今回のテーマは「ニワトリ先生」である。ニワトリを飼い始めて僕は45年。多くのことを教えられた。飼育目的の第一はもちろん卵を食べるためである。しかし、なんと愛らしい生き物であることか。たくさんの犬や猫を飼ってきたが、愛らしさにおいて犬猫に全く劣らない。さらに言うならば、その生き方はひたむきである。雑念を持たず一直線。この言葉がたぶんいちばん合っている。1日の90%は食べることに費やす。雨や寒さなんかちっとも厭わず、ひたすら土を蹴って虫をついばむ。そして、残りの10%、それは、晴天の日、土にスッポリ埋まってやる砂浴びだ。目的は健康のため。羽の隙間に詰まっている虫を砂とともに洗い流す。人間で言うなら風呂か。ただ、求めているのは健康だけじゃない。どうやら心の静けさと精神の解放・・・であるらしいことは、砂に埋もれて仰向けになったそのウットリした顔の表情でわかる。
4月下旬、『田舎暮らしの本』7月号(6月3日発売予定)に、僕は「自給的農業は究極のサバイバル術だ」と題した原稿を書いた。円安、物価高、年金に関わる制度変更、電気やガス料金の値上げ、そしていつ発生してもおかしくないとされる大地震。これから30年、40年を生きて行く人たちにはキビシイ時代がどうやら待っている。そんな未来予測のつかない状況に、力強く立ち向かって生きるすべ、それは自分の手足と知恵を駆使して暮らす自給的生活ではあるまいか、そんなコンセプトで書いたのだ。そこにニワトリの話が出て来る。僕が掲げる生き残り術の3本柱は食糧と電気と水を自分でまかなうこと。食糧は野菜と果物と卵(鶏肉)。その項目において鶏舎の作り方、餌の種類、卵の孵化からヒヨコの育て方、それらを詳しく書いた。ぜひ、その『田舎暮らしの本』7月号を読んでいただきたいのだが、今回は続きというかたちで彼女たちの頭の良さ、愛らしさ、人間が学ぶべき点、そんなことを書いてみようと思うのである。
5月1日「冷たい雨の1日。今朝も彼女は僕の枕元にやってきた」。
5月は雨で始まった。日中の気温は15度くらい。ナス、トマト、ピーマン、トウモロコシ、メロン。これらにまだ気が抜けないぞ。雨に打たれながらそれぞれの保温のケアに走り回った。さてこの下の写真。時刻は早朝である。ニワトリと寝る男なんて、世間広しといえどもそうそういまい。話せばこうである。去年、岐阜の後藤孵卵所から届いたヒヨコは大きくなった今、僕を男として慕ってくれている。前に書いた。僕がそばに寄ると腰を落とし、交尾の姿勢を取るのだ。僕は一応は男だが、ニワトリに対しては役立たず。とりあえずお尻を触ってごまかす。そのニワトリたちの中でもいちばんに僕を慕うのがこの写真の雌鶏。ずっと別の場所で卵を産んでいたのだが、1か月ほど前、雨戸をノックする音が聞こえるので開けるとこいつだった。どうするのかと思っていたら、僕が着ている毛布の上でゴソゴソと「足場ならし」のパフォーマンスをしばらくやって、腰を下ろして動きを止める。僕に寄りそう。しばらくすると毛布の上に卵がコロリ。慕われるのは嬉しいが、いささか困る。なんせ彼女が来るのは早い時は5時半。遅くても6時半だ。そのまま起きては睡眠不足になる。僕は片手で抱いて、もう一度眠りに落ちる。次に目を覚ました時には彼女はいない。卵がある。それがこの場面なのである。
1月にビニールハウスに植えたジャガイモをいっせいに掘り上げた。まだまだ大きくなるけれど、ポットにまいたトウモロコシがポットの中で根をグルグルと巻いている。植えてやらねば。ということで、早いのだが掘り取ることにしたのだ。近隣の畑ではようやく葉っぱが茂ってきたという段階。収穫までにはまだ1か月半くらいはあろう。ビニールハウスならではの早期収穫である(この早期栽培についても6月3日発売予定の『田舎暮らしの本7月号』に詳しく書いてある)。
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