都会の絶望と田舎暮らしの可能性
百姓的「なんとかなるさ」の底力
さて、今回のしめくくりは地下鉄東大前駅で刃物を振り回した男の事件である。43歳の彼は中学時代、親から教育虐待を受けたという。教育虐待を受けた子はいつかグレますよ、その主張を世間に示すため、東大前という場所ならばインパクトもある、彼はそう供述したと伝えられる。
僕が驚いたのはそれよりも人口1800人の長野県の僻村で田舎暮らしをしていたという点だ。4年前、地元行政の斡旋で古い一軒家を買った。周囲にはいつか馬を飼いたいと漏らし、会えばきちんと挨拶もする、決して印象の悪い人物ではない。仕事はIT関連で自宅での作業だったらしい。事件を起こした心情を彼は、教育虐待とともに、生活が困窮してきたからだとも述べたと聞く。AIの普及で今後ITテクニシャンは職を失うことが多くなる、僕はそう耳にしたことがある。彼には思うほどの仕事が入らなかったということか。
今さら言っても仕方のないことだが、馬も悪くはない。けれど、せっかくの土地と一軒家。彼は食べ物を作るべきだった。たとえ未経験でも4年あればそこそこの物が作れるようになる。同時に太陽光発電で電気やガス代を節約すべきだった。市価で1日2000円分の食料を作れば月額6万円。太陽光発電で電気を作り、煮炊きをガスでなく電気でやれば1万円。合計7万円が自給できる。家は買ったのだから家賃不要。ならばIT関連の仕事で10万円も稼げばどうにか生活は成り立ったはずと僕は思う。
隙間だらけの家。真冬の室温3度。僕はそんな冬をどう過ごしたか。4000ワットのハイパワーインバーターに1000ワットの電気ストーブを、別なインバーターに電気毛布をつなぎ、腰に巻き付ける。頭は毛糸の帽子、首にマフラー。これで寒さをしのいだ。寝るまでの3時間、晩酌を楽しみブログを書き、この原稿を書いた。
上に書いたように生活費の節約が太陽光発電の目的第一だが、自給自前の暮らし、質素な生活はどこまでやれるか、無邪気に楽しむ要素も大きい。43歳の彼には、せっかくの田舎暮らし一軒家を楽しむ気持ちが欠けていたのではないか。過去の悲哀に拘泥し、教育虐待した親を恨み続ける。それでは身も心も委縮する、ITの仕事だってうまくいかない。田舎暮らしとは生産し、日々を楽しむ場所なのだから。
「質素」であって「貧しくない」
梅雨の走りです。向こう数日ずっと雨模様です・・・気象予報士がテレビで言う。なんと九州南部が去年より22日も早く梅雨入りしたとも。そうか、雨か。ならば手を打っておかねば。土嚢15個とヨレヨレになったブルーシート3枚を抱いて脚立から屋根に飛び移る。50代60代のような敏捷さはない。それでもまだこのような仕事が可能。
雨漏り3か所には半月前ビニールをかぶせた。しかし強風の日にはふわふわする。今日はそれにブルーシートを足し、土嚢で押さえつけようと思うのだ。驚く人もいるかも、この屋根の惨状を見て。千葉東方沖地震でガタガタにされた屋根瓦。以後38年、シートを張る。傷んでボロボロになる。新たなシートをかぶせる、また傷む。結果がこれなのだ。業者に頼むと300万円くらいかかるらしい。そんなカネはない。カネの問題であると同時に自分でやれることは自分でやるの精神がそうさせる。
ちょっと笑える話。後期高齢者にさまざまなケアがある。その説明のために以前、市の女性担当者が来訪した。話を終えて帰り際、彼女はこの屋根に目をやり、言った。すごいですねえ、中村さん、ここに住んでるわけじゃないですよね・・・問いかけが”否定疑問文”であるのをいいことに、僕はウソで答えた。ええ違います、ちゃんとした住まいは別にあります・・・。
世界で最も貧しい大統領。そう称されたウルグアイのホセ・ムヒカ氏が89歳で亡くなったとメディアが伝える。大統領公邸には住まず、農園にあるトタン屋根の家での暮らし。古びたフォルクスワーゲンを自分で運転して出勤した。
貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないこと・・・私は質素なだけで、貧しくはない。
立派な大統領と並べて語るのは面映ゆいが、僕も、質素であって、貧しくはない、そう考えている。若い頃から身を飾る物に興味がなかった。中身がたいしたことないのだから今さら飾ったって・・・そんな思いのせいでもあるが、背広ネクタイ靴は何年も同じもの、腕時計もせず、車にも興味が湧かず、美麗な家に住みたいとの願いも生じなかった。
