『悪人』『怒り』と映画化が続く吉田修一さんによる原作を、デビュー作から注目を集めた森ガキ侑大監督が映画化した『愛に乱暴』。主演を務めたのは、俳優の江口のりこさんです。いつも飄々としていてテンションが低そうで、どこかに毒を隠し持つようだけど、チラッと見せる笑顔がチャーミング。不思議な魅力を放ちます。映画のこと、「ていねいな暮らし」への興味、田舎暮らしへの思い。江口さんに聞きました。
掲載:2024年9月号
えぐち・のりこ●1980年生まれ、兵庫県出身。2002年に三池崇史監督の『金融破滅ニッポン 桃源郷の人々』で映画デビュー。2004年、タナダユキ監督の『月とチェリー』で映画初主演。最近の主な出演作は『事故物件 恐い間取り』『ツユクサ』『波紋』『アンダーカレント』『お母さんが一緒』『もしも徳川家康が総理大臣になったら』『ブルーピリオド』などの映画、『ソロ活女子のススメ』シリーズ、『鎌倉殿の13人』『SUPER RICH』などのドラマ。来年前期のNHK連続テレビ小説『あんぱん』に出演。
ある主婦の平穏な日常が崩壊する予感に震える
「ドラマとCMでご一緒したことがあったので、森ガキさんと映画をやれることがうれしくて。あらすじを聞くと、それだけでもう面白い。そこから原作、脚本を読み、映画はまた違うものになるだろうと。一方で原作に答えがあるようでもあって、日々撮影しながら役を探していきました」
江口のりこさんは映画『愛に乱暴』について、そう振り返った。江口さん演じる主婦の桃子に子どもはなく、小遣い稼ぎ程度に手づくり石鹸教室の講師をしながら、夫の実家の離れに暮らす。夫の無関心、義母から受ける些細なストレス、愛猫の失踪、ゴミ捨て場での連続不審火。不穏な出来事が重なる日常に観る者の心が息苦しくなったころ、夫は「好きな人に会ってほしい」と言い出す……。
「あんな旦那さん、ひどいですよね。桃子は求められていないとハッキリわかるわけで、それは寂しい。しかも専業主婦のようなもので、家の中が社会ということになる。私なら窮屈だろうなと」
撮影は基本1シーン1カット、フィルムを使い、シーンの順番通りに進められた。
「1カットで、このシーンが伝えたいことをキチンと描けるのか?と、不安なシーンもありました。でもそこは監督やカメラマンを信用するしかない。撮影中は、大胆なことをやっているなと。そうして旦那役の小泉孝太郎さんや義母役の風吹ジュンさんとお芝居をしていくなかで、気づかされることがたくさんありました」
そうか、映画の『愛に乱暴』をやればいいのか――。そう思えたきっかけは、風吹ジュンさんの存在だった。
「風吹さんの演じるお義母さんがそこにいて、その存在がハッキリと見えたときです。ここにお義母さんがいるじゃないか、そこで芝居をすればいいだけの話だ、と。確か撮影期間が半分を過ぎたくらいのころです。そこから現場へ行くにも、カバンに原作を入れて行かなくなりました」
義母の照子は、夫に先立たれて母屋に一人暮らし。別にあからさまなイジワルではない。桃子もついでだからとゴミ捨ての日には声をかけるし、たまには離れに呼んでお茶を楽しむ。悪気はないのかも、でも時折イラッとさせられる。風吹さんが演じると息子思いの普通の母親にも、裏の顔がありそうにも見える。
「風吹さんも自分の役と闘って毎日現場にいらっしゃる。そんな先輩の姿を毎日見られるのは大きいです。もちろんそれだけではありませんが、どう言ったらいいのか……? 人の魅力って言葉にするのが難しいですね」
息が詰まるほどの不穏な予感。いったい何が起きてる? 観客は桃子の目線で、その日常を体感する。ほのぼのホームドラマにもなりそうな設定、そこに潜むサスペンス、ひょっとしてホラーと思わせる心凍る展開。桃子もまた、微妙なバランスが求められる役だった。
「どんな人かわからないと思いながら観るほうが面白い、と個人的には思うんです。桃子については、そのあたりを計算して演じたわけではありませんけど。それでつながったものを観て、迷いながらやったことが逆によかったのかも?と思ったりしました」
完成した映画は、なかなか冷静には観られないものらしい。
