長野県飯綱町(いいづなまち)の「浜っ子中宿農園」は、横浜や東京に住む団塊世代を中心としたメンバーが、通いで農作業をしている実験的なリンゴ畑。地域の人たちと協力し、生き生きと働く姿には、人生100年時代を楽しく生きるヒントが詰まっていた。
掲載:2020年1月号
※2019年秋のコロナ禍前に取材しました。
長野県飯綱町
長野市の北側に位置し、飯縄山から斑尾山までの穏やかな丘陵地に広がる町。産業は農業が中心で、特に寒暖差を生かしたリンゴ栽培や稲作が盛ん。東京から関越自動車道、上信越自動車道経由で約3時間。
援農ツアーがきっかけで地元農家の手伝いに通う
北信五岳の1つ、飯縄山(いいづなやま)のなだらかな麓に広がる長野県飯綱町。町内には一面のリンゴ畑が広がり、その標高の高さが生み出す寒暖差が果樹栽培に適していることから、リンゴをはじめとした果物の名産地としても知られるまちだ。
その中央部、中宿(なかじゅく)地区と呼ばれる昔ながらの集落に、大勢のシニア世代の人が、笑いながらにぎやかに収穫を行うリンゴ畑があった。横浜や東京に住むメンバーが通いでリンゴ栽培を行う「浜っ子中宿農園」だ。
そもそものきっかけは、2000年、農園代表の小泉正夫(まさお)さん(71歳)が援農ツアーに参加したこと。夫婦で飯綱町のトマト農家に滞在し、農作業を手伝った。それからも農家さんとの付き合いは続き、毎年のように訪れるように。もともと人と話すのが大好きな小泉さんは、地元での知り合いも増えていった。
「生まれも育ちも横浜なんだけど、子どもと孫のために田舎をつくってやりたいなと思っていたんです。そうしたら、あるとき知り合いになった地元の方に、『この家、空いているから借りたらどうだい』って声をかけてもらってね。ここで暮らしてみることにしたんです」
1人で田舎暮らしを始めた小泉さん。最初の1年間は農業の手伝い、次の2年間は別荘地で働いた。その後横浜に戻ったが、家は借りたままにし、飯綱町に通い続けた。
「こっちに来るたびにいろんな農家さんの手伝いをしていたんだけど、高齢化や後継者不足が深刻だというのはひしひしと感じていました」と、小泉さん。
数年後、借家の近所に住んでいた、リンゴ農家のおばあさんが亡くなった。約600坪ある畑の継ぎ手が見つからない場合、おばあさんが大切に育てたリンゴの木は切られてしまうということだった。
「これまでに知り合った地元の人たちの助けを借りられるなら、横浜から通ってリンゴ栽培をするのも不可能じゃない」
そう考えた小泉さんは、2010年、農園を立ち上げた。
会員制にしてリンゴの販売先を確保
最初は横浜のテニス仲間を農業に誘ったという小泉さん。しかし、農作業や共同生活に向かない人たちもいて、作業する人数は徐々に減っていった。
リンゴの販売先を確保するという課題もあった。知り合いに配るのはもちろん、横浜の青果店に持って行ったり、会社のお歳暮に使ってほしいと頼んだりしていたが、すべて売り切ることは難しかった。
「有機肥料や減農薬にこだわったリンゴだからこそ、穫れたてを生で食べてほしかった。そこで考えたのが会員制度。農作業はできないが、果物は食べたいという人に会員になって会費を納めてもらい、年に何度か果物や加工品を送ってあげるんです」
また、農作業を楽しめる人もいるはずだと、小泉さんはいろいろな人に声をかけた。
「ご近所さんから小学校の同級生まで誘いました。毎月通ってくれている池田さんなんて、娘の会社の上司をスカウトしたんです(笑)」
その池田茂(しげる)さん(71歳)も笑いながら話す。
「東京に住んでいるんだけど、自然のなかでからだを動かすのが好きなので、こっちに来るのが毎月の楽しみになっちゃって」
最年長は亀山義昭(よしあき)さん(80歳)。2度のがんを患い、家から出るのもままならない状態だったところ、近所の小泉さんに誘われて農園に通い始めた。
