古くから山の文化が営まれてきた栃木県。山岳宗教の日光、温泉の那須、入り組んだ谷間に里山集落が点在する八溝山地。なかでも明治以降の開拓地となった那須野が原は、リゾート地「那須高原」として発展。その自由な風土にひかれて移住する人も多い。
掲載:2023年5月号
各地を巡って高原に移住し、やりたい仕事を自由に実現
那須高原には100カ所を超える別荘分譲地が点在する。その一角に移住して3年目になるのは、こんどうあゆさん(37歳)。東京出身で新宿や渋谷のアパレル業界を経て、20代は芸能事務所の裏方として働いていた。
「ライブに同行した翌日はカタログ作成、次の日はPV撮影といった感じでバリバリこなしてました。後半は退職してフリーランス契約で。ただ、そうしているうちに『この生活は長く続くわけがないな』って感じはじめたんです」
どこでも自分で稼げるようにと、親しんでいたヨガを本格的に学び、インストラクターとして自ら集客も開始。芸能事務所の仕事を辞し、2015年からは5年後に住む場所を決めようと、WWOOF(ウーフ ※) を利用して各地の農家を訪ねた。
「移住を前に、都会育ちの私にどこまでできて何がしたいのか、試したかったんです。私は人が好きなので、その土地の人とかかわりたい。移住してかかわりを持ってから『やっぱり無理だ』となったら無責任ですよね」
山梨、長野、伊豆、タイ……。沖縄の離島で、ここにしようと決めかけた。が、帰京の後、荷物をまとめて戻ろうとするとコロナ禍が始まり、島民以外はフェリーでの渡航が困難になった。
「こんな状態で移住するのは現実的ではないと思いました。けれども私はどこかに移住したくてたまらなくなって」
そうして出かけたのが、小さいころによく行った那須。亡くなった祖母の別荘だった。
「山の中に1人で住めるのか、1週間ほど過ごしてみると、ぜんぜん余裕。那須には友達もできて、『おいで』と言ってくれますし、『よし、那須に住もう』と決めました」
移住手続きのため訪ねた役場で担当してくれたのは、那須の観光移住情報サイト「NaSuMo」を立ち上げた人だった。
「そのころ私は、人やお店を訪ねて那須の魅力を個人的にSNSにアップしていました。だから『そのサイト、私もやりたい!』って。趣味がオフィシャルになって、私は〝自称〞那須観光大使です」
移住後の2年間は〝爆走〞したという。情報サイトのインスタグラムは毎日更新し、フォロワーは現在約1万7000人に。ヨガのインストラクターは寺を会場に週に1度のほか、出張やリモートでも開催。那須のクリエイターが集まるマルシェは仲間3人で運営、14回目の前回は5日間で25店舗が出店した。自然食や自然治癒のコンセプトに沿った那須の産物を〝ナスラブ〞としてプロデュース、都内でのPR販売も始めた。
「東京ではアイデアを出しても、予算や売り上げの見込みが先に問われます。那須では『面白い』と受け入れてもらえる。そこが私に合っていますね。それだけ責任は生まれますけれども」
オーガニック農園でのアルバイトや、数名の仲間と小さな田んぼで米づくりもしている。
「みんなで手植えして手分けして草取りしてます。自営で自立する人が多いので、責任持って〝やるべき作業をできるときにやる〞が成り立つ環境が心地いい。那須にはいまも、開拓地の風土が生きているんです」
※WWOF=有機農場を手伝って学びたい旅人と、手伝いに対して食事と宿を提供する農家をつなぐサービス。
こんどうさんに聞いた「山暮らし」のここがいい!
➀食への関心が高く、自然食の店や有機農家が多い
新しいことにチャレンジする気質が強いうえ、都会からの人が多く訪れる観光地でもあって、食への関心の高い地域だと感じます。オーガニックの農家も多いですし、自然食レストランでは地元の食材が使われ、料理の質も高いです。
②夕食の付き合いが減って早寝早起きができる
東京で仕事していたころは、週に4日は夕食を誰かと外でとっていました。那須では人とのつながりは多いけれど、夜の付き合いはあまりしません。夕食は家でゆっくりとる日が多く、寝る時間も早いです。起床時間は朝5時。健康的に暮らせます。
那須町移住支援情報
人口の約半分が移住者移住専門の相談員が全面サポート!!
都心に近く移住者の多い那須町は「人口の約半数が移住者」ともいわれ、住民の多様性や風通しのよさが魅力の1つ。町では移住前から移住後まで、「移住定住支援コーディネーター」が中心になり一貫したサポートを行う。空き家バンクはWEBで閲覧可。お試しサテライトオフィスもある。
問い合わせ/ふるさと定住課 ☎︎0287-72-6955
https://www.town.nasu.lg.jp/0087/info-0000001210-1.html
文・写真/新田穂高 写真提供/こんどうあゆさん
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