防風林がパッチワークのように牧草地をどこまでもつなぐ、見渡すかぎりの酪農地帯が広がる北海道別海町(べつかいちょう)。ライターの私(春日明子)は、エゾシカやタンチョウが周辺に現れる家に暮らし始めて5年目となる。釣りができる川や山菜が採れる森がすぐそばにある暮らしは案外、忙しい。
掲載:2021年9月号
憧れていた暮らしを実現。季節仕事の山に追われ、のんびりできない
「もっと自然に囲まれて暮らしたい」。神奈川県横浜市で生まれ育った私は、物心がつくころからそう憧憬していた。森や水辺がすぐそばにあり、野菜や花を育てられる土があり、野ウサギやリスや鳥がやってくる……。そんな環境で、のんびりと暮らせたら。
東京で紙媒体の編集や執筆の仕事をしていたとき、趣味だった釣りをしに北海道別海町を訪れ、夫と出会った。数年後、37歳で結婚を機に移住。5年目の今、なんとなく憧れていた暮らしをほぼそのまま生きている。
ただし、「のんびり」でもない。実際のところ、暮らしのなかでやるべきこととやりたいことは年間を通して山ほどある。平地の雪解けが終盤を迎える4月末は、山菜採りのスタート。トップランナーの行者ニンニクに始まり、暖かくなるにつれてコゴミ、タラの芽、ウド、ワラビのバトンリレー。いずれも「この場所は今週でないと!」という時期を逃すと来年のレースに持ち越しとなる。
そこらじゅうに生えるフキは夏になっても繰り返し採れるありがたい存在で、わが家のように大型食料品店まで15㎞も離れた場所では大変重宝する。
山菜採りの季節は同時に、畑の土起こしやら、野菜や花の種蒔きやら植え付けやらを天気予報とにらめっこしながら考える。それらも適期を逃すと失敗しがちだから、編集や執筆の締め切りが重なれば早春の作業は潔く諦める。
取材で何日も世話ができないことがある私は、わりと放任でも一度植えれば毎年成果があるアスパラガスやニラやネギ、ベリー類を定番に、余力があればカボチャやトマトやピーマン、豆類を育てている程度。別海町は7月に入っても最高気温20℃前後の日が続き、夏らしい暑さになるのはほんの数日だ。お盆を過ぎれば風がはっきりと秋の気配に変わり、植物は勢いを失う。積算温度が足りずに露地栽培ではうまくいかない作物も多いため、無理せず簡単に育つものに絞ったほうが楽しめる。
花もさまざま失敗した結果、身近な自然に咲く花をよく見て、この寒冷地に耐えられる品種を選ばなければだめだ、と納得した。冬は氷点下20℃を下回るうえに積雪が少ないこの土地では、冷たい風や土壌凍結で枯れてしまう品種も多い。それでも春になれば息を吹き返す強い野花の区別がようやくついてきて、似た性質を持つ園芸種を探すことが最近の楽しみになっている。
季節の変化を教えてくれる釣りや散歩を生活の中心に
夫はといえば、大小の湿原河川が無数に流れる別海町で生まれ育ち、幼いころからニジマスやイトウやアメマスを釣って育った。「釣りのプロになる」と夢見た結果、今は本当に釣りを仕事としている。ルアーメーカーを立ち上げ、大型のサケ・マスに特化したルアーの製造販売を始めて10年以上。釣り番組への出演や雑誌掲載、アラスカやロシアへの海外遠征など、釣りが生活の中心だ。
春と秋にはイトウを釣りに道北へ通う。トップシーズンには往復800㎞の旅を毎週のように繰り返し、私と愛犬「わさび」も一緒に大移動。リモートでも編集の仕事ができるように準備する。もともと自宅が東京とリモートで仕事をする拠点のようなものだから、どこへ行ってもあまり違和感はない。
2年前に犬を飼いはじめて、生活は一変した。車移動ばかりで近所を歩いたこともなかったが、散歩をする習慣ができ、自然のサイクルの感じ方が劇的に変わった。運動量が多く寒さに強い甲斐犬もこの環境に合っていたと思う。
家の中からではわからなかった北海道の素顔を、散歩を通して日々感じている。春、雪の中で真っ先に咲く野花。6月、灰色の世界を一気に塗り替えていく新緑の勢い。騒々しいくらいに森に響く夏鳥のさえずり、一斉に命を全うする虫たち。草原を駆け回るキタキツネやエゾシカの仔。繁殖期に角やからだを真っ黒に染めた牡鹿の堂々とした立ち姿、よく通る鳴き声。初雪の前に舞う雪虫。長い長い冬の、痛いくらいに寒い朝、霧氷や雨氷にきらきらと輝く世界の美しさ……。日々のそんな変化や出来事を目にすることで、だんだんとこの土地になじんできた気がする。
町まで遠いことを不便に思うことはないし、都会に戻りたいと思ったことは一度もない。夏の草刈りも冬の雪かきも、「大変大変」と言いながら本当は楽しくて仕方ない。
今年植えたシラカバの木が大きくなるころ、もしそれらを心から「大変」と思えたら、本当にこの土地の人といえるのかもしれない。そのときがくるのも、また楽しみだ。
別海町移住支援情報
令和4年4月からお試し住宅を開始
東にはオホーツク海、内陸に根釧台地が広がる。町の基幹産業は酪農と漁業で、生乳生産量は日本一、大きなホタテやホッカイシマエビなどが水揚げされる。町では、新規就農者に対する多数の手厚いサポートや、新規開業者に対する費用の一部補助などを行う。15歳までの医療費の全額助成や多子家庭の保育料の軽減策など子育て世帯に対する支援も充実。令和4年4月からお試し移住住宅の運用を開始予定。
お問い合わせ:別海町総合政策課 ☎0153-75-2111(内線2214)
別海町への移住応援ポータルサイト「ほらり」http://horari.jp
文/春日明子 写真/崎 一馬
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