「こっちに来て変わったことといえば、生き返ったこと(笑)。通い始めて8年目、元気に畑仕事したりして、みんなとお酒飲みながら大笑いしているよ。これなら100歳まで生きられるね(笑)」
現在会員は約30人。飯綱町に通って農作業をするのは10人ほどで、あらかじめ決めた期間の中で、来られるときに参加してもらう。
助け合い、協力し合う、地域と農園の新しい関係
「そもそも、ここに常駐しないで農業をやろうってのがずうずうしい話だよね(笑)」
そう話すのは、小泉さんの小学校の同級生、渡辺義高(よしたか)さん(71歳)。
「本当に、地域の助けがあってこそできること。台風19号のときも、自分たちの農園のことなんて電話で聞けないじゃないですか。それを、地域の人たちが電話をくれて、『農園は大丈夫だよ』って教えてくれたんです。自分たちも大変なときなのに、ありがたかったです」
星加千種(ほしかちぐさ)さんも、地元の人との交流を楽しみに通っている1人。
「私がおこわが好きって言ったら、必ずつくってきてくれたりして、すごくうれしい。野沢菜漬けを頂くことも多いけど、みんな少しずつ味が違って面白いんです。地域の人との交流が、いちばんの楽しみです」
地元で果樹農家を営む丸山成志(せいし)さんは、浜っ子中宿農園についてこう話す。
「小泉さんたちのリンゴ栽培の手助けをしていますが、逆に私たちも応援されていると感じることが多いです。地区のお祭りやイベントに大勢で駆け付けて盛り上げてくれたり、子どもたちにお菓子を振る舞ってくれたり。ここも人口が減っていますが、そんななか、集落が1つになって盛り上がる手助けをしてくれていると感じます」
「飯綱町に来ることは生きがい。もっとおいしいリンゴをつくるための土づくりを勉強したり、次に何をやろうかと考えたりするのが楽しくて仕方がない」と話す小泉さん。
人生100年時代を輝かせるのは、仲間たちと笑い合いながら汗を流したり、実りを喜んだりする時間。農園は、その最適な舞台なのかもしれない。
【「浜っ子中宿農園」の四季の果物栽培】
浜っ子中宿農園では、早生種の「つがる」から晩生種の「ふじ」まで、6種類のリンゴを栽培。その合間に、プルーンやサクランボなどにも挑戦している。年間の主な作業を紹介しよう。
[春の作業]
標高の高い飯綱町では、5月にリンゴの花が咲き始める。5〜6輪の花がかたまりになって咲くので、中心の花だけ残し、周りの花を間引く「花摘み」と呼ばれる作業が行われる。簡単そうに見えて、手間のかかる作業だ。また、サクランボのハウスに雨よけのシートをかける。
[夏の作業]
5月から7月になると、緑色をしたリンゴの実が膨らんでくる。花摘み同様、かたまってできた実を間引いていくのが「摘果(てきか)」。また、6月にはサクランボ「紅秀峰(べにしゅうほう)」と「佐藤錦」を収穫。「サクランボも、後継者のいない畑を引き受けたんですが、収穫はまだ安定していません。でも、今年はたくさん収穫しましたよ!」(渡辺さん)。
[秋の作業]
待ちに待った実りの季節。9月の「つがる」、10月の「シナノスイート」と「秋映(あきばえ)」、11月の「ふじ」まで、品種によって収穫の時期がずれるので、その都度飯綱町に来る。気象条件などによる収穫時期の微調整が必要だが、「近くの農家さんが、収穫のタイミングを電話で教えてくれるので助かります」と、小泉さん。収穫したリンゴは、新鮮なうちにダンボールに詰めて会員に発送する。
[冬の作業]
枝が当たって傷が付いたり、日焼けして食感が悪くなったりしたリンゴは発送せず、長野県内の加工業者にオリジナルのリンゴジュースやジャムにしてもらい、収穫物のない冬の間に会員に送る。春先にはリンゴの木の生長を促すために不要な枝を切り落とす「剪定」を行う。
文/はっさく堂 写真/村松弘敏
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