山田洋次監督の最新作である映画『TOKYOタクシー』で、倍賞千恵子さんが主演を務めています。『男はつらいよ』ほか多くの作品で組んできた山田監督との仕事、共にシーンをつくり上げた木村拓哉さんのこと、北海道別海町との二拠点生活について――。倍賞さんに聞きました。
掲載:2026年1月号
ばいしょう・ちえこ●1941年生まれ、東京都出身。松竹歌劇団(SKD)を経て、1961年に映画『斑女』で俳優デビュー。2005年に紫綬褒章、13年に旭日小褒章受賞。近年の主な出演映画は『Arcアーク』『PL A N75 』。歌手としても意欲的に活動。「倍賞千恵子コンサート2025 with 小六禮次郎」11月22日(土)名古屋・中日ホール、12月5日(金)京都・京都劇場、12月11日(木)静岡・アクティー浜松 中ホール。
タクシー運転手とマダムの一日の旅
「〝ちょっとこの映画、観てみない?〞と『パリタクシー』のDVDを送っていただいて。観てみたら、大変な事件が起きて、いろんなことがあって。けれど見終わると、〝なんだろうこの爽やかさは!?〞と。満たされたというのか嫌な気持ちにならず、むしろ幸せのようなものを感じました。〝不思議な映画ですね〞と、山田さんにお伝えした記憶があります」
山田洋次監督と倍賞千恵子さんで新たな映画を――。そんなふうに始まったという『TOKYOタクシー』。2022年のフランス映画が原作の、奇跡と希望の物語。
「舞台をパリから東京に置き換えたら? 見当がつかなくて。それで台本を読むと、柴又から始まるの!?ってビックリして(笑)」
木村拓哉さん演じるタクシー運転手、宇佐美浩二に新たな依頼が舞い込む。85歳のマダムを、柴又の帝釈天から神奈川県・葉山にある高齢者施設まで送ること。その乗客となるのが、倍賞さん演じる高野すみれ。すみれは「東京の見納めに、いくつか寄ってみたいところがあるの」とつぶやく。そうして二人の、たった一日の旅が始まる。
「東京を観光しながらすみれの思い出をたどるのだけれど、同時に私自身もいろいろな思い出が蘇ったり、知らなかったところに行けたり。それが面白くて」
鮮やかなスミレ色のコートに凝ったネイルアート、すみれはゴージャスなマダム。
「バッグひとつも高級なものだけれど、あのネイルがなかなか決まらなかったんです。美術さんやメイクさんがいろいろ提案してくれても、監督は〝ちょっと地味じゃない?〞と。それである日、関係者の女性と話していて、彼女のネイルがまさに映画ですみれさんがしていたもので。〝これいいんじゃないですか!?〞と、それで決まったの。さらに衣装と髪型と、外側をつくることです〜っとすみれさんに入っていきました」
最初は3時間かかったというネイル、技アリのヘアスタイルと併せて、「スタジオに入るまであんなに時間がかかることはなかった」と倍賞さん。ふと思い出したように「……私、『男はつらいよ』という映画をやっていたのだけど」と控えめに言うので、その場にいた全員の頭の中にびっくりマークが。とっさに、「いやそれ、日本中の人が知ってますよ!」と言うと、倍賞さんは小さくほほ笑んだ。
「おばちゃんは着物に割烹着、おいちゃんは白い上っ張りと、制服のようになんとなく決まっています。でもさくらさんは毎回、微妙に変えなきゃいけない。衣装替えって、面倒で。さくらさんにもそんな〝制服〞がないかな〜と、ずっと思っていたんです。そしたら今回は一日中同じ。撮影期間の2カ月ほどその衣装で、やった!って(笑)」
シリーズ50本を数えた『男はつらいよ』だけでなく、倍賞さんのヒット曲を映画化した『下町の太陽』以来、60年以上(!)にわたって信頼関係を築く山田洋次監督。さくらのような〝下町の太陽〞的な役柄が多かった倍賞さんに、イメージとかけ離れたすみれ役をオファーする。それ自体が、映画への情熱を感じさせるよう。もちろん、そこに挑む倍賞さんも。「挑戦的に!」、それがこの役のキーワードだった。
「すみれは最初、浩二に対して不愛想で。『(目的地の)住所はここ!』と大きな声で、つっけんどんに言うの。そしたら『そこまで強くいかなくていいから。もうちょっと抑えて』と山田さんが。『すみません、挑戦的にしすぎましたね……』って(笑)」
バックミラー越しにキムタクと目が合って
タクシーを運転する浩二と、後部座席のすみれ。撮影の大半は、木村拓哉さんと二人のシーン。
「私も緊張したし、彼も緊張していた。山田さんも『俺も緊張してんだよ』なんて言ってました。スタジオに入ると真ん中に丸い台があり、そこにタクシーが載っている。山田さんはいつもその片側にいて、手前に休憩室があって。段を上がると〝TOKYOタクシーのステージ〞という感じでした」
車窓を流れるのは、車の天井まで取り巻くスクリーンに映し出された街の景色。「最初は目が回っちゃったけど」と倍賞さん。浩二役の木村さんを相手に、すみれは自身の過去と向き合う。
「彼は真面目な方で、いつでも心を、気持ちをちゃんと持つ人なのね。隅田川や公園で芝居したシーンもあったけれども、ほとんどがタクシーの中。目は合わなくて、バックミラーにこう、彼の目が見えるわけ。〝お兄ちゃん〞とは違う、大きな目が(笑)」
確かに、寅さんを演じた渥美清さんとはずいぶん違うかも!
