岡山県津山市出身のお笑いコンビ・次長課長の河本準一さん。現在、お笑い芸人として活動しながら、地元である岡山で栽培したお米『準米』をプロデュースするなど、お笑い以外の取り組みにも挑戦し、活動の幅を広げています。河本さんから見た岡山県は、どんな魅力に満ちた県なのか!? 河本さんならではの切り口で、さまざまな角度から岡山の魅力を紐解き、紹介していきます。
今回は、大分県でお米を作っていた河本さんが、地元・岡山でもお米作りに取り組むことになり、現在共同でプロジェクトを行っている人物、岡山県津山市にある米井ファーム株式会社代表・米井崇恭さんに、河本さんとの出会いや、3年前に米井ファームを立ち上げた経緯などについて、インタビューしました。
【米井崇恭】
よねい たかやす|岡山県津山市出身。米井ファーム株式会社代表取締役。津山市役所勤務を経て、2021年米井ファーム株式会社及び一般社団法人LAアライアンスを立ち上げる。「農業×地域×楽しく!ポジティブ農業のすゝめ」をモットーに、“地域を支えるかかりつけ農家”として、環境に配慮した再生産可能な農業、岡山県津山市近郊における地産地消、食糧安全保障の実現に取り組んでいる。
米井ファーム公式HP https://www.yoneifarm.co.jp/
運命的なタイミングだった河本さんとの出会い
―― 河本さんと一緒に活動をすることになったきっかけはなんだったんですか?
「3年前、津山国際環境映画祭の打ち上げでお会いしたのが最初ですね。河本さんが津山に来られて、鶴山(かくざん)公園で観光関係の市の職員や関係者たちで河本さんを囲んで飲んでいたんです。河本さんは当時から大分でお米を作っていたんですけど、岡山でもお米を作りたいと思っているという話をされて、それを聞いた人から『ちょっと米井くん来てくれない?』と呼ばれて。
まだ(前職である)津山市役所にギリギリ勤めていたときのことだったので、ちょうどタイミングよく声がかかったんです。で、『実は僕、もうすぐ市役所を辞めて米農家になるんです……』って話したら『ちょうどいいね、じゃあ一緒にやろうか』って(笑)。河本さんも僕の思いを汲んでくださって、いろいろ応援してくれる部分もありますし、今こんなふうに取材していただくのも河本さんあってのことですし、感謝してますね」(米井さん・以下同)
―― なんだか運命的なタイミングで出会われたんですね。そんな米井さんが、市役所を辞めて米井ファームを作ることになったのにはどんな経緯があったんですか?
「元々、私の家が兼業農家なんです。農家の家系ならどこでもそうだと思うのですけど、代々父親がやっていて、父親が働くことができなくなったら、その息子がまた農業やって……の繰り返しなんですけど、近年は農業の機械化が進んだり、地方に人が少なくなっていることもあって、規模がだんだん大きくなってくるんですよね。私のうちも、近所の方々から『もう農業ができなくなってしまったから、(代わりに)やってくれないか……』って言われて、近くの田んぼを引き取って……、ということが続いたので、父親がやってた時点で『(兼業農家として)働きながら農業をやるのはもう無理だよ……』っていう結構大きな規模感に膨れ上がっていて、兼業が難しくなってきていたんです。
私自身は元々、市役所に勤めていて。市役所ではもちろん地域が良くなるためにと思って働いてるんですけど、どんどん農業が疲弊していくのを目の当たりにしながらも、組織が大きいからなかなか手を打てなくて……。もっとこうすればいいのに、ああすればいいのにって思うんだけど、実際、農業や地域のことをやろうと思っても、やっぱり本業の仕事があるからできないっていうので、自分の中で葛藤があったんですよね」
決定打となった「尊敬する農家の廃業」
「あるとき『今は父親が農業を頑張ってるけど、もしある日突然できなくなったらどうなるんだろう』って考えたことがあって。その地域の田んぼを引き継いでやってくださいねって僕に言われても、片手間にはできないし、かといって、田んぼを返すとなるとみんな迷惑じゃないですか。『できないから頼んでるのに』という話なので……。だから、そうなったらまずいな、どうしようかなということを真剣に考えてたんです。
そんなとき、農業をバリバリやってた僕の尊敬するプロの農家さんが『もうできないから土地を返す』っていって農地の解約をされたんです。その方は50ヘクタールぐらいやっていたんですけど、そのうち20〜30ヘクタールを地権者に返したんですね。そしたら、案の定、地域や行政を巻き込んだ大騒動になって……。どうすんの、どうすんのって。で、僕はその出来事がちょっとショックだったんですよ。すごく尊敬してた農家さんだったのに『あの人でもそんなことになるんだ』と思っちゃって。そのことが決定打になりましたね。気がついたら『いや、もうわしがやらんといかんな』みたいな感じになってしまって。なんか変な使命感を抱いちゃって『よし、もう市役所やめて、わしがやる!』みたいな心境になったんです」
―― もともと家業だったとはいえ、安定した職を辞めて農業を始めるのは大きな決断ですよね。
「でも、『自分ならできる!』みたいなカン違いをしちゃうところが重要かな、って(笑)。ただ、僕は農業っていうものには昔からずっと劣等感を感じてて……。やっぱり子どもの頃、まわりはみんなサラリーマン家庭なわけですよ。土日はみんなお父さんとどっか遊びに行ったとか。だけど僕は、土日は父親が農作業してるから遊びに行けないし、自分も友達の家に遊びに行きたいんだけど『遊びに行く前にこれ手伝ってから行きなさいよ』って言われる、みたいな。思春期とか反抗期の頃は『そんなの手伝わねえよ!』みたいな感じで遊びに行くんだけど、やっぱり後ろめたくて……。そういうのがあって『農業って、やだなぁ』みたいな劣等感がずっとあったんです。でも、だからこそ『もっと農業を良くせんといけん!』みたいな気持ちもあったんですよね」
―― 農業の働き方が変われば、劣等感みたいなものもなくなる、と。
「そう。もともと市役所に入ったときもそうだったんですよ。『津山の農業を良くせんといかん!』っていう気持ちで」
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