何げなく手にした一冊の本をきっかけに小屋暮らしを始めた新井亮介さん。そこで出会ったのがログハウスを建てるために山のポツンと一軒家に移住していた青木勝さんと娘の翔子さんだ。街にいたら決して会うことはなかったであろう3人が導かれるようにつながり、そこから新たな家族の暮らしが始まった。街を離れ、山で暮らす理由とは⁉
掲載:2024年8月号
デッキでくつろぐ新井さん家族と青木さん。右から、新井亮介さん、風恵(ふえ)ちゃん(2歳)、翔子さん、青木勝さん、新井善(ぜん)くん(4歳)。
新井亮介(あらいりょうすけ)さん●35歳
埼玉県ふじみ野市出身。27歳のときに当時勤めていた会社を辞めて秩父の山に小屋を建てて、公共のライフラインに頼らないエネルギー自給の暮らしを始める。そのころ、狩猟セミナーで翔子さんと出会い結婚。現在は武甲山の登山口で家族で暮らしている。
新井翔子(あらいしょうこ)さん●34歳
埼玉県朝霞市出身。高校生のころに東京都三鷹市に引っ越す。美術大学卒業後、会社員を経てフリーに。父の青木勝さんが武甲山の登山口に空き家を入手すると、そこに1人で暮らし始める。周辺にシカが多くいたことから、肉の自給を目指して狩猟免許も取得。
青木 勝(あおきまさる)さん●69歳
エンジニアとして働いたのち、現在は定年退職して長年の夢であったログハウスのセルフビルドに力を注ぐ。木工はもちろん、重機の扱いから、エンジン、機械、電気、土木など、必要なものがあればなんでも工夫してつくり出す知識と技術を持つ。
埼玉県横瀬町(よこぜまち)
埼玉県西部、武甲(ぶこう)山の北側に位置する秩父地方の町。人口は約7600人。主要産業は石灰石鉱業と農林業。特に果樹を主体とする観光農業が盛んで、山間に広がる里山の景観も美しい。町には西武鉄道の駅が2つあり、東京都心から電車で最短約70分。車は関越自動車道の花園IC、または圏央道の狭山日高ICが近い。
ログハウスを建てるために手に入れた山
埼玉県西部、秩父地方のシンボルである武甲山。その山の登山口に暮らしているのが、新井亮介さんとそのご家族だ。
「周りにポツポツと古い家があるでしょ。昔は別荘として使われていたようですが、今は誰も住んでいません。7年ほど前にその空き家の一軒を妻のお父さんが入手したんですよ。私が初めてここを訪れたのは、彼女と結婚する前だったんですが、案内された道を車で走っている途中で不安になりましたね」
亮介さんが話すように、街道を外れて家まで5㎞ほどだが、その間には石灰の採掘工場があるだけ。ついには道がなくなって登山口になってしまい、その先をさらに歩いてようやく家があるのだ。
新井さん家族が暮らす家に続く武甲山の登山道。休日は多くの登山客でにぎわう。
土地にはもともと茶屋だった建物のほかに2軒の空き家があり、1軒は青木さんの住まい、もう1軒にはセルフビルドした家から移った新井さん家族が住んでいる。
敷地の一角にあるビニールハウスで野菜もつくっている。野生動物が多いため露地での栽培は難しい。
ヤギは一時期10頭以上いたそうだが、里親に出すなどして今は2頭だけ。家畜を気兼ねなく飼えるのも、周囲に家がない山暮らしのいいところ。
そんな山の中に当時は翔子さんが1人で住んでいたのだから、亮介さんも驚いたという。
「彼女に出会って間もないころでしたからね。感心するというか、この環境に物怖じせず暮らしているところに、単純にすげぇなって思いましたよ」
この山の家は、翔子さんのお父さんである青木勝さんが、ログハウスをセルフビルドする拠点として入手したものだ。ずっと前からの夢だったという。
「父のログハウスづくりは、ここに来る以前から所有する毛呂山町(もろやままち、埼玉県)の山で始めていたんです。そこには私も父と一緒によく行っていたんですが、あとになって市街化調整区域のために建築ができないと知り、新たに土地探しをするなかで出合ったのがここです」と翔子さん。