それにしても、倍賞さんが「お兄ちゃん」と口にするだけで、なぜか、じーんとしてしまう。
「それぞれのアップでカメラの向きを切り返して撮るときは、映らなくてもお互いそこにいるようにしたり。今にして思うと、あの狭いタクシーの中だからよかったのかも。トントントンとキャッチボールができて、密度が濃くなって」
木村さんは〝キムタク〞らしい演技を封印。高校進学を控えた娘を持ち、生活に追われている浩二をナチュラルに構築する。
「台本の浩二は普通のおじさんで、彼はそれをちゃんと理解していました。山田さんも〝今までの木村さんらしさを取り払った君が見たい〞とよくおっしゃって。それをちゃんと彼は受け止めて表現していた。そういう引き出しを持つ人なんですね」
山田監督は、倍賞さんに対してもきっちりと演出をつけた。
「カメラには映らず、セリフだけが聞こえるところでしたが、うまくいかなくて。すると山田さんは〝はい次、もう一回〞〝はい次、もう一回〞と、いとも簡単に言うんです。〝いいんだよ、倍賞くん。手元は映らないのだから、台本を見ていい〞と言うのですが、〝それは嫌なんです〞って。何度も何度もやり直しをさせてもらいました」
すみれは次第に心を開いて語り、回想シーンが入る。ナビゲーターのようでもあって、初めて台本を見たときは、「こんなに!?」とセリフ量に驚いたそう。
「しゃべり言葉であって、しゃべり言葉ではないよう。時にセリフとつながらない気持ちが湧き起こり、そうした思いを込めると間が延びてしまって。セリフ一つひとつの中身が濃いこともあって、すべてに思いを込めると3倍くらいの長さになってしまう。感情に溺れてはいけないけど、伝える必要もあるし……。私なんて〝腕〞がないから、どう表現したらいいの!?って」
すみれの思いを凝縮させ、コントロールして。ぎりぎりの線まで余分なものを削ぎ落とす。誠実に切実に、すみれと向き合った。けれど車内の狭い空間に演者は二人。普通なら、煮詰まりそう。
「ときどきは感情のコントロールがうまくいかず、〝わ〜!〞って(笑)。でも、山田さんが見ていますから。いちばんに、大信頼の、尊敬する山田さんの演出があったので」
若き日のすみれ役には蒼井優さん。「優ちゃんのシーンを、先に観られたらよかったのに」とこぼす。
「優ちゃんとは彼女が若いとき、私も本当に若いときに(笑)、ドラマで一緒になって。『すごくよい子だな。こういう子が伸びてくるといいな』って。そしたら、映画『ホノカアボーイ』に二人とも出ることになったけれど、一緒のシーンはなくてすれ違いのまま。そのあと、ある作品を東宝スタジオで撮影中、優ちゃんも別の作品でそのスタジオに入っていて。私たちの撮影現場にコーヒーの差し入れをしていたら、『倍賞さん、私にもコーヒーを飲ませてください』と優ちゃんがやってきて。『また、どこかで会おうね!』なんて言っていたら、今回のこの役と聞き、うわ〜最高!って。でも優ちゃんはすみれの若いときだから、やっぱり会わないの(笑)」
縁があるような、ないような。不思議なつながりを感じながらも映画は完成した。
「人と人が出会ったり別れたり、それで人間にしかない心の動き、気持ちの在り方、その本当がいっぱい入っている。戦後80年の今、この映画に出られたことが最高に幸せでした。観終わって、自分が出た映画なのに胸がいっぱいになっちゃって。心がすご〜く熱くなりました。木村君と思わずハイタッチしたんですよ」
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問い合わせ/オーガスト ☎︎03-6434-1239
東京と北海道別海町。二拠点生活の今
倍賞さんは長らく、東京と北海道の二拠点生活を実践している。場所は、「人間より牛のほうが多いところで」という別海町。きっかけは1970年の映画『家族』。山田洋次監督が、九州から北海道の開拓村へ向かう一家をドキュメンタリーのように映し出すロードムービー。
