トルストイの問い
人はどれほどの土地を必要とするか
「人にはどれほどの土地がいるか」。文豪トルストイの寓話である。主人公の農民パホームは広い土地さえ持っていれば幸せになれると考えている。そんな彼は、夜明けから日没まで歩いて、印を付けたぶんの土地が自分のものになる、そんなボロい話に遭遇する。懸命に歩く。太陽が沈むまで歩く。疲れ果てて出発点に戻ったパホームだが、そこで倒れ、息絶える。埋葬のために使用人が掘った穴はたったの6フィートだった……。
僕の畑は1500坪。多くの作物が錯綜する夏から秋、もっと広い土地がほしいと以前は思うこともあったが、機械がなく、人力でやるのはこの程度がちょうどよいのかも。今ではいかに効率よく畑を回転させるか、そのやりくりを楽しんでいる。住居は66平方メートルの平屋。6畳が3つ、4畳半がひとつ。それに狭苦しい台所と風呂。築42年。地震台風の被害は業者に修理を頼むこともせず今日まで来たゆえ、まことに無惨なありさまである。
都会と田舎の幸福論
しかし、1DK、家賃10万円に比べたら広くて快適である。雨漏りとニワトリたちが落とす糞、それに目をつぶりさえすれば家賃も共益費もいらないのだから。都会生活は便利で多くのエンタテイメントがすぐそばにある。僕は……市役所は7㎞先、いちばん近いスーパーでも3㎞、ホームセンターは6㎞。目指す品物がない場合には大きなホームセンターまで軽トラを9㎞走らせる。カフェも映画館もない。こんな我が田舎暮らしは、部屋は狭い、でも東京の真ん中、楽しく便利に生活する人にはたぶん実感できまい。
ニワトリたちものびやかに暮らす。大量の堆肥を施したその下から出て来る虫がお目当てだが、性欲旺盛な若い雄鶏は近くに寄って来た雌鶏にさっと乗っかる。今はそんな気分じゃないわ、食べる方が先よと拒否するのもたまにいる。でも日々産卵し、次世代を作るための精子を求めている雌鶏は自分から腰を落として積極的に交尾の姿勢をとる。
最後に睦まじい“男女”の姿をお見せする。雄鶏は力ずくで交尾に及ぼうとする粗暴の一方、雌鶏に好かれたい一心での優しさも持つ。初産の雌はどこに卵を産むか迷う。それを察知した雄はあちこちを探索し、心地よく安全な場所を見つける。まず自分がそこに入り、ここでよしと決めたら甘やかな声で雌を呼ぶ。そのシーンがこの上の写真である。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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