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田舎暮らしの本 11月号

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田舎暮らしの本 11月号

10月3日(木)
890円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

消滅可能性自治体/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(55)【千葉県八街市】

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 7月5日。「東京ならば何者にでもなれる・・・この感情は僕にはなかった」。

 昨日よりもさらに暑くなる。テレビはそう興奮気味に伝えている。これまで東北の海にはいなかった真鯛が網にかかるようになった。海水温の上昇と関係あるらしい。朝のテレビはそうも伝えている。梅雨も明けていない今、38度という高温が全国あちこちで生じるこの現象はやはり地球温暖化と関係するのか。千葉もずっと熱帯夜が続いている。僕は寝室の小さい方の窓ひとつを網戸とし、ベッドの至近距離で朝まで扇風機を回し続けて寝ている。昼間の労働が眠りを深くするのか、寝苦しさで目が覚めるということは幸いない。

 この上の写真は10日前から1日100粒のペースでポットにまいた大豆である。トレーはビニールハウスの中に並べてある。これだけ暑いと外に置いたほうが良いのだが、遊び心の旺盛なニワトリたち、土からピョンと顔を出した大豆をひっこ抜いて楽しんでしまうのだ。それでハウス。気温が高いゆえポットはすぐ乾く。水やりの手間が増える。畑への定植はあと10日後、ニワトリにひっこ抜かれない20センチのサイズになってからだ。そして、10月になってまずエダマメとして収穫し、大豆になった12月、モヤシにして出荷するものと、来年の種用とするものに分ける。種用のマメは保存期間が半年以上に及び、傷まないよう、ネズミの被害にあわないよう気を配る必要がある。思えば大豆の命は永久の連鎖である。親から子、子から孫という命のラインがどこまでも続く。僕が手を貸す必要はあるが、うちの大豆はすでに30年、すなわち30回にわたって命から命へというバトンタッチが行われたことになる。

 猛暑の中で頑張る。サトイモの草取りと土寄せ。ゴーヤへの支柱追加。人参の間引き。途中、ブルーベリー、ラズベリー、プラムをつまみ食いし、珈琲を飲む。部屋に戻らずにすむよう、湯沸かし器は作業場のすぐ近くの太陽光発電のインバーターにつないである。猛暑の中での休憩に、飲むのはアイスでなく熱い珈琲。エアコンなしと並んで、これは暑さに正面からぶつかろうとする我が生きる流儀である。そうそう、6月の電気料金の連絡が東電からあった。最安値の記録が出たぞ、なんと654円であった。太陽光発電は経済の問題のみならず、僕のホビーかゲーム。どこまで電気代を減らせるか。それが楽しくてやってもいるのである。

 荷作りを終えたところにチビチャンがやって来る。前に書いた。ヒヨコの時代、チビチャンはハヤブサにさらわれた。ハヤブサの鋭いくちばしに噛まれて助かったヒヨコはいない。だがこのチビチャンは奇跡的に生還した。その夜から僕の治療と介護が始まった。傷口を包帯で巻き、あえて体を動かしにくい小さな箱に入れ、夜は僕のベッドのすぐそばで寝かせた。その体験はチビチャンの記憶から消えていないらしい。時々こうして、クククッと信号を発しながらそばに寄って来るのである。さてジイチャンはもう少し仕事があるからな。おまえはそろそろ寝る時刻だな。僕はスコップを手にして畑に向かう。この下の写真、ブルーネットの中にマクワウリがある。去年、何かの動物に食い荒らされた。だからネットが掛けてある。そのネットの周りがすごい草。取ってやろう。時刻はそろそろ6時。ああ今日も出て来たか・・・蚊ではなくブヨの集中攻撃だ。何匹いるのか。首から耳から頭から眼まで。この痛さ、痒さ、わずらわしさ。邪魔すんな。この仕事をちゃんと終わらせ、オレは気分よく金麦ビールを飲みたいのだから・・・。

 そして今日もストレッチしながら夕刊を読む。一面トップは「英国14年ぶり政権交代へ」。下院選挙で労働党が大勝したらしい。ゆりかごから墓場まで・・・学校の社会科で習ったこの言葉は英国における社会保障の充実を表しているものだが、今では現実の姿はだいぶ違ってきているらしい。1週間ほど前になるか、英国の医療従事者が大掛かりなデモを行ったというニュースをテレビで見た。現在、英国では病気が明らかになっても入院までに3か月半も待たねばならない。理由は医師不足。デモを行う医師の一人が言う。夜勤して、300人もの患者を診て、時給は日本円にしてたった2400円なのだと・・・。大英帝国の都会生活者にも暮らしにあえぐ人たちがいる。