「このときは暑かったなとか、思い出として観てしまう部分があるので。それでいて今回は、映画を観て、改めて監督の思いが伝わってきてうれしくなりました。桃子が心に抱えるものはエピソードで深掘りしたり台詞で表されたりはしません。でも映画を通して〝ああ、この人は……〞というのが、パッと見えるようで。頼もしい監督だな、と改めて思ったんですよね」
イジワルだった?幼少期の思い出
桃子は小さな畑で野菜をつくり、料理をあれこれ工夫し、お気に入りのティーカップでお茶の時間を楽しむ。主婦という制約の中でていねいな暮らしを楽しんでいる。江口さん自身はなんとなく、やらなくていいことはサクッと割愛してシンプルな暮らしを好む?などと勝手な妄想が膨らむ。
「〝ていねいな暮らし〞に興味は、いやまあ……ないです(笑)。最低限、ていねいにはしていますよ。でも洗濯したり、それぐらいで」
それ、ていねいな暮らしではないかも! 続けて、「例えば家でお味噌を仕込んだり梅干しをつくったりはしません」と江口さん。
「でも料理はつくりますね、簡単なものですけど。からだのためにもそのほうがいいだろうし、そのほうがおいしいし。料理って、気分転換になります。よくつくるのはパスタ。お腹がすいた〜と家に帰り、わりとすぐできるので。先日は夏野菜を使おうとズッキーニのパスタをつくりました」
こだわりが生まれ、野菜からつくりたい、と思ったりしないだろうか? しつこく深掘りしてみる。
「いや、ないですね。ないな〜、ないです(笑)。でも田舎暮らしは好きですよ! 田舎育ちですから。兵庫県の田舎のほうで360度を山に囲まれ、ちょっと行くと海もあって。そんなところで育ったので、田舎に行くとホッとします。子どものころはきょうだいと近所の子と、暗くなるまでず〜っと外で遊んでいました」
兄が2人、双子の姉と妹の5人きょうだい! さぞやにぎやかな子ども時代だっただろう。小さな江口さんの遊ぶ姿が浮かぶ。
「ゴム跳びでしょう? ドッジボール、ドロケイ(鬼ごっこの一種)、缶蹴り、あと田んぼを荒らしたり……はダメですけど、子どものころって、なんでも遊びになるんですよね。近所の犬をからかいに行ったり、自転車に乗って遠出したり、基地をつくったり」
子ども時代の夕方って、なんであんなに長いのだろう? 永遠みたいな放課後を思い出す。ちょっとやんちゃなガキ大将がいて、年下の子もいて、みんなでわ〜っと走り回った日々。
「私はイジワルな姉で、妹をよく泣かせていました(笑)。そのころの罪の意識か、今は優しくしてますよ。取り戻そうとしてるんです」
今や姪っ子ちゃんをかわいがる、優しい叔母でもあるらしい。きっとイマドキで動画に夢中であろう姪っ子と、大人になった江口さんはどう遊ぶのだろう?
「もうすぐ9歳になるのかな、本当にカワイイです。動画は観てないんですって、お母さんが見せてないみたいで。ボードゲームが好きで、遊びに行くとず〜っとやってます。姪っ子も強いので、お互いが本気になって。めちゃくちゃ楽しいです」
子どもだからと手を抜かず、本気で遊んでくれる大人を子どもは一瞬で見抜く。きっと姪っ子ちゃんは江口さんのことが大好きだろう。そう言うと、「ずっと好きでいてほしいな」と、少しだけ優しい顔で言う。
時間を止めて一人旅へ出たものの
ここ数年、映画にドラマに舞台に、出演作は途切れることがない。しかも作品の中での役回りは、明らかに大きくなっている。そんな江口さんだが、あるときハッと立ち止まる。
「お話をいただくのは本当にありがたいことなんですけど」と前置きしつつ。
「時間というのはどんどん流れていくんですよね。どんどんどんどん。次はこれ、その次はこれ……と。だから、自分から〝ちょっとストップ、ここは私のもの〞と言わないとダメだなと。それで、時間を止めることにしたんです」
時間を、止める。自らの意思で〝ここまで〞と区切りをつけ、旅に出ることにした。10日ずつ、それぞれ別の地への一人旅だった。
