掲載:2021年1月号
「女独り軽キャンピングカーの旅」「孤独を愛する旅人ちはるソロツーリング」「冬キャンプ」――。YouTube「旅人ちはる」チャンネルの動画を再生すると、行動的で親しみやすく、目の前のことに一生懸命、それでいて繊細で涙もろいひとりの女性の人生が浮かび上がってくる。
旅に魅了されたのに夫唱婦随の専業主婦に
「旅人ちはる」こと渡辺千春さんは、北海道札幌市出身。母・ヨシ子さんが山登りや海外旅行が好きで、日常的に旅行する家庭で育った。会社員だった21歳のとき、失恋をきっかけにアメリカ・シアトルに留学中の友人を訪ねて旅に出た。
「1カ月間滞在していたんですが、もう失恋したことなんて忘れるくらい楽しかった(笑)。なかでも、大きなバイクの後ろに乗せてもらったのがすごく気持ちよくて、感動しました」
帰国後、もう一度海外に長期滞在したいと考えていた矢先に、スウェーデンに住む両親の知人夫妻から「お手伝いさんを探している」と声が掛かる。1年間住み込みで働き、仕事の合間にヨーロッパの各都市を訪ねた。
日本に戻ってからは旅行会社に就職し、海外ツアーの渡航手続き業務などを担当。「そろそろバイクの免許を取りたい」と思ったが、恋人が反対した。
「ちょっと昔風の亭主関白な人だったんです。その人と結婚したのですが、『女性は家にいるもの』という考えだったので、3年間勤めた旅行会社を辞め、専業主婦になりました」
娘に恵まれ、4年後には息子も誕生。しかし、早いうちから夫婦の仲は冷え切っていた。
「お互いに歩み寄りながら生活していたのですが、夫に口答えせず、いつも言いたいことを飲み込んでしまう私の姿を見て、娘もフラストレーションがたまったんでしょう、すごく荒れてしまったんです。壁には穴が開くし、家の中はもうメチャクチャ。夫との関係もどんどん悪化していきました」
家を飛び出し、3つの仕事で食いつなぐ
精神的に追い詰められた千春さんは、ある夜、自宅マンションを飛び出した。その日を境に、近くにアパートを借りて別居生活に入った。夫が会社に行っている間にマンションに通い、当時15歳と11歳の子どもの世話をする生活。食事をつくり、洗濯をし、夫が帰宅する前にアパートに戻った。
「一文なしで出ていったので、家具や家電は友人たちからもらいました。アパートの家賃や光熱費、自分の生活費はもちろん、子どもたちの食費もほとんど私が出していたので、お金を工面するのは思い出したくもないくらい大変でした」
夫に反対されながらも、離婚後に備えて取得しておいた「谷川流足圧ボディケア」の資格が役に立ち、サロンで時給ベースの仕事を得ることができた。また、個人事業主として自宅でボディケアサロンの営業も始めた。
週末は夫が家にいるため、子どもたちに会いに行くことはできない。土日に働ける仕事を探していた千春さんは、ある求人広告に目を留めた。
「旅行の添乗員募集、応募資格は28歳までと書いてあったの。当時、私は40歳を超えていて、添乗員は未経験で、しかも月に10日くらいしか働けない。それでも応募したら、なんと合格しちゃったんです」
40歳を過ぎて従事した新しい仕事は、簡単ではなかった。
「慣れていない添乗員だとお客さんが不安になっちゃいますよね。だから、新人だとバレないように常に気を張っていました。夏は本州から来たお客さんをご案内して、冬は北海道のお客さんを本州にお連れしました。各地を旅できて、夜は温泉に入れるのが癒やしでしたね。それから、添乗中は食事が付いてくるのがありがたかった(笑)」
心に傷を負い田舎の一軒家へ
ボディケアサロンの施術スタッフと自宅サロン、そして添乗員。1年365日、ほぼ休みなく3つの仕事をつなぎ、さらに通いで子どもたちの世話をする生活は3年続いた。
「毎日必死に働いて、なんとか食べていけるだけ。そういう生活は行き詰まることも多くて、自分の実力のなさ、能力のなさに悩んだりもしました」
その後、娘は結婚、息子も本州の大学へ行ったので、千春さんは実家で母親と暮らすことにしたが、その母親の一言が千春さんの心を傷つけた。
