人のよさが全開のお父さんからキレ味鋭いヤクザまで、あらゆる種類の役柄を縦横無尽に演じ続け、長きにわたって多くのつくり手から求められ続ける俳優の光石研さん。12年ぶりとなる単独主演映画『逃げきれた夢』が公開されます。ロケ地は生まれ故郷で、セリフは九州弁、しかも実父と親子役で共演!という特殊な成り立ちのこの映画に向き合った日々のこと、俳優としてのこれからの夢について聞きました。
掲載:2023年7月号
日常の延長線上にあるリアリティを狙う演出
「監督とご縁があって知り合い、僕を題材に脚本を書いてくださることになって。願ったり叶ったりというのか、うれしかったです。でも実現は難しいかもしれないな、頓挫することもたくさんあるし……と。それがこうして完成したからもうビックリしちゃって」
最新主演映画である『逃げきれた夢』を光石研さんはそう振り返る。物語の舞台は、光石さんの故郷である福岡県北九州市黒崎(くろさき)。かつては炭鉱でにぎわったまちだった。
「映画をつくることになり、たまたま僕が黒崎に帰るタイミングで監督が同行してくださって。〝この公園でよく遊んだんです〞〝あそこが小学校で〞と、まちを案内しました。それがこの脚本のベースになったみたいです」
光石さんが演じるのは、定時制高校で教頭を務める末永周平。定年を前に妻との関係は遠く、年頃の娘と親しい会話を交わすこともない。そこに記憶が薄れていく症状に見舞われる。同じ症状がすでに進行した父親が暮らす介護施設を訪れ、「どうしようかね、これから」と語りかける日々。父親役は見たことのない俳優と思いきや、光石さんの実のお父さんというからビックリ仰天する。
「スゴ過ぎますよね! いつの間にか親父が出演することになっていて、本人がいいならということで。二ノ宮監督の映画づくりは、日常の延長線上にあるリアリティを狙うよう。本物と虚構の要素を入れて両者をボーダーレスにし、その間に僕を置く。そんなやり方だったかと」
例えば、仕事も家庭も行き詰まった周平が父親に心情を吐露するシーン。セリフは「ほぼ脚本通り」だが、まるで本人の切実な心情を語るよう。そんな演技を、細かくカットを割らずに実父の前で演じさせるというなかなかにしびれる演出。
ボーダーレスなシーンはほかにも。周平は元教え子に黒崎のまちを案内。さほど興味なさそうな彼女に、母校やお気に入りのパン屋さんをあれこれ紹介する。するとあれは光石さんの母校? 小学校には相撲の土俵が!?と、見ているこちらは興味津々になる。
「そう! あの土俵、僕らが小学生のときからあるんです。老朽化していて、入っちゃいけないんですって。相撲は強かったか? いや、弱かった。背がちっこかったから、よく投げ飛ばされてました(笑)。ドリフのモノマネとかふざけたことばかりやる子で、それから公園でサッカーをやったり」
こうなると、あのパンのことも聞きたい。中に練乳が入っているというサニーパン。庶民的なまちのパン屋さんらしい、素朴な味わいを想像してしまう。
「本当においしいですよ! 博多駅にも売ってるけど、出来たてを食べてほしいんだよなぁ」
とても残念そうに、そしてやっぱりとても懐かしそうに光石さんが故郷の味を語っている。
生まれ育ったまちがロケ地で、九州弁を話す、自分とほぼ同年代の主人公。定時制高校の教師だったのは二ノ宮監督の父親のエピソードを盛り込んだものだし、自身に子どもはないので娘との関係性も完全なフィクション。とはいえ、ここまで自分と近い役柄というのは演じやすいものか、だからこその難しさがあるのだろうか?
「『バイプレイヤーズ』というシリーズは実名で演じましたけど、もちろん虚構の世界。あの光石と僕とは違います(笑)。だから今回、ここまで自分とリンクした役は初めてでした。これが俳優さんの役だったら怖くて演じられなかったかもしれません。くすぐったいというか」
そう感じてしまうのは黒崎だからこそだったそう。
「あそこで生まれ育ち、18歳まで走り回っていましたから。実際にあのころの僕を見ていた人はもういなくなったとしても、建物が残っていたりするし、あの場は確かにあのときと同じ。そんなまちの気配に、〝誰かに扮して、お芝居なんかしちゃって〜〞と笑われているようでね」
そしてやはり、実父の前で演じるのも貴重な経験だった。
「もし東京で生まれ育っていたら、実家のリビングにいつも台本が置かれていて、セリフを覚える姿を若いころから親に見られるはず。でも僕はそうではなくて、黒崎で生まれ育ち、役者になろうと夢を抱いて故郷を離れ、仕事場として東京を選んでやってきました。それで昔の生活圏に戻って撮影するのも、なんだか恥ずかしくて」
劇中の光石さんは、演技なんてしていないかのよう。そこで暮らしてきた人間として存在する。全編を通して物語を盛り上げようとする音楽を排し、現実と虚構をボーダーレスにして構築された世界のなかで――。
「この映画で過剰な演技をするのは合わないだろうなと。例えば歩くにも、ただ通勤シーンを撮るようにフラットなのがいい。ここは見せ場だ!と役者としての色気が出てしまうのではなくて。役者の思う見せ場が本当にそうなのか?なんてわかりませんから。ちょっと格好いいことを言っちゃうと僕自身、役者で見せるより、映画で見せる映画が好きなんですよね」
かつて「モノマネされない俳優になりたい」と語っていたのは、そういうことかと納得する。