「ただただ、東京とは違う場所に行きたかったんです。仕事から離れたい!と思って。それで旅に出て2日目くらいに、あれ何これ? おもんな!と(笑)。ここでそんなことを言ってる場合じゃない!と楽しいことを探したりもしました。でも結局、場所が変わっても自分の中身、考えることって変わらなくて。何私? どこに行っても同じやん!と」
自分へのツッコミも容赦ない。でも江口さんに限らず、一人旅ってそういうものという気もする。自分を見つめ直すために一人で旅に出ます、みたいな。
「ああ……なるほど。誰かと行ったらまた違うのかな。でも、自分を見つめたくはないんですよ。全然見つめたくない! 楽しかったことももちろんあって、そうした時間を経てまたこうして仕事をして。やっぱり仕事が楽しい!と思うかというと、別にそうでもない(笑)。自分でも、じゃあどうしたいの?という感じで」
同じところをぐるぐる回っているのか、回りながら、らせん状に前へ進むのか? 誰もが思うあいまいな感覚、不安や焦りとも言える思いもそのまま口にする。
「田舎暮らしに関しても同じで。田舎がいいなと思って、行くとするでしょう? すると1日経ち、2日目の夜ぐらいに、めっちゃ暇やな……と思う自分が見えます(笑)。旅行だと、それでも楽しめるところがあるけど、それは終わりがあるからで。それこそ野菜をつくるとか、目的があったら違うでしょうけど。『田舎暮らしの本』でしたね、申し訳ない」
なるべく正直に。思ってもいない、愛想のいい言葉は言わない。そんな誠実さは、俳優としての江口さんと重なる。どんな役のどんな台詞も噓のないように。自分の本当から出た、本物の言葉のように響く。桃子なんて、江口さんそのものにしか見えない。
「私自身はお休みには喫茶店に行ったり、思いつきで映画を観に行ったり。それでゆっくりと時間をかけて歩いて帰り、家に着いたらちょうど夕方。ご飯をつくって食べ、夜10時、11時には寝る。東京でのそんな暮らしがもう定着しています」
江口さんはやっぱり面白い。自分と向き合い、なんだかな〜とか言いながら日々の仕事に取り組む。その誠実さが今、多くのつくり手をひきつけるのだろう。
「今は新しい作品に入る前なのですが、あぁ、また始まる、早起きの生活か。あ〜あ雨が降ったらいいのにな……みたいな(笑)。それでいてもちろん、現場に行けば楽しいことが何かしらあるんですけど。始まる前がいちばんしんどいのかもしれません」
では、演じることのどこに、今は楽しさを感じるのだろう?
「わからないです。全部が全部、楽しい!というわけではなく、楽しくないなぁ、参ったなというときもあります。でもね、いろいろな人と出会えるのは確かで。ほかに、やりたいこともないですしね」
一見、後ろ向きな言葉も、そのままマイナスには響かない。この人が演じることを嫌いなはずがないという確信が、作品を観た人にはあるはず。江口さんに限らない。あれこれ言いながら、結局は誰もが、本当にやりたいことをやっているのかもしれない。
「もちろん、私は演じることが好きなのだと思います。嫌いでもあるというのが難しいところですけど。ただ、演じることが嫌いだったら、絶対に今こうして続けているはずがありませんよね」
『愛に乱暴』
(配給:東京テアトル)
●原作:吉田修一『愛に乱暴』(新潮文庫刊) ●監督・脚本:森ガキ侑大 ●脚本:山﨑佐保子/鈴木史子 ●出演:江口のりこ、小泉孝太郎、馬場ふみか、水間ロン、青木 柚、斉藤陽一郎、梅沢昌代、西本竜樹、堀井新太、岩瀬 亮、風吹ジュン ほか ●8月30日(金)より全国公開
結婚8年目の桃子(江口のりこ)。夫の真守(小泉孝太郎)は自分に無関心で、家のリフォーム話にもあいまいな返事を返すだけ。姑の照子(風吹ジュン)から、「真守が好きだから」と丸ごとの生魚を手渡されたりする。やりがいを感じる週2回の手づくり石鹸教室の講師も、打ち切りを言い渡される。桃子の平穏な日常が崩壊していく――。
©2013吉田修一/新潮社
©2024「愛に乱暴」製作委員会
文/浅見祥子 写真/鈴木千佳 ヘアメイク/草場妙子 スタイリスト/清水奈緒美
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