年金を含めた年収が300万円ちょっと。世の中では下層レベルということになるか。しかし幸い、お古の衣類、布団、時には電子レンジや洗濯機まで、さまざまな品が兄から弟から友人から届けられる。これに食料自給という条件を加えれば貧しくはない。
ただし例外的な欲はある。太陽光発電がらみ。以前欲しかったが予算不足であきらめたインバーターやポータブル蓄電器。それが新製品の登場で大幅値下げとの広告を目にする。心が動く。大幅値下げといえども元が高価だから買えば5万、8万の金額だ。でも、よっしゃ、と買う。この一方で高額な出費はやはり仕事関係だ。野生動物からの被害を防止するため畑をネットで囲う。そのネットとポールに4月だけでも7万円使った。
月収26万円のうち、大きな出費となるのは上記ふたつ。他の日常生活ではケチ臭い日々を僕は送る。この上の写真、何をしているところか。作業ズボンは雨に濡れ、ヤブを這いまわり、日々酷使するゆえ傷みが激しい。とりわけの傷みは腰紐。自分で修理するようになって知った、腰回りの数か所が糸で縫い付けてあることを。それゆえ新たに通したい紐は途中で行き止まりになる。そこで一計。太めの針金を用意する。針金の先端と紐をガムテープで縛る。始めはそろそろ。縫い付けてある部分に当たったら針金に力を込める。それでうまく通過する。ちなみに新たな腰紐は使えなくなった作業靴からのリユースである。
人生のモヤモヤは「命」と「工夫」で解消できる
貧しくはなく、質素である。その暮らしにはあれこれの工夫がいる。その工夫を僕は楽しむ。どうせ生きるなら悔やまない、嘆かない・・・冒頭の50代男性、そして東大前事件での43歳の彼。僕が教えてやりたいのはそれである。次々と何かが生じる、それが人生だ。しかしなんとかなるものさ。
この「なんとかなるさマインド」は増えるところが面白い。ひとつの難事をなんとかなるさの精神でうまく乗り切ったとする。その成功が、次の難事を乗り切る可能性を高める。元本に対する利回りはNISAよりコスパが良いかもしれない。田舎暮らしを成功させる要因とは、悲観しない、過去に拘泥しない。なんとかなるさ精神を畑の野菜と同じように、肥やしをやり、雑草を取り、少しずつ増やしていくこと。
田舎暮らしの根源はヘルシーである。食べる物だけじゃない、精神もヘルシーである。肩こり、イライラ、ウツウツ、胃の痛み、動悸、ダルさ、僕にはない。
さてもう一度人生案内を。20代の女性会社員は何のために生きているのだろうと頻繁に考え、心がモヤモヤするという。目標だった仕事に就き、交友関係に恵まれ、プライベートも充実している、なのになぜ?
僕は思う。この女性は日常生活で命あるものに触れることがないのではあるまいか。僕の周囲には鶏がいて蛙がいて猫がいて狸や蛇がいる。さまざまな植物もある。いずれの命も自ら望んでこの世に登場したわけじゃない。なぜ生きているのかとも考えず、ひたすら生きる。生まれたのだから死ぬまで生き続けるだけなのだ。なんとかしよう、ウン、なんとかなるものさ・・・そうと決めてベストを尽くす。20代のこの女性の心はモダンなオフィスとパソコンとの対面ではもはや満たされないかもしれない。だったら田舎においでヨ・・・人間以外の命がいっぱい。それに毎日触れる機会を持つ。モヤモヤの心はきっと青い空の彼方に飛んでいく。
→ 鶏の叫び声で駆けつけたら狸がいた。僕を見ていったん逃げた。だが何を思ったか反転。じっとこっちを見つめる。警戒心を解くため地面を這って近づき言葉をかけた。狸は両手を揃え、じっと耳を傾ける。まだ子狸だ。親に離されたのかな。でも懸命に生きている。またおいでよ、うまいものを用意しておくから。
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この記事を書いた人
中村顕治
【なかむら・けんじ】1947年山口県祝島(いわいじま、上関町・かみのせきちょう)生まれ。医学雑誌編集者として出版社に勤務しながら、31歳で茨城県取手市(とりでし)に築50年の農家跡を購入して最初の田舎暮らしを始める。その7年後(1984年)の38歳のとき、現在地(千葉県八街市・やちまたし)に50a(50アール、5000㎡)の土地と新築同様の家屋を入手して移住。往復4時間という長距離通勤を1年半続けたのちに会社を退職して農家になる。現在は有機無農薬で栽培した野菜の宅配が主で、放し飼いしている鶏の卵も扱う。太陽光発電で電力の自給にも取り組む。
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