自給自足を夢見て脱サラ農家40年 第72回
記録破りの高温である
暑さを喜ぶもの苦しむもの
暑さで命を失ったもの乗り切ったもの
我が畑の野菜・果物は悲喜こもごも
この百姓も猛暑に苦しむ日々
でも立ち向かおう、この猛暑に
電気を作ろう
食いものを作ろう
作ったものを楽しんで食べよう
今日のエネルギーを明日に生かす
弱音を吐いたらダメ
迷いすぎるのもダメ
迷わずズバッと決断
少し強がって生きる
それくらいがちょうどよいかも
うまくいくかも、人生は
CONTENTS
梅雨明けの畑に灼ける陽
地表に近い者だけが知る熱中症の危うさ
関東に梅雨明けが告げられたのは7月18日。6月からずっと雨なしの猛暑が続いていたので今更と思ったが、忘れられてたまるかと言わんばかりに突如の豪雨が3日連続。雨漏りするなど困ったこともあったが、全体的にはその雨、悪くはなかった。毎夕、時間をかける野菜への水やりをしなくてよくなったからである。
その梅雨明け宣言とともに猛暑が復活。初秋の頃まで高温が続くとの長期予報だから、たぶん、この先40日間は30度超えの気温の中で働くことになろう。もってメディアはどこも熱中症にご注意をの連呼である。そのひとつ、NHKの夜のラジオでは子どもの熱中症に特にご注意をと呼び掛けていた。
身長が低いぶん地上温の影響を強く受ける。子どもの体の周囲の温度は大人より7度も高いというのだ。これを聴いて僕は思った。オレも毎日、地面に近い所にいるなあ、子どもみたいに・・・。単に身長が低いからではない。日々の作業の多くは中腰か腹ばいになってやるからだ。
今日は、先月までキャベツがあって、収穫終了後ほっといたら小さなジャングル状態となった、そこを耕し、人参をまく準備に取り掛かった。障害物がなく、太陽光をストレートに受ける畑の表面温度はごらんのとおりである。
真夏の静けさの中で涼を想う
筋肉が守る夏の体
参議院選挙が終わり、三連休も終わり、なんとなく世の中が静かになったような気がする。真夏の中で働いているわけだが、気持ちの半分は秋に向かいつつある。残念ながら、本当は今頃収穫しているはずのエダマメは高温と雨なしの傷害でもってほとんどがカラ莢となった。それを今日はすべて取り払う。そしてポットを大量に準備してタケノコ型の、僕が一番気に入っているキャベツの種をまく。
読売新聞に気象予報士の随筆連載がある。今回は「猛暑対策 筋トレや日傘も重宝」という見出しに興味を持った。筆者・蓬莱大介氏は朝晩の筋トレを欠かさない。食事も抜かない。「炎天下で体の中を空だき状態にしないこと」が大切だと言う。僕も前回の原稿に書いた。筋肉細胞は貯水能力に優れる。熱中症予防の根本は運動で筋肉を増やすことなのだ。
男の日傘に見る涼の知恵
蓬莱氏は日傘を活用している。日傘は「日陰を持ち歩くようなもの」という表現に百姓の僕は頷く。同じ畑仕事でも、360度ひとつも障害物のない場所と、どこか1方向に高い木なんかがある場所では感覚的に5度以上の温度差がある。
男も日傘を差すと知ったのはわりあい最近のことだ。男が日傘ねえ・・・無粋な男ゆえ初めは斜に構えて聴いていたが、男でも抵抗なく持てるデザインのものがあり、なんと、蓬莱氏が愛用する日傘は柄の部分から風が出るらしいからすばらしいではないか。
テレビを見ていると、通りを歩きながらハンディタイプの扇風機で風を送るというのはすっかり定着したようだ。でもちょっとこだわりがある。僕は昔からよほどの雨でなければ雨傘を差さなかった。手がふさがるのが嫌だったのだ。そんな僕から見ると、通りを歩きながら風を送るための扇風機をずっと持ってるなんて面倒くさくはないのかな・・・。
猛暑の畑に立ち続けて知る、働くこととその果実
雨のない猛暑が重くのしかかる
それにしてもすごい。週間天気予報では35度か36度がずっと続く。夜も26度か27度だ。午前中3時間の作業を終えてランチの前、どうにもこりゃメシどころじゃない、という日は水シャワーを浴びる。猛暑でも食欲は落ちないのだが、水シャワーでもって味覚がだいぶ回復する。
この雨なし猛暑の中でいかに野菜や果物を成長させ、食糧確保につなげるか。経験40年の僕だが、あれこれ工夫し、対処しつつも、苦戦する、重いほどの汗をかく。汗が重いと言ってもピンとこない人もいるかな。例えば3時間の作業で着ているシャツが汗で濡れる。それに土が着く。それで重くなるわけだ。
田舎が教えるお金だけではない働きの意味
あと30年も働かないといけないかと思うと地獄です・・・。
大学を卒業して入社8年の女性。働くことが嫌だと人生相談に訴える。職場環境は良い。有休取得も自由。仕事量も多くない。どうしてこれで会社勤めが辛いのか、僕にはわからないが、仕事をこなし、感謝されても喜びや達成感がなく、お金以外に働くことに価値を見出せず、あと30年も働かなければいけないかと思うと地獄、人生は働くためにあるのかと思うとうんざりします・・・彼女はこう心情を吐露する。
人生は働くためにあるのか? 基本はそうだと僕は思う。働いた対価としてお金を受取り、それで家賃や電気代を払い、食糧を買い、旅行する。世の中の90%はこのかたちであろう。僕は、気温37度、畑で倒れた70代男性が熱中症で搬送され、その後、死亡が確認されました・・・テレビでそう伝えられてもおかしくない悪条件で毎日働く。やはり基本がお金のためだからである。
しかし、すべてがお金かというとそうではない。推察するに、人生相談の彼女には、たとえ一瞬でも気持ちが高揚する、安らぎが得られる、そういった場面が職場にもプライベートにもないような気がする。前にも書いたが、幸いにも田舎暮らしの激しい労働の中には点々と気持ちの高揚と安らぎが存在するのだ。思うに、人生には苦難がまず必要。その苦難をどうにかこうにか乗り越えて「労働の果実」を得る。人生相談の女性には迷いはあるが苦難がない。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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