7月8日。「都会における刺激と自由、田舎暮らしにおける刺激と自由」。
今日は40度を超す地域があちこち出るらしいとテレビが伝えている。前に雨による被害のことを書いたが、気温においても、人間がいっぱいいる東京より少ない人口、地方のほうが暑さの直撃を受ける。大分県日田、栃木県佐野、千葉県市原・・・。7時半、いつものランニングに向かう。シューズの紐をしめながら、一昨日の読売新聞人生相談のことを思い出す。50代の会社員女性は趣味がランニング、30年以上続けている、最近ハーフマラソンで自己ベストを出した、そう書いていたからだ。そんな彼女の悩みはいかなるものか。「人生の目標見つけられない」という見出しに僕は興味を持った。地方の進学校から関東の国立大に進み、地元には戻らず大学で推薦された企業に就職、そこの同僚と結婚し、今は大学生と高校生の子供がいる。
会社は普通に過ごしていればそれなりの給料がもらえるので、このまま定年まで勤めたいと思っています。夫は半年前に転職し、単身赴任。考え方の違いもあるため定年後に一緒に暮らすかどう迷っています。これまで常に目標に向かって全力で取り組み、達成感を得てきましたが、様々なことが一段落した今、人生の目標が見つけられません・・・。
彼女はつい最近ハーフマラソンで自己ベストを出したというのに、今は疲れが取れず、ケガも怖くて記録更新に向けた練習に取り組めていないのだという。僕がレースに出るのをやめたのは10年くらい前だ。レースはやめたが、しかし走ることは今もやめていない。走る心地よさを捨てたくない、走った後に食べる朝食の味をキープしておきたい・・・。彼女の走ることへの情熱が低下した背景には、たぶん夫との関係がある。おそらく夫との性の交わりも久しくないのだろう。いささか乱暴だが、もし僕が人生相談の回答者ならば、夫との男女の関係にはここらでピリオドを打ち、新たな恋人を見つけることを勧める。えっ、ナカムラさん、不倫を勧めるのですか!! 驚く人もいようが、「不倫」ではない。フランスでは、同時に何人かの恋人がいるのは不思議でも悪いことでもないと何かで読んだことがある。この年齢になると僕にもわかる。生涯、好きになる人、肌を触れ合わせたくなる相手がただひとりだなんて・・・それはあり得ないということが。彼女のために、ちょっとドラマチックな脚本を用意してみる。ふとしたことで同年代の男性と出会う。出会いの場所はスポーツ用品店。失いかけている走ることへの情熱を、新しいシューズでいくらかでも引き戻したい、そんな思いで訪れた店に彼がいた。自分の足にフィットするかどうか、シューズに足を滑り込ませるために前屈みになった瞬間、後ろを通ろうとした男性に彼女のお尻がぶつかり、前のめりになったのだ。ごめんなさいと謝った時に見せた相手の笑顔が素敵だった。一緒に店を出て並んで駅に向かって歩きながらランニングの話をした。彼は海を見ながら走るのが好きだという。いずれは海辺の町に小さな家を見つけ、東京のマンションから移り住みたいと考えている。彼女の目の前に青い海を眺めながら走る自分自身の姿が浮かぶ。その隣には彼がいる・・・この脚本通りに行くならば、彼女の性的な枯渇感は消える、ランニングへの情熱もきっと復活する・・・。たかが50代で人生の目標を見失う、性的エネルギーを無理に抑え込みながら鬱屈して暮らす。それは勿体ない。波音を聞きながら彼と並んで走る。夜は優しく抱き合う・・・人間が幸せに生きるためにあってもいいこと、それを不倫とは言わない。
さて消滅可能性自治体の話、そろそろしめくくりとしようか。消滅するとされるのは2040年とか50年。残念ながらというか、幸いというか、77歳6か月という僕には直接の関りはなく、その現場を目にすることはない。しかし、若い30代、40代という人はその歴史に間違いなく遭遇する。長期的展望が必要だ。5日付「東京なら何者にでもなれる・・・」あれを思い出してみよう。23歳の男性と30歳の女性が口にした、“刺激にあふれている、いま私が感じている自由さは、〇〇だから守られている”・・・これから移住地を選択し、田舎暮らしを始めようとする人は、ここにある「自由」と「刺激」をまずは大切なポイントとしたいものだ。30歳の女性は、〇〇だから守られている、その〇〇に東京という文字をはめ込んでいるが、若いアナタの場合はどうか。〇〇の部分に、熟慮の上で選択した田舎暮らし、その地名がサラッと収まるようになったならば幸せだし、成功だと言えよう。
刺激とか自由とか、言葉は同じでも、饅頭に例えると、見かけは同じでも中のアンコが違う、都会と田舎では・・・我が体験を通してそう思う。僕が日々遭遇する刺激は都会の刺激に比べるとレベルが低いかもしれない。5月、トマトとメロンがあるビニールハウスに去年のカボチャのこぼれ種が芽を出した。だんだんにツルを伸ばしてきた。カボチャは他にいっぱいあるし、メロンとトマトを邪魔しないよう、伸びてきたツルを僕はハウスの隅の方にやや冷淡にバサッと投げた。それでしばらく行き場を失ったカボチャだが、なんとしっかり立ち上がり、気が付けば天井部分のビニールの破れ目からツルを出していた。それから半月、今日見るとツルは5メートル、着果した幼果は7つ。その生きる執念とたくましいエネルギーに僕は刺激を受けるのだ。そして少しばかり力を貸してやる。37度の猛暑だが、このカボチャのバイタリティーにはオレもかなわない。ツルの進行方向の草を汗にまみれながら取ってやったのである。
自由もまた、都会のそれと、我が田舎暮らしのそれではニュアンスがかなり違う。なんたって規範がない。悪く言えば行き当たりバッタリですむ自由。作業すべきポイントがあちこち不規則に点在しているせいでもあろうが、我が仕事はランダムもいいところ。それでいて作業成果はちゃんと上げる。あふれた汗にまぶされた泥を落とすため、体温を下げるため、水を浴びる。ブルーベリーをつまむ。牛乳を飲む。わずかな時間、僕をオンドリと慕うニワトリのお尻をさわり、会話を交わし、さて次は何をやろうか、スコップを手にして畑をランダムにひと巡りする。規則性がない、強制力がない。アンタのやることは無茶苦茶だなあ・・・テッペンカケタカのホトトギスが林の向こうで僕を笑っている。田舎暮らしの自由とは、何をどうやろうとオレの勝手・・・それが許される自由である。だからといって、力の出し惜しみだけは許されない。持てる力を出し尽くすべし。そして、なし終えた仕事の成果は、他人ではなく自分、もう一人の自分が判定する。誰かを納得させるためではなく、自分を納得させるためにする仕事。僕が強調したい田舎暮らしの自由とはそれである。消滅可能性自治体なんぞ何するものぞ。食料を確保する。電気と水を確保する。暑さにも寒さにも耐えられる体を作り上げる。そして饅頭のアンコとして「自由」と「刺激」をほどよく織り交ぜながら生きていることを楽しむ・・・。いつか実現するであろうアナタの田舎暮らしがこのようであることを僕は祈る。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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