掲載:2022年2月号
自然のなかで健康的に暮らしたいと宇和島市に移住した黒田さんは、山里の何でも屋を再生することに。店にはオーガニック食品を置いたり、ホームスクーリングを実践したりと、新しい暮らしの形にチャレンジしている。
自然や日常生活から学ぶホームスクーリングを実践
真珠の産地として知られる愛媛県宇和島市の中心地から、車で山道を進むこと30分。御槇地区に、100年以上前から山里の何でも屋として栄えた「福田百貨店」がある。約20年間空き家同然だったその店を復活させたのが、大阪府堺市出身の黒田太士さんだ。
店内には、もともと商店にあったというタイプライターや桐ダンスなど懐かしい家具が並ぶ。太士さんはここで商店を営みながら、デザインやホームページ制作の仕事も請け負う。
大阪育ちの太士さんは、学生のころから自然の近くで健康的に暮らしたいと、就職先は愛媛県松山市の建築事務所を選択。勤務した5年半の間、休日はさらなる理想の田舎を探して四国中をドライブして回ったそうだ。職場では宇和島市出身の志津子さんと知り合い結婚。
「移住するなら実家の近くに」という志津子さんの意向をくんで新天地は市内に絞った。そのなかで、かつて林業で栄えた人口310人ほどの小さな集落、御槇地区と出合う。
「ここはダムからの浄水ではなく、沢の水を使った簡易水道が普及しています。自然のきれいな水が飲め、近くに祓川温泉があるのも魅力でした」
商店を借り受けるようになったのは、移住して4年目のこと。ある写真展の会場として、当時ほこりをかぶっていた福田百貨店を利用したのだ。展示1カ月で1000人の来場者を記録するほど大盛況。大家さんは思い出の店がきれいになり町に活気が出たと大喜び。そのまま物件を貸してくれることになり、太士さんは商店の再開に踏み切った。棚には厳選した地場産品や日用雑貨の他、オーガニックフードやフェアトレード品も並ぶ。
「環境や地域の存続に関心のある移住希望者が、この店をきっかけに御槇に住みたいと思ってくれたら」と太士さん。
お店同様、子育てにもこだわりを持つ。長女の一紬ちゃんと長男の生成くんは、小学校に在籍しつつも通学せずに家で学ぶ「ホームスクーリング」を実践中。例えば算数は店での会計から、理科は野山など日々の暮らしから学ぶ。あくまで本人の選択だが、移住で理想の生き方を選んだ父としての想いもある。
「僕は普通に小・中高校と大学を卒業して就職。いまにたどり着くまでに遠回りをしました。田舎で生き方を見直すなかで、自分らしく生きるうえで必ずしも学校で学ぶ必要はないと確信しました。ただ、地域に学校があることもまた重要なので、その2つが両立できる地域がベストだと考えています」
志津子さんは、マヤ暦診断や心理カウンセラーを生業とする。現在は市内の塾と連携して、不登校の子を持つ家庭の相談にも乗っているそう。
「この仕事は、自分がブレないことが大事。自然のなかを歩いていると、その軸が整う」と話す。
一家の新しい挑戦を支えているのは、この山里の豊かさなのかもしれない。
黒田さんに聞く「移住して、ここが変わった!」
「都会と田舎のどちらも知ることで、フラットな視点で世の中を見られるようになりました。仕事も世情や環境によって柔軟に変えられるようになり、自由に生きられるようになりましたね。また、虫に刺されてもあまり腫れなくなりました(笑)。飲み水や食生活が健全になったため、からだの“余分なモノ”が排出されたのだと思っています」
宇和島市移住支援情報
UIターン者や若者への支援が充実
宇和島市に移住・定住する人への支援金(10万円から)や、新卒者やUIターンで6カ月以上就業した若者を対象とした定住奨励金(10万円から)など、若者への支援が充実。奨学金貸与を受けていた市内就職者への返済支援や農林水産業への就業支援、子育て支援もあるので気軽に相談を(各支援とも要件あり)。
企画情報課 ☎0895-49-7105
移住特設サイト うわじま住まい https://www.city.uwajima.ehime.jp/site/ijyu/
文・写真/吉野かぁこ
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