そのころ、翔子さんらは東京で暮らしており、青木さんは仕事が休みの週末だけここに来ていたが、フリーランスでデザイン関係の仕事をしていた翔子さんはすぐ定住に踏み切った。
「山の中の1人暮らしに不安とか、怖いという思いはなくて、むしろ街にいると、エネルギーが吸い取られるように疲れちゃう。自然のなかのほうがずっと心地いい。ものづくりに携わる人には創造力を喚起してくれる最高の環境だと思うんです」
エネルギー自給の小屋暮らし
話を少し過去に戻そう。
今から8年前の2016年、亮介さんの人生は、書店で何げなく手にした一冊の本によって大きく舵を切る。その本のタイトルは『スモールハウス』(高村友也著、筑摩書房)。現代社会へのささやかな批判と、小屋というミニマムな住まいで暮らすことの意義を述べたこの本は、その後の小屋ブームの導火線となった一冊だ。一夜にしてこの本をむさぼるように読んだ亮介さんは、今の暮らしに対する疑問と漠然と持っていた田舎暮らしへの思いが、形となって目の前に現れたような気がしたのであろう。興奮さめやらぬまま友達に電話をかけて小屋暮らしへの決意を語り、次の日には、会社に辞めることを告げていたのだ。
「その先の具体的な計画は何もなかったんですが、とりあえず空き家バンクで土地探しを始めました」
そこで紹介してもらった物件が秩父市の山林。82坪の土地は、大部分が斜面だったが一部に小屋を建てられそうな平地があり、近くには水を確保できる川も流れていた。加えて格安だったこともあり、契約を決める。そして、友人たちの協力を得て約3坪の小屋を建て、太陽光発電、沢水、薪をライフラインとした小屋暮らしを始めたのだ。
現代のいわゆる便利な暮らしとは異なり、スイッチひとつでできることは何もない。水は谷川まで汲みに行かねばならず、料理をするにも薪を割って火をおこすことから始めなくてはいけない。太陽光発電による電気はモバイル機器の充電や小屋の照明をまかなう程度で、冷蔵庫や洗濯機はない。何をするにしても自らの手足を動かさなければ始まらない暮らしだが、そんな毎日に亮介さんは満足していた。
間もなく、狩猟会社に職を得て、狩猟免許も取得。その会社が主催するセミナーで出会ったのが、同じ時期に武甲山の登山口で暮らし始めた青木勝さんと翔子さんだ。
「参加者が順番に自己紹介していくなかで、2人が『山の中で小屋に暮らしています』と言うのを聞いて、何となく自分と同じ空気を感じたんですよね。向こうも私の小屋暮らしに興味を持ってくれて、しばらくしてからお父さんと一緒に遊びに来てくれたんです。そうそう、そのとき『トラックで行きます』と言っていたので、まぁ軽トラか2トントラックくらいで来ると思うじゃないですか。そしたらあのウニモグでやってきたものだから、それには度肝を抜かれましたね」
青木さんの愛車「ウニモグ」。最強のオフロード車ともいわれ、軍用としても使われるドイツ製の多目的作業車だ。
結婚の条件は、自分で自分の家を建てること
共通の価値観を持ち、年も近い2人が出会ってから交際を始め、結婚に至るまでに時間はかからなかった。ただ、その実現には翔子さんの父、青木さんから1つだけ条件がつけられた。
〝自分の家を自分で建てること〞
普通の男性であれば、耳を疑うか、別の道を探るか、またはあきらめるか……。そんな大工のような真似はとてもできないと思うだろう。
しかし、亮介さんにとって、それは望むところ。結婚してそのまま3坪の小屋に住み続けるわけにはいかないし、かといって好きで山暮らしを始めた2人に街のアパートやハウスメーカーの家に住む選択肢はない。いずれにせよ自分で家を建てなくてはならなかったのだ。
そういうわけで、新居をセルフビルドすることになり、その場所として、もともと青木さんと翔子さんが暮らしていた土地の隣地400坪を買い足した。