 今日、もうひとつ僕の目を引いた新聞の記事がある。2日後に行われる都知事選挙との関連で、その見出しは「東京というブラックホール」。地方から若者を引き寄せ、呑み込むゆえの命名、それがブラックホール。記事は言う。東京の引力が増すほど地方の人手不足は加速し、少子化問題の解決を難しくさせる・・・。なぜ東京なのか。ふたつの事例が記事にはある。

 岩手県陸前高田市出身で東京都杉並区で暮らす会社員の男性(23)は、東京の大学を卒業したら地元に戻るつもりだった。だが、就活を始めるとキャリアの選択肢が限られていることに気づいた。東京での一人暮らしは家賃や物価が高く、「少し背伸びしている感覚」。定年まで働き続けるイメージもわかない。だが、それ以上に東京は刺激にあふれている。仕事も子育ても選択肢が多い東京に若者が集まるのは仕方がない。明確な目的がないからこそ東京にいる人も少なくないと思う。「東京だったら何者にでもなれる。可能性を手放したくないんです」。

 東京都港区で暮らす会社員の女性(30)も「地元に戻るつもりはない。東京は便利で、自由で、居心地もいいから」と語る。高校卒業までは実家のある兵庫県姫路市で育った。大学進学を機に東京や神奈川で暮らすようになって13年目。転職して3社目となるIT系のベンチャー企業で働きながら一人で暮らす。東京一極集中に無関心なわけではない。「姫路の未来も考えないと、と思うんだけど」。でも、価値観の多様さがある東京を離れようとは思わない。「いま私が感じている自由さは、東京だから守られている」。

 僕は中学3年で東京に転校して来たが、じつはその前の年の夏休み、叔母に連れられ東京に遊びに行ったことがある。詳しい経緯はもう記憶にない。叔母は子沢山で、関西に5人、東京に2人の子が住んでいた。まず神戸に行って宿泊し、次に東京に向かった。13歳の少年に、東京がどんな所か理解するのは難しかったが、ふるさと祝島とは別世界、それだけはわかった。上に引用した男性と女性、ふたりが口にする「便利」「自由」「あふれる刺激」「居心地の良さ」・・・東京を離れて35年、今の僕には頷けるところがあると同時に、そうではないところもある。23歳の男性が言う「東京だったら何者にでもなれる・・・」。残念ながらそれはなかった。中学3年から28年関りを持った僕には、便利と刺激は頷けるけれど、何者にでもなれるの感覚だけはなかった。自分にとって東京とはどんな場所だったか。若い頃からずっと映画好きの僕の頭にすぐ浮かぶのは映画である。「ドクトル・ジバゴ」「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て!」・・・日比谷や東銀座の映画館でこれらを見た。「史上最大の作戦」は初めて見るロードショーだったのだが、見たのは最近しきりと伝えられる家出少女たちが集まるらしいあの新宿の、ミラノ座でだった。映画とは別にもうひとつ、東京と結びついている記憶はランニングである。毎日欠かさず走ったのは上野公園、皇居、神田猿楽町。30代の初め、僕は会社員としての行き詰まりをすでに感じ始めていた。さりとて会社を辞め、東京から逃げ出すわけにはカネの面でまだいかなかった。勇気もなかった。日々のモヤモヤ感、圧迫感、そこから逃れるための、精神での「模擬脱走」、それが走ることだったのかもしれない。

 23歳の男性とは正反対、何者にもオレはなれそうにない・・・それでたぶん、虫や土やニワトリが幼い頃から好きだった僕は百姓という道を選んだのだと思う。ふと思うのだ。地方から東京に移り住み。何者にもなれないという敗北感を持って再び地方での暮らしに戻る。そんな、僕のような人生を歩んだ人、これから歩むことになるかもしれない人、そういう人はどのくらいいるだろうかと。人生とは型どおりではない。面白いのは、負けが転じて勝ちになることだってあるところかも。いささか強がりにも聞こえる、今の自分の暮らしを「勝ち」とするのは面映ゆい。されど人生には負けも必要なのだ、居心地の悪さを体験することも必要なのだ。夕暮れ、やるべきことをすべて終えた満足感でもって曲がった腰を伸ばしながら、夕刊を読む。そんな僕の耳にウグイス、カッコウ、ホトトギス、野バトの鳴き声が届く。か細いカナカナの声も届く。なんだか気分が満ちるのである。食料だって満ちているよ。トマト、ピーマン、カボチャ、ブルーベリー、卵、食べたいものは何でもある。「負け」がもたらした、これは瓢箪から駒だ。東京で自由を謳歌し、居心地の良さを味わっている人はもちろん幸せな人に違いない。ただ、ずっと勝ち続けられる人生はさほど多くはないだろう。いつか到来するかもしれない負けの場面をどう乗り切るか。そのための精神と肉体を今から鍛錬しておく必要がある・・・「負け組」の先輩からの、“声を小にして”の、これが助言である。

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