「自分が出演した作品の中でいちばん好き。もちろん、寅さんも好きですけど」と倍賞さん。
「長崎から北海道の中標津へ、町にまだ汽車が通っていたころで、5人家族が真っ暗な町に降り立ちます。そのときに初めて中標津を知って。その後の『遙かなる山の呼び声』の撮影で2カ月弱滞在し、いろんなお友達ができました。温泉が湧き出て、シラカバがあって、小川があって。朝起きたら小鳥がチュンチュン鳴いたりする。いつからか、こんなところに自分のおウチがあったらいいな〜と」
あの『幸福の黄色いハンカチ』も、『駅 STATION』も、確かに倍賞さんは北海道と縁が深い。作曲家のご主人、小六禮次郎さんがさらに北海道の地と縁を結ぶ。
「最初は養老牛温泉で一人で年越ししたり、結婚してからは彼と一緒に。それである雪の降る日に遊びに出て。ふと空を見上げたら、ウルトラライトプレーン(超軽量動力機)という一人乗りの飛行機が飛んでいたんです。竹トンボみたいに浮き、しゅっと移動して降りてくる。飛行機のタイヤの部分にスキーの板をつけて、しゅ〜と着陸する。それを見て彼が飛行機にハマっちゃって。そこにおウチを建てましょう!と」
好きな季節は冬だという。
「吹雪くと、ダウンを着て外を歩きたくなっちゃうの。雪がふわ〜っとして、新雪がいい。自分の足で道をつくって歩くのが好きで。『駅〜』でも、雪が降るとダウンを着てよく外を歩いていたんです」
倍賞さんの温かい声でそう言われると、あの名作が浮かぶ。毛糸の帽子に真っ赤なダウンで雪の中を歩く桐子さんは、大地にしっかりと根差して生きる、でも寂しさを抱えた純な女。高倉健さんとの大人の恋、桐子が口ずさむ『舟唄』。たまらない!
「そのうち『夏も行ってみようか』と、犬も飼っていたしね。今は東京と行ったり来たり、一年のうち5カ月くらい、冬と夏が多いかな」
ある正月、書き初めにしたためたのは〝土、雪、人、笑、生、愛〞という文字だった。
「最初は景色や雪、木の葉っぱや虹が見えるのがいいなと。地べたの上に立ち、木や空を見る。真っ暗な中で空を見上げれば、こぼれてきそうなくらいの星がある。人工衛星も見えるのよ。そういうものが、自分の中にたくさん入ってくるようで。また心配事があるとこちらに寄り添い、身を粉にして動いてくださる、そんなお友達にずいぶん助けていただきました。見たことのない景色や触れたことのない空気、それらとのつながりがどんどん濃くなって」
そのどれもが、東京では本当には手に入らないもののよう。
「もちろん東京にもお友達はいるけれど、今では親戚がたくさんいるみたい。北海道でそんな付き合いのあるご夫婦に子どもが生まれ、その子がお嫁さんになって、また子どもが二人生まれて。もう自分の孫のよう。私が仕事で東京に行くときは『いってらっしゃい』、北海道に戻ると『帰ってきたばかりで大変だから、ウチでご飯を食べてね』って。そんなふうに人とのかかわりができて、どこに行っても緑があって、おいしい空気を吸って。また東京に戻ると、襟を正して仕事ができる。今はそんな暮らし方なんですよね」
『TOKYOタクシー』
(配給:松竹)

●監督:山田洋次 ●脚本:山田洋次、朝原雄三 ●原作:映画『パリタクシー』(監督:クリスチャン・カリオン) ●出演:倍賞千恵子、木村拓哉、蒼井優、迫田孝也、優香、中島瑠菜、神野三鈴、イ・ジュニョン、マキタスポーツ、北山雅康、木村優来、小林稔侍、笹野高史 ほか ●11月21日(金)より全国公開
Ⓒ2025 映画「TOKYOタクシー」製作委員会
https://movies.shochiku.co.jp/tokyotaxi-movie/
文/浅見祥子 写真/鈴木千佳 ヘアメイク/徳田郁子 スタイリスト/小倉真希
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