6月6日。「愛があればお金なんて・・・とはいかないのが世のならい」。
昨日よりは雲が多く、湿度もやや高い。でも、雨は降らない、風もない。この天気に感謝だ。さて今日も働こう。懐かしのメロディー「生産性ブルース」を歌いながら働こう。昨日、荷物を出しに行ったクロネコ営業所から足を延ばしてホームセンターに行った。今年最後のビニールハウス設置にとりかかる。今年仕上げたハウスはすでに5つ。いずれも曲がったり折れたりしたパイプを再利用して仕上げたが、そのリサイクル品もさすがに尽きた。それで新たな材料を買いに行ったのである。
まだ梅雨にも入っていないが、僕の気持ちはすでに秋から冬に向かっている。今年最後のビニールハウスにはポットで育てているナスとピーマンをまず植える。初なりの実はたぶん7月の下旬。9月まではビニールを半分たくし上げて風を通す。10月になったら米ぬか堆肥をいっぱい投入し、夜間はたくし上げたビニールを地面まで下ろすというかたちを継続する。これでナスとピーマンは師走に入る頃まで収穫が続く。そして、その収穫が終わった年末から年明け、10月末にまいておいた春キャベツの苗を植える。そのキャベツは、1年で最も品数の少ない3月に大きく結球する。
ハウス組み立ての前に堆肥を運び込む。この場所ではすでに数日焚火を続け、大量の木灰が入っている。これに米ぬかと鶏糞の堆肥を100キロほど混ぜ込んでやればナスとピーマンには十分な栄養となろう。30メートルの距離、重い堆肥の袋を抱いて何往復もしながら、昨日読んだ新刊紹介、そのイントロ部分にあったセンテンスを僕は思い出す。「愛があればお金なんて・・・とはいかないのが世のならい」。伊吹有喜さんの『娘が巣立つ朝』(文芸春秋)という作品は、結婚を前にした若い男女と、それぞれの両親との、理想、思惑、ぎくしゃくを描いたストーリーであるらしい。その紹介文にある「愛があればお金なんて・・・とはいかないのが世のならい」は、いま僕が堆肥を運びながら意識する「愛か、お金か」とはバックグラウンドがまるで違う。
僕には田舎暮らしへの愛がある。カボチャ、トウモロコシ、トマト、すべての野菜への愛もあり、ニワトリたちへの愛もある。そして、言葉こそ持たないが、それらすべてが日々、僕に愛を返してくれている。しかし、その愛だけでは互いに生きてはいけない。それぞれに必要なモノがあり、そのモノを手に入れるためにはお金が必要なのだ。例えば昨日、新たなビニールハウスを造るために購入した資材は4万円だった。その4万円があるからこそ、木枯しの吹く季節にナスやピーマンが食べられる。まだ桜の咲いていない寒い季節にふっくらと柔らかい春キャベツが食べられる。
『田舎暮らしの本』7月号の「自給的農業は究極のサバイバル術だ」には僕の家計簿が挿入されている。年金を含めた収入は月額25万2000円。対して支出の月額は18万9000円。記事を読んでくださった方は、かなり余剰がある、中村さんはその余剰をガッチリ貯金しているのかな・・・そう思ったかもしれない。残念ながら違う。僕は貯金ゼロ。収入と支出の差額は6万円余りあるが、ほとんどが出ていく。ただし月々に決まって出ていくというわけではない、それで家計簿にはこの支出項目を加えなかったのだ。大きな支出は不意にやって来るのだ。4月には6年使った太陽光発電のバッテリーがどうやら寿命を迎えたらしく、新しいものを買った。それが7万5000円。そして昨日、ビニールハウスのための資材購入が4万円。男と女の愛。家族の愛。それと同様、いくら好き、あふれる愛がありますといってもカネなしでは。田舎暮らしも愛だけでは成り立たず、お金を必要とするのである。
ただし、世間の平均基準からすると僕の暮らしに要する金額は小さいだろう。そこでちょっと説明がいる。東京でマンション生活をしている40歳前後の会社員をイメージしていただきたい。ボーナスを含めた月の実収入は40万円くらい。そこからマンションの家賃(もしくは住宅ローン)を毎月7万円ほど支払う。電気とガスと水道代には4万円ほどかかる。食費は・・・値上げ続出で節約を心がけてはいても最低6万円くらいが必要か。我が暮らしをこれに照らし合わせる。家賃がいらない。電気とガスと水道は、先に5月の電気代が1215円だったと書いたように、太陽光発電のおかげでトータル5000円ほどに収まる。自給する野菜、果物、卵の市価換算額は5万円くらいになる。すなわち、今の僕の生活は、実際の現金収入は少ないが、月収40万円くらいのサラリーマンとほぼ同じレベルなのである。そうか、思ったよりずっと立派だねえ・・・そう言ってくれる読者もいるだろうか。貯金はないが、食べたいものを好きなだけ食べられる、やりたいことのほとんどが思い通りにやれる、それが我が田舎暮らしなのだ。
だけれども・・・そこに投入する時間と人的エネルギーは自分で言うのもなんだが“すさまじい”。冒頭、近所の働き者のNさんのことを書いたが、Nさんにはおよそ2か月の農閑期がある。僕にはない。365日、休みなく働く。同じくNさんにはさまざまな耕作機械があるが、僕はすべてスコップか鍬での手作業。傷んだ家が雨漏りすれば幾つもの土嚢を抱いて決死の作業をする・・・それでどうにか愛ある暮らしが成り立つ。自分でも不思議に思うことがある。平衡棒を持って、ビルの谷間に渡したロープの上をギリギリのバランスを取って歩く。そんな冒険家にもどこか似ている我が暮らし、それをイヤだと思ったことがなく、むしろ楽しい緊張感さえ抱く。近藤康太郎氏が言う「意固地」なのだろうか。いや、やっぱり好きだからだろう。楽しいからだろう。
かくして今日も、生産性ブルースを歌いながら僕は仕事に励む。このブルース、アナタが考えるほどに暗くはない。むしろ明るく、メロディーからは甘い香りさえする。アナタも、自給の看板を掲げた本格的な田舎暮らしに踏み出すことを、僕は祈る。
この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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