「そうそう、でもね。昨今はモノマネされる俳優はやっぱりスゴイなと思うようになりました。俳優としての型を持つというのが。北野武さんの映画で、中尾彬さんと目の前で絡ませていただいて本当に感動したんです。いろいろな人がモノマネしますが、本物は圧倒的。役者としてのアイデンティティがどん!と目の前に迫るようで、これは敵わないなと。僕なんて本当に、サラッとしてますから(笑)」
もちろんこの映画はその、一見サラッとしたありようがなければ成立しない。周平は定年が目の前。心血を注いできたはずの仕事は、まとめに入らなければならない時期にある。家庭については、妻子とどんなつながりを築けたのだろう? 薄れゆく記憶とそれへの戸惑いとが重なって狂気、かもしれないと思わせる異様な緊張感が漂う。また同世代にとって〝あるある〞なエピソードは身につまされて笑ってしまう。困ったり戸惑ったり、どんなときも計算を感じさせない光石さんのたたずまいには奥行きがあるようで、そこに込められた思いを読み取りたくなる。これをまだ30代の監督が脚本も手がけたことに改めて驚いてしまう。
「映画はまだ1回しか観ていなくて、冷静になれません。俳優部として反省点ばかり。でも脚本の段階で、監督の世代に60代の男がだらしないというのはバレているんだなと。自分が30代のころは、還暦を超えた人なんて人間が出来上がっていて、達観しているように思えたけど。わかりやすい結果が出る映画ではありませんが、周平やその妻、娘と、どの世代の方が観ても何かしらの引っかかりがあるはず。なんとなく、自分の生活を見つめ直すことができるんじゃないかと思います」
豊かな老後に妄想が膨らむ
光石さん自身は商店街が遊び場の子だった。今回共演者となった父親は会社を辞めて喫茶店をやると言い出したり、自分で会社を起こしたりする行動派。山登りやスキーをたしなみ、「遊びには事欠かない人」だ。「家を支えなきゃいけないおふくろが大変でしたよね」と振り返る。
「そのせいか、いまでもやっぱり繁華街が好きです。落ち着くんでしょうね。田畑があるような暮らしに興味がないわけではないけど、経験がないからわからないんですよ。やることがいっぱいあって大変そうだな……と思うくらいで。そういう自分を見てみたい気もするけど」
ファッションではオーソドックスな定番を愛し、音楽も家も古いものが好きという光石さん。一人暮らしだった若いころは、自宅を自力でリフォームしたそう。するとこの先いつかは地方に暮らし、終の棲家として古い家をコツコツと自分好みに仕立てる計画があったりするとか?
「20代のころに床を張り替えたり、ずいぶんいろいろやったけど、家の改造って体力がいるんですよ。年を取ってから、一軒家に暮らしてリフォームするって大変じゃない? そう考えると僕はマンションがいいのかなぁ。九州なら車で20分も走れば道の駅とか温泉とか、いいところがたくさんあるし。海か山かで言ったら海かな。山のものより魚介類が好きなんです。でも水が怖いんですよね、カナヅチに近くて。熊本なんていいなあ。博多のような大都会とはリズムが違い、まちのサイズ感がちょうどよく、人もいいしね」
暇な一日はそうしてドライブを楽しんだり、イラストを描いて過ごしたり。光石さんのなかで、みるみる妄想が膨らむ。それを傍らで聞くと、数十年後、かわいいおじいちゃんになった光石さんがにこにこと暮らすさまが浮かぶよう。「それ、豊かな老後ですね」なんて言ってしまう。
「ねぇ? そんなんいいよなぁ。それでたまに、東京に行っておじいちゃん役をやるの」
おじいちゃん役? 光石さんが演じるおじいちゃん、それ観たい! 夢の話から一気に現実的な未来の話になったようで、気分が前のめりになる。
「いや、先のことはわからないですよ。役者にとってセリフを覚えるのは仕事の1つだけど、この映画の周平のように記憶力がおぼつかなくなると厳しいし。いまは70代でも皆さんお若くて、おじいちゃんという感じじゃないですけど、笠智衆さんみたいな役、やりたいなぁ」
あの『東京物語』の、あの『男はつらいよ』の御前様の。セリフ回しがどうとか役づくりがどうなんてことはとっくに超越した存在。ただそこにいるだけでしみじみとした味わいになり、「そうだねぇ」なんて言うだけで、じわっと観る者の涙を誘う名優。
「着流しで縁側に座ってるようなおじいちゃんを演じたい。そこまではなんとか頑張りたいと思っているんですよね」
『逃げきれた夢』 (配給:キノフィルムズ)
●監督・脚本:二ノ宮隆太郎 ●出演:光石研、吉本実憂、工藤遥、杏花、岡本麗、光石禎弘、坂井真紀、松重豊ほか ●6月9日(金)より新宿武蔵野館、シアター・イメージフォーラムほか全国公開
北九州で定時制高校の教頭を務める末永周平(光石研)は、もうすぐ定年を迎える。母は亡く、父は介護施設暮らし。妻の彰子(坂井真紀)、娘の由真(工藤遥)とコミュニケーションを取ることはほとんどなくなっている。ある日、元教え子の平賀南(吉本実憂)が働く定食屋で、会計をせずに店を出てしまう……。
©2022『逃げきれた夢』フィルムパートナーズ https://nigekiretayume.jp/
文/浅見祥子 写真/鈴木千佳 スタイリスト/上野健太郎 ヘアメイク/大島千穂
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