厳しい自然と共存する
田舎暮らしの試練
僕は今、酒井順子著『老いを読む 老いを書く』を読んでいる。高齢化が進む現在、どのように生きるか、生活費はどうするか、著名な作家たちは晩年をどう生きたか。豊富な資料を背景に老いを論じたものだが、そこに「移住・田舎暮らし」の項目がある。
酒井氏はイントロ部分で1987年創刊の『田舎暮らしの本』についても触れている。もう記憶が薄れかけているが、その創刊時、40歳の僕は編集部の招きで新宿での会合に出た。会議の担当責任者は女性だったと思う。
酒井氏は第一次田舎暮らしブームの具体例として玉村豊雄氏と丸山健二氏を引く。両者の作品を僕は愛読してきたが、若い頃ヨーロッパを放浪した玉村氏は長野に移住、ブドウ栽培を始め、やがて本格的なワイン醸造に進む。『田舎暮らしができる人、できない人』は農業の大変さや経済的な難しさを記した本だ。
一方、芥川賞作家の丸山氏は少しへそ曲がりで孤高の人。『田舎暮らしに殺されない法』というタイトルからもへそ曲がり具合が分かるだろう。
その丸山健二氏の言葉を酒井氏は紹介する。「自然が美しいとは生活環境が厳しいと同義である……」。
僕も思う、そうかもしれないと。
ホテルに1泊2泊しての鑑賞なら美しさを丸ごと自分のものにできる。365日生活するとなれば話は別。折しも新聞・テレビは北国の寒さや豪雪を伝えている。田舎暮らしとは今日も明日もそこで生活することである。長い冬の寒さを薪ストーブでしのぐなら大量の薪を作っておく必要があろう。切断した大木を運ぶのも斧で割るのも骨と筋肉の作業。僕が上に書いた“田舎暮らしは心と体、ふたつの若さで成り立ち、かつ楽しめる”という具体例である。
枯れ木ではあるが、この長さとなれば力とバランス感覚を要する。腕、腰、足。長い人生を支える3要素であろうか。
さらに酒井氏は丸山氏の別な言葉も引く。「移住したはいいが、イメージした通りの田舎暮らしとは異なり、ほとんど無一文状態となってすごすごと都会に帰る人々をたくさん見てきた……」。
いかにもへそ曲がりの丸山氏らしい厳しい表現だが。そこにはボクシングをやり、大型犬とともに野山を駆ける孤高の作家らしき厳格な眼が感じ取れる。僕の推測だが、“すごすごと”都会に帰った人は体力気力が不足していたのでないか。イメージした甘く美しい田舎暮らし、それを支えるだけのフィジカルな基盤が脆弱だったのではないか。フィジカルとメンタルは相互補完する。両者五分五分ではなくフィジカルな強さがメンタルの強さを生み出す。田舎暮らしに失敗した人を「それみたことか」と揶揄する声もあるが、なあに心配無用だ。自然も人間関係も身辺行事も都会と違う土地に移り住めば戸惑うのは当然。それを跳ねのけるのがフィジカル。弱気になりかかった自分の心にカツを入れるのが体力なのだ。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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