「最初は『一緒に住みたい』と言ってくれた母親が、『なんであなたがこの家にいるの? 出ていってちょうだい』と。今思うと、認知症が始まっていたんですよね。でも、そのときは言葉をそのまま受け止めてしまいました」
そんなとき、由仁町(ゆにちょう)にある温泉施設「ユンニの湯」内でのボディケアの仕事を引き継ぐことができた。広告宣伝などが必要な自宅サロンと違い、温泉施設なら入浴客が施術を受けてくれる。田舎の小さな町の施設なのも魅力だった。
「子どもたちも自立したし、夫とは離婚していました。何より、私自身が少し疲れてしまっていたんですよね。いろんな意味で心に傷を負った状態で、田舎で暮らしたいと思ったんです」
最初は札幌から片道1時間以上かけて通っていたが、農家のお客さんが近くの空き家を紹介してくれた。古くて汚れた一軒家だが、家賃は破格の月1万円。千春さんは、働きながら3カ月かけて徹底的に掃除をした。
女性ひとりで田舎に暮らすのは大変だろうと思っていたが、たいていのことは業者に相談すれば解決できることもわかった。
「除雪も、最初は頑張って自分でやっていたのですが、業者さんに頼んでも意外と安くて。力仕事も、近所の方にお願いすると快く手伝ってくれました」
バイクとキャンピングカー。やり残した夢をかなえよう
家の近くをバイクツーリングのグループが通るたび、うらやましい気持ちが芽生えた千春さん。ずっと前から、「人生でやり残したことといったらバイクだな」と思ってはいたが、年齢のこともあり迷っていた。
「悩んで悩んで悩み過ぎて、悩むのやーめた!ってなって、教習所に申し込みました(笑)」
無事免許を取得し、250ccのホンダ・マグナを購入。バイク仲間もできて、一緒にツーリングへ繰り出すようにもなった。バイク旅が楽しくなってくると、今度は長年の夢だったキャンピングカーが気になり始めた。興味本位で行った店で、展示車両のインディ727に一目ぼれ。新車で400万円と高額だったが、ローンを組むことができたので、熟慮の末、購入を決断した。
1日休みならバイク、連休ならキャンピングカーと、旅を楽しむようになった千春さん。旅先の写真を師匠である足圧ボディケアアカデミーの谷川仁(ひとし)さんに見せると、「動画にしてユーチューブに上げてみたら」とすすめられた。後輩に教えてもらってアップしたところ、「癒やされる」「すてきな景色」などの反響があった。
「ありがたいことに、現在3万3000人を超える方にチャンネル登録していただいています。でも、あくまで自分が楽しむためにやっているので、いいカメラを買うとか高機能な編集ソフトを使うとかはしないんです。商品紹介の依頼もいただきますが、お断りしています。楽しむために、好きじゃないことはやらないでおきたいんです」
キャンピングカーが手に入ると、新たな夢ができた。ずっと心の片隅にあった日本一周だ。
「5年くらいしたら実現できるかなと思っているのですが、本当はもっと早く行きたい(笑)。ただ、今の仕事はずっと続けたいのでそこが悩みどころです」
インディで母と旅した宝物の時間
2020年10月、母・ヨシ子さんが他界した。アルツハイマー型認知症だったが、最後の数年間、千春さんや娘さん、お孫さんたちと一緒に旅に出かけ、温泉を楽しんだ。昔暮らしたことのある島牧村(しままきむら)では旧友たちとも再会。たくさん話し、たくさん笑った。
「その晩、最初で最後に、母と一緒にインディで車中泊したことは大切な思い出となりました。反発したこともあったけれど、最後にたくさんの時間を一緒に過ごせて本当によかった」
千春さんにとっての旅とは、日常から、そして現実から離れること。けれど普段の生活があるからこそ、旅で得たエネルギーを持ち帰れるのだし、旅の時間が特別なものになる。
「旅に出るとすてきな出会いがあったり、人と出会わなくても自然のなかに身を置くだけで、自分の悩みがちっぽけに思えてきたり。だから、悩みがあっても大丈夫だよということを視聴者さんに伝えたくて、動画を配信しているのかもしれないですね」
文/はっさく堂 写真提供/渡辺千春
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