「家をセルフビルドするにあたっては、3坪とはいえ小屋を建てた経験は大きかったですね。家の構造を理解できているので、要はそれを大きくすればいいだけですから。買い足した土地にはコンクリートの生簀があったので、それを基礎に利用して、家自体はツーバイフォー工法で建てました。1つだけこだわったのが屋根で、小屋では片流れだったので、今回は三角形の切妻(きりづま)屋根にしたんです。ただ、45度のかね勾配にしたため、屋根工事ではちょっと苦労しました。勾配が急過ぎてロープで支えないと作業ができないんですよ。家は完成まで約1年かかりましたが、その間の給料は、ほとんど材料費に消えてしまいました」
新井さん夫妻でセルフビルドした家。ここで2年ほど暮らしたあと、今は敷地内の空き家に住まいを移している。
最初に入手した空き家には青木さんが暮らしている。ウッドデッキを設置するなど快適に暮らせるように手を加えている。
建築中のログハウスは、家族の新たな住まい
そうして住まいは完成し、晴れて2人は結婚。翌年には長男の善くんが誕生し、その2年後には長女の風恵ちゃんが生まれた。今は仕事を定年退職した青木さんもこの山に定住し、家族5人で暮らしている。
山の斜面を利用して青木さんがつくった滑り台。ウレタン塗装されたコンパネの滑りは上々。
ショベルカーは土木工事や土地の整備に大活躍。レバーをガチャガチャいじるのが善くんの楽しみ。
青木さんの夢であったログハウス建築はというと、昨年から本格的にスタート。材料の丸太を山から切り出すところから始まり、皮をむいてチェーンソーで加工。小型クレーンで丸太を持ち上げて積み重ね、着々と建築は進んでいる。これらの作業は、新井さんがサポートすることもあるが、基本的には青木さんが1人でやっている。御年69歳。恐れ入る。
このログハウスは、翔子さんと亮介さん、そして善くん、風恵ちゃんへのプレゼント。完成した暁には家族の新しい住まいになる予定だ。
青木さんが建築中のログハウス。小型クレーンは、運転席の外からでも動かせるようにリモコンによる遠隔操作を可能にしている。
チェーンソーで丸太を刻む青木さん。年は重ねてもまだまだエネルギッシュ。頼りになるお義父さんである。
青木さんが建てたガレージ。屋根には7kWの太陽光発電パネルが載っており、バッテリーと組み合わせることで、自宅の電気をほぼまかなえる。
青木さんにとって、これまではログハウスをセルフビルドすること自体が夢であり、楽しみだったが、この山に暮らし始めたことで家族が増え、ログハウスを建てる目的がはっきりできた。一つひとつの作業にもよりいっそう心がこもる。
あのとき亮介さんが書店で小屋暮らしにつながる本を手に取っていなければ、青木さんが毛呂山町でログハウスを建てることができてたら、この暮らしはなかった。好きなことや自分がやりたいことを、とことん突き詰めてやってみる。そうすれば同じ思いを持った人との出会いがあり、その先に道は開けるものだ。そんな自身の経験から亮介さんは、この山で育っている子どもたちへの想いをこう口にする。
「いつでも自分の芯になるものをしっかりと持っていればいいと思うんですよ。何が好きで、何がしたいのか。何をしているときが一番幸せなのか。それさえ見失わなければいいんじゃないかな。そして、元気であればね。うん、それが一番かな」
木々の緑が鮮やかになる初夏の森に、チェーンソーの鋭いエンジン音が響く。ログハウスの完成が待ち遠しい。
空き家だった茶屋をリノベーションしてカフェとして営業中。床板は山から切り出した丸太を自分たちで製材した。
登山客からも好評の「ログモグ」。下山後ここで一息ついていく人は多い。
カフェを切り盛りするのは、主に翔子さん。コーヒーやジュースなどのドリンクのほかに軽食も出している。
カフェはその名も「ログモグ」。アイコンは荷台にログを積んだウニモグ。営業は冬季を除く土・日・祝日の10時~15時。LOGMOG cafe & shop
文/和田義弥 写真/阪口 克
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