に1回も行っていない人」が47.4%もいて、平田さんはショックだったという。
これから3月にかけて、観梅だ花見だと世間は湧き上がる。間を置かずGWの賑わいに突入する。しかし僕にはそれが、お膳立ての整った人工物と感じられる。自分への負荷なしに、イイとこどりで楽しむ、みんなが行っている所に自分も行ったというところに喜びを得る・・・ちょっとキビシすぎるじゃないかと思う人もいようが、田舎暮らしとは何かを考える上で、これは避けては通れない。
田舎暮らしとは自分に負荷をかけて生きること。その負荷を原材料として、ささやかではあっても人まねではない独自の楽しさを生み出すことだ。「隣り百姓」という言葉があるのをアナタはご存じか。隣りの農家が〇〇をまいたから自分もまこう。隣りの農家が〇〇に行ったから自分も行こう。独自性のない、人真似を揶揄する言葉だ。シーズンになると観光地はどこも人間の洪水になる。みんなが行くから自分も行く・・・都会にだって隣り百姓はいるじゃないか。テレビが伝える賑わいを見ながら僕はそう思うのだ。
森林に関しては朗報もある。働く人のウェルビーイング(身体的・精神的・社会的に良い状態)に役立てようと、森で研修などを行う企業が増えているという。森では、ストレスが減る、身体の粘膜免疫機能が向上するといった科学的根拠に基づく効能が明らかになっているらしい。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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