7月6日。「耳掃除、マッチ棒と耳の穴、どっちが気持ちいいと思いますか」。
今日も暑い。しかし、明日はさらに暑い、40度に達するところもありそうだとテレビの気象予報士は言っている。午前と午後、今日は2回に分けてピーナツの世話を重点的にやる。花はほぼ咲き揃った。花がしぼむと剣(莢)になり、その剣が土にもぐってマメになる。今日は畝の両側に鍬を入れる。それだけではダメ。ゴロ土を両手でほぐし株の周りに積み上げる。こうすることでしっかり剣がもぐることができ、マメをいっぱいつけてくれる。ついでに言うと、秋に収穫したマメの一部を来年の種とするため、ネズミに食われないよう厳重に保管する。
荷作りをするのはいつも暑さがピークとなる時間帯だ。ひとつを収穫して水場に行き、もうひとつを収穫して水場に行く。たまにだが、小さな障害物に足を取られ、よろけそうになることもある。今日はそれを10回やったことになるか。大根、カボチャ、トマト、キュウリ、エダマメ、人参、ジャガイモ、ピーマン、赤シソ、そして卵。荷造りを終えて再びピーナツの現場に戻って作業をしている時、遠くで雷の音がしてきた。まだかなり遠いな・・・安心して作業を続けていたらいきなり頭上でバリバリという音がした。こりゃアガリにしたほうが賢明だな。スコップを投げ捨て、いつものように夕刊を読むことにした。朝日新聞を購読していない人にはわからないが、夕刊に「オトナの保健室」という連載がある。初めてこの連載を目にしたとき、ちょっと驚いた。赤裸々な、読者の体験をまじえたセックスの話なのだ。天下の朝日新聞のイメージとはだいぶ違うなあ、これも時代なのかなあ・・・そう思いつつも、正直、男の僕はそれに興味津々で、楽しみにしていつも読むのである。
今回は「悩みや工夫 私の妊活」と題され、何とか妊娠したいと願う女性たちの隠れた苦労が綴られていた。34歳の女性は、なかなか妊娠しないという悩みを友人とも夫とも共有できなかったとまず漏らす。孤独なのが何より辛く、メンタルが不安定になったと言う。排卵日に合わせて性交する。排卵誘発剤を使って人工授精も試み、不妊治療で病院も3回変更したというのだから、妊娠したいのに妊娠しないという女性の苦労は男にはなかなか理解することは難しい。彼女は子だくさんの家庭で育ち、子どもがいない生活は考えられなかったらしい。そして・・・彼女の語りを最後まで読んだ僕は自分のことのように喜んだのだ。「夫に精力増強サプリを飲んでもらい、排卵日に1日2回の性交をしてみたら自然妊娠しました・・・」。
僕はここで思い出す。谷川俊太郎氏の作品にこんな詩があったことを。
笑いながらできるなんて知らなかったとあなたはいふ
唇はとても忙しい
乳房と腿のあいだを行ったり来たり
その合間に言葉を発したりするのだから
セックスとは、男と女の、肌を通した会話、コミュニケーションだと僕は思う。通常の社会生活でも、四角四面、ジョークなしの会話は面白くないし、リレーションがうまくいかないのと同じように、セックスも同じ・・・若い昔を振り返りつつ、この老人は今そう思うのであるが、上の谷川俊太郎氏の詩にそのことがよく表れている。「笑いながらできるなんて知らなかった」という女性の声が、楽しく盛り上がった二人の姿を如実に浮かび上がらせてくれる。聴くところによると、世間では、若い人は仕事で疲弊しきってセックスどころではなくなっているのだという。「長時間労働に追われ、パートナーとふれあう余裕すらない状況こそ変えなければならない、短い労働時間で経済的に自立できる仕組みを整えることがセックスレスを解消するための何よりの近道なのでは・・・」この問題に取り組んでいる女性の専門家はそう言う。
人間社会は一筋縄ではいかないものだなあ・・・そう僕が思ったのは記事に登場したもう一人の女性(37)。彼女はIT企業でしかるべきポジションにあるらしい。
仲が良かった後輩に追い抜かれる瞬間が複雑でした。顔で笑って心で泣いて・・・女性部下が産休を、男性部下が育休を相談してきた時、笑顔で「遠慮なく休んで」と言いました。でも心では、仕事の合間に体外受精している私が人のリカバリーしている場合じゃないのにと思ってしまいました。
なるほど辛い話だね。しかしこの女性はハッピーエンド。何度かの体外受精が失敗した後、病院を変え、上司に妊活を打ち明けるととても理解があり、やがて妊娠することができたというのだ。僕からもおめでとう・・・。
地方から人が、特に女性がいなくなる。それが人口減少、ひいては地方自治体の消滅にもつながる。ブラックホール作用で多くの人が集まる東京。その東京の出生率は0.99。しかし、この背後には子を授かろうとして多額のカネを投じ、苦労している女性が少なからずいる。もし長時間労働がこの背景の主因であるなら腰を据えて対処法を考えるべきだろう。そうだ、ここでもうひとつ、蛇足と承知しつつ書いておきたいことがある。昔読んだ開高健氏の本にこんなくだりがあった。男女の営みで、どっちがより深い快感を得られるか・・・あらためで言うまでもないじゃないか。開高氏はそれを耳掃除に例えて言った。マッチ棒と耳の穴、どっちが気持ちいいか・・・耳の穴に決まっているだろう。
セックスとは本来、男と女の無邪気なふれあい、楽しくなされるものであろう。世にある儀礼とか忖度とかを要しない、動物的なふるまいだ。しかし現実はなかなかそうではなく、疲れているからとか、煩わしいとかでいつしか何年にも及ぶセックスレスに陥るカップルが少なくないという。勿体ない。セックスしないと次世代は生まれない。そのために(誘引作用として)神はそこに快感をもたらした、開高氏の言葉を受けて言うならば女性の方により深い快感を付随させたのだ。一方男が得る快感とは、マッチ棒そのものの快感よりも、女性が示すその深い快感の表情や声から導き出される。世にあふれるいかなる人工的な楽しみよりもずっと優れた、シンプルな、神から授けられた原始の悦び、これがセックスなのだ。男は女性に安らぎを与える責任がある。男には相手の無邪気さを引き出す能力がまず必要である。そして社会は、女性に過重な縛りや負担を与えないようにする責任がある。それでもって、男と女はきっと「笑いながら」楽しく交わることが出来る・・・時間はかかるだろうが、少子化も、地方消滅も、そこから解消に向かう。かなり乱暴な老人のこれはたわごとだ。しかしけっこうまじめな、2050年を見据えたたわごとである。
田舎暮らしの